ウォーキング

2023年11月 2日 (木)

散髪帰りの街あるき

 近くにあった 行きつけの散髪屋が廃業してしまい、少し遠くまで行くようになりました。
100円+利用券で隣の駅前までコミバスで行き、散髪のあと、同じ商店街の名代の和菓子屋で
何かを買って、例の細長い公園を歩いて帰るのが通例です。(今回は、栗きんとん)

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 旧交野街道である大利商店街と二十箇用水路が交わるあたりでみつけた「悪水井路」の石標。
悪水は排水のことで、井路(いじ)と云うのは、低湿地に張り巡らされた細道や細い水路のこと。
大利商店街の一部の店舗は、この水路の上に建っているんですね。

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 並流していた二十箇用水路と友呂岐悪水路が統廃合されて、不要となった一方を埋め立てて
整備したのが友呂岐緑地なので、この緑地公園が細長く続いている訳です。

 沿道に「三枚板舟(さんまいだふね)」が展示されています。この舟は、農機具や産物の搬送
で、水田への行き来に活躍していたようで、天満橋などと往来した剣先船よりずっと小形です。

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 ウォーキングコースの途中には、花壇もあって、地元の方々がお世話されているようです。

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 もちろん、子たちの遊戯施設が設置されたエリアもあります。ここは通称 “たこ公園”。

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 ちょっとルートを外れたホームセンター前では、大きな工場が解体中。解体キングダムみたい!

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 ここまで来ると、約3kmほど続く細長い公園もあと少し。萱島駅まで 400mほどです。

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2023年9月11日 (月)

「弓削神社」へ歩く

 史跡「由義寺跡」発掘調査の現地説明会のあとで、JR志紀駅前の「志紀駅史跡マップ」を
眺めていると、「弓削(ゆげ)神社」と云うのが駅の南北にそれぞれあり、少し離れたところ
に「由義(ゆぎ)神社」もあるそうです。その由義神社の所に「由義宮(ゆげのみや)旧址の碑」
があるとのこと。暑いけど、少し歩きますか。(下の写真は案内板より抜粋。クリックすると拡大)

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 まずは、志紀駅の北側に坐す「弓削神社」です。弓削(ゆげ)の地は、弓矢などの武器製作に
携わる「弓削部」を率いた伴造(とものみやつこ)を任じられた豪族の本拠地でした。物部守屋や
女帝/孝謙天皇(称徳天皇)の信任篤かった、あの僧/道鏡を輩出した一族でもありました。

 弓削出身と伝わる道鏡は、“日本三悪人”の一人とも呼ばれるらしい。平城京改修のため、一時、
都を近江に移した時に患った孝謙天皇(のちの称徳天皇=女帝)に侍して看病したことから寵愛を
受けることになったと云う。藤原仲麻呂の乱のあと、道鏡が太政大臣禅師に任じられ、更に法王
となって、仏教理念に基づいた施策を推進したが、藤原氏の不満が高まることとなった。

 九州の宇佐神宮で、道鏡を天皇にすると天下泰平になるとの神託があったと伝わるが、その
の神託は虚偽だったとの上申があって、道鏡が皇位に就くことはなかったそうな。(道鏡事件)

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 駅北の弓削神社は、ちょっと小振りな “村社” の趣きです。大きな病院の裏にありました。
現在の弓削神社は、旧大和川支流の長瀬川の流路を挟んで、弓削町と弓削東1丁目の二か所に
坐します。いずれも弓削氏の祖神と、関係が深かった物部氏の祖神を祀っているそうです。

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 そこから、旧大和川の河道跡を流れる長瀬川に沿って進みます。「由義神社」は、少し離れ
たところに坐しますが、送電鉄塔を目印に北上します。

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 参道と思しき街角に格式の高そうな大門小路燈籠。弘化2(1845)年に大坂の石工が造ったと
云われ、かつては、ここに寺の門があったらしい。

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 「由義(ゆぎ)神社」。傍らの「由義神社の由来」によると、もともとは称徳天皇の「由義宮」
(西の京)に造営された五社のうちの一社でしたが、中世の兵火で焼失、江戸時代に再建して
「由義神社」と称し、明治5(1872)年に八尾木村の村社になった由。
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 鳥居のスグ横に「由義宮旧址」の大きな石碑。何かの事情で移設されたものらしい。

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 さて、もう一つの弓削神社を探して、志紀駅へ戻ります。少し、寄り道しながら。一筋奥に
入った所に古風な寺院がありました。「善立寺(ぜんりゅうじ)」です。公家の三條西公条(さん
じょうにしきんえだ)が詣ったと云う金剛蓮華寺があった場所だと云うことです。

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 背の高い藏が残されていました。段蔵ではないけど、やはり水害に対する工夫でしょうか。

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 そう思って眺めると、道路に段差がありますねぇ。旧堤防があった場所の感じがします。

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 駅の南側に出て、幼稚園の奥に進むと、もう一つの「弓削神社」。かなり重厚な構えです。
境内の石標には、「・・・孝徳天皇の信頼を得た弓削道鏡は、この地の出身で由義宮に行幸を
仰ぎ、同宮を西の京とした。さらに道鏡は弓削一族の栄進を図ったが、天皇の没後は失脚し、
下野国薬師寺別当として放逐された・・・」と記されていました。

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 境内では、いくつかの摂社の改築工事が進んでいて、遠慮がちな にゃんこも居ました。

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 今回は、まぁ云えば、遺跡発掘現地見学会ついでのウォーキングでしたが「弓削」を満喫。

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2023年2月27日 (月)

縦断!細長い公園 ②

 寝屋川市の友呂岐緑地の通称 “たこ公園” は、幼子を連れて行く遊び場。細長い公園のほぼ
中央にあって、我が家でも、娘が小さいころには、家内がよく連れて行っていたようです。

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  京阪電車の高架が見えると、萱島駅まで
 もう少しです。5分待ったけど、電車が来て
 くれなかったので、先を急ぎます。

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 17時を回って、かなり暗くなってきました。人がいないのでなく、そこを狙っての撮影です。

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 ここから先は、いつもの散歩コース。“茶太郎” など、公園にゃんこの棲み処です。

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 萱島ポンプ場の水門脇を通過。
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 ゲートボール場の入り口
には、可愛いすずめたち。



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  なにやら工事が続けられています。
 寝屋川と用水路を渡る水管橋の更新
 工事 だとか。
  この日、にゃんこ達は、姿を見せ
 ませんでした。少し遅かったかな。

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 京阪萱島駅は、もうすぐそこです。ホームは、寝屋川と用水路を跨いで設けられています。
そして、樹齢700年と云う大楠が高架ホームを突き抜けているのです。

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  一時間ほど歩いて、萱島駅前に到着。
 ここが「友呂岐緑地」の南端です。



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Img_20230204_172657  (上の写真は、別の方向からのもの)
 


  ちょっと休憩です。寝屋川市駅東の
 一力總本店で買った “炙りみたらし”
 を1本だけ摘まみ食い。


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 さあ、我が家まで あと少し。散髪したてなので、頭部が寒くなってきましたなぁ。ことさら。

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2023年2月23日 (木)

縦断!細長い公園

 いつもは途中で折り返してくる 地元の細長い公園(友呂岐緑地)を縦断してみました。
この日は、寝屋川市駅近くで散髪の帰りなので逆コース。寝屋川の上流から下流に向かって
3kmほどのウォーキング。寝屋川に沿って流れる「二十箇用水路」の堤防道の公園です。

 京阪寝屋川市駅東の大利商店街の途中から、狭い階段を降りると、その先が公園です。

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  かつて、田圃の間の井路川を行き来してい
 たと云う “三枚板舟” の復元模型が置かれて
 いました。そう云えば、幼きころに乗せても
 らった記憶があります。川に落ちたことも。

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 説明板は、かなり傷んでいて読みづらい。

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  用水路に沿った崖(寝屋川堤防?)の上から
 せり出すように 設けられた自転車置き場。

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  二十箇用水路は、いわゆる“悪水路”
 です。地域を内水洪水を防ぐために、
 要所要所に排水 ポンプが備えられて
 います。天井川ではないが、それに近
 いんですな。


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 小さな橋の下をくぐります。さすが公園なので、少しカラフルに装飾されています。左側が
寝屋川の堤防です。右に向かって低くなった橋が、右側の土地が低いことを物語っていますね。

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 広く等しい間隔で歩く練習になると云う “飛び石路コース” が用意されています。ありがたや。

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 赤い橋のところで、用水路と公園の位置が入れ替わります。ここまでは、寝屋川と用水路の
間に公園がありましたが、ここからは、寝屋川と用水路がくっつくように流れているのです。

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 赤い構造物が見えてくると、“たこ公園” が近くです。鉢かずき姫は、寝屋川市のシンボル。

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 寝屋川市域は、その80%が “内水域” なんだそうです。つまり、大雨が降ると、自然には
流出していかないのです。アチコチに大雨の一時貯留施設や地下排水路を張り巡らせ、大型
ポンプ場を整備して、市民の生活を守ってくれているんやそうです。次回に続きます。

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2023年2月20日 (月)

大阪市内最高峰「鶴見新山」へ

  「咲くやこの花館」を後にして、さて、このまま帰るのは早過ぎます。たくさん出店され
ているキッチンカーに並んで、ドーナツとコーヒーを買い求め、公園のベンチで小休止です。
こんなベンチに腰掛けるのも、久しぶりのことで、ちょっと気恥ずかしい。(なので写真なし)

 とりあえず、鶴見新山に向かって、風車の丘に登りました。「鶴見新山」は、その先です。

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         彼らも “オブジェ” と云うことで・・・。  

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 「鶴見新山」南側の登り口には、いわくありげな石像があったりします、ここ、結構長い。

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 標高39m「鶴見新山」の頂上は、この先の小高くなっているところです。大阪市内のゴミと
地下鉄工事の残土を交互に積み重ねて、昭和58(1983)年に一般開放され、平成2(1990)年
に竣工した時は、標高45mでしたが、もとより低湿地の軟弱地盤でもあったので、地盤沈下し
たんでしょう、今は39mです。一時は、メタンガスが発生、自然発火したこともあるらしい。

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 北側の登り口。こちらも結構な階段でした。ここから「花博記念公園」の北口へ歩きます。

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 北口ゲートから京阪守口市駅まで歩こうと云うのです。1時間ぐらいのはずです。

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 北口ゲートを出て、奇妙なオブジェが置かれた、広い遊歩道まで来ると、そこは守口市の
世木公園です。一昨年に廃止された釣り池の跡地で大規模な再開発工事(?)が進められよう
としていました。石垣を掘り返したりしていましたので、発掘調査でもしたんかな。

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 道なりに北へ進むと、やがて京阪百貨店の看板が見えてきます。以前歩いた時よりも、遠
く感じられましたが、予定通り1時間程のウォーキングでした。

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2022年12月26日 (月)

「千林」今昔物語 ③

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 千林商店街に戻って、少し西に行ったところで、立ち止まった案内の沖本さんが、足許を
指しています。そこには、「千林商店街発祥の地」の銘板が埋められていました。

 明治43(1910)年、京阪電車の開業にあわせ、この地に「森小路停留所」が設けられ、その
付近に軒を連ねた商店が千林商店街の基礎となっていったそうです。昭和6(1931)年には
線路の高架化に伴い、駅も現在地に移設されて新しい「千林駅」になりました。

 平成22(2010)年、千林商店街は、京阪電車とともに発祥100年を迎えたので、その記念に
設置されたのがこのプレートだと記されています。

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 京阪電車は、軌道法に依拠して敷設されたので、旧京街道に沿ってクネクネと走る、ほぼ
路面電車だったのを高架複々線(蒲生信号所~守口)で作り直したんだそうです。

 商店街に対して、不自然に斜めに横切っているこの細い通りが、旧京阪軌道跡とのこと。

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 北側のお店を見ると、玄関に対して、奥行きが妙に三角形になっているのが見てとれます。

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 そして、その裏側へ回ってみると、こんな古びたコンクリ塊が出現。千林くらしエール館の
駐輪場スペースに囲まれた異様な建造物こそ、旧線時代の「森小路駅」の遺構だそうです。
もっとも開業2ヶ月で「森小路千林」に改称され、昭和17(1942)年に「千林」になった由。

 昭和6(1931)年の高架専用軌道化に伴う線路移設まで、ここが「千林」駅だったんですね。

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 少しでも高いところから撮ろうと思いましたが、エール館のこの側には窓がなく、断念。
 
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 千林くらしエール館の裏手を進むと妙な窪地に出ました。ここ、“洗濯場跡”だと云い、水路
が多かったこの地域には、アチコチに洗濯場があって、主婦の井戸端会議の場だったらしい。
そこは、ダイエー千林店の跡に開店した“パチンコ123” の東裏にあたる場所でした。

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 平成17(2005)年までは、ダイエー千林店を転換した「トポス」がありましたが、それは、
千林商店街につづく今市商店街のさらに脇奥に位置し、立地には恵まれなかったようです。
なお、もともとこの場所には、映画館「千林松竹」があり、ダイエー千林店はそれを譲り受
けて開店したんだそうです。
 この通りには、精肉店経営の “焼肉ダイニング”「たじまや庵」があり、この日のグルメ会
もここでの開催が予定されていました。

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 一筋西側の通りには、「朝日地蔵」が祀られていました。明治期まで四方八方に水路があっ
たこの地域ゆえ、井路川のそばにあったこの地蔵は、川舟の竿につつかれて、鼻がなくなって
しまい、“鼻欠け地蔵”とも呼ばれた由。お酒が大好きなお地蔵さんなので、お茶を掛けること
は厳禁らしい。朝日の方角を向いているから朝日地蔵と呼ばれているそうです。

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 少し歩いて、「たじまや庵」へ戻りました。1階が精肉店で2階がダイニングです。

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 「千林」の地名は、守口(森の入口)、森小路(森の中の小道)に続く川沿いの林と云う
意味の「瀬林(せばやし)」が転化したものらしい、と云う説があるそうです。ホンマかな?

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2022年12月19日 (月)

「千林」今昔物語 ②

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  井路川(いじがわ)の跡と思われる 細い抜け道をたどります。井路川と云うのは、新田開発
などの際に、水利や運搬のために設けられた 細く入り組んだ水路のことです。
   
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 京阪電車の複々線高架が見えてくると、千林駅はスグそこです。ガードの橋脚には「野崎」
の標記があって、ガードをくぐる道が旧野崎街道であることを教えてくれます。

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 昭和32(1957)年に「主婦の店大栄(ダイエー薬局)」が千林駅前にオープン。「ダイエー」の
1号店でした。その同じ場所は、別のドラッグストアになっています。その5年後には、商店街
の奥の方(現在のパチンコ123の場所)に、当時としては大型の「ダイエー千林店」がオープン、
商店街も押し合いへし合いの大賑わいでした。中学時分、自転車で出掛けていた記憶があります。

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 「強頸絶間(こわくびのたえま)跡」の説明板は、商店街の南外れにありました。なんでも、
石碑が民家の庭内に移されていて、いまは、見学できないのだそうです。(移設先非公開)

 説明板では省かれていますが、仁徳天皇の頃、淀川左岸に「茨田堤(まんだのつつみ)」を
築こうとしたが、すぐに決壊してしまうので、“人柱”をたてて、河の神に捧げることになり、
武蔵の人「強頸」と河内の人「茨田連衫子(まんだのむらじころものこ)」が指名され、強頸
は、泣く泣く河に入ったが、衫子の方は、「私の命が欲しいと告げた神が本当の神ならば、
この瓢箪を沈めてみよ」と瓢箪2つを川に投げ入れる奇策で死を免れたと云う物語です。

 その決壊場所の一つが「強頸絶間」だと伝わっていますが、現存するものは、何もないそう
です。なお、淀川の少し上流、寝屋川市の太間(たいま)にも「茨田(まんだ)の堤」の碑があって、
同様の伝承とともに「衫子(ころものこ)絶間跡」の碑が近くの太間天満宮に残されています。

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 少し進むと、延命地蔵が祀られていました。千林商店街の振興組合の事務所に“併設”です。
賽銭箱の投入口が、事務所側に設けられているのが、なんとも “大阪” でんがな。

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 そんな細い抜け道の先は、やっぱり、千林商店街に入っていきました。この延命地蔵尊も、
ず~っと、千林商店街の盛衰を見つめてきたんでしょうな。次回は、京阪電車に絡みます。

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2022年12月15日 (木)

「千林」今昔物語

 「千林(せんばやし)」は、京街道と野崎街道の交点に開けた商店街。昭和6(1932)年まで
は、京阪電車の旧軌道が千林商店街の中ほどを横切っていたそうです。昭和32(1957)年に
主婦の店ダイエーの1号店が開かれたのも、ここ千林でした。

 大阪メトロ今里筋線清水駅に集合、剣街道(中高野街道)の井路跡と思しき道路を進みます。

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 立井路(たていじ)の紀念碑。江戸時代に沼地を埋めて新田開発されたこの地域では、水利
と運搬に細い川を掘り、底の浅い “三枚板船” などで往来したそうで、井路と呼ばれます。
 この紀念碑は、京阪電車の開通に際して、地元の方々が立井路に沿った土地を提供して、
大正7(1918)年に完成した「清水新道」の開通を紀念したもの。

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 いまなお残る土地の段差が、かつての井路川の跡を示しているようです。
        
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  大阪メトロ清水駅から点線のルートで千林駅周辺を歩きます。延べ2.5kmほどです。

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 近くにある八幡大神宮の御旅所。14世紀初めに後醍醐天皇が建てた般若寺があったらしい。

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  淀川流路が大きく南側に蛇行していたとかで、井路川で隔てられた、摂津と河内の国境に
あったらしい両国橋の親柱。ここが、中高野街道(剣街道)と野崎街道との合流点にあたります。

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 旧野崎街道を少し西に進んだ辺りでは、住居表示の地番が入り組んでいました。田圃の
所有者の関係からか、大阪市旭区清水の隣家が守口市馬場町だったりするので、ごみ回収
や学校の校区も違うんでしょうね。きっと。

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 さらに西に歩いて、大阪内環状線(国道479号)を渡ります。昇格前は、府道1号でした。

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 内環を渡った先に八幡大神宮。もとは春日大神を奉祀していたが、悪疫退散の祈祷で霊験が
あったと云う、足利時代に奉斎された男山八幡宮の分霊を主神とするようになったらしい。
 その奉斎の主が火厄の災難から一命を救われたところから、いまでも「やけずの宮」と呼ば
れています。(由緒書より要約)なんか、主神を無理やり交代させたみたいな話しですね。

 明治22(1889)年、馬場・般若寺・別所・上辻・貝脇の5村合併のとき、石清水八幡宮から
「清水」の二文字を借りて、「清水村」になったんだそうです。

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 今回は、“大阪おもしろツアー” の「街道の分岐点・千林今昔物語」に参加。続きます。 

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2022年7月21日 (木)

江之子島かいわい

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 江戸時代の蔵屋敷跡を巡って、中之島の西端部まで来ましたが、昼食を探しついでに、湊橋
を南に渡り、木津川に沿って、江之子島の方へ足を伸ばしてみることにしました。

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 湊橋の南詰の西側に、なにやら真新しい石碑がありました。宮本輝の小説「泥の河」の
舞台地の碑だそうです。堂島川と土佐堀川が合流して、安治川と名を変えたあたり、水上
生活者の舟が舫いであったのが、湊橋のたもとだったと記されていました。

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 道頓堀~中之島巡りのぽんぽん船を出している 一本松汽船の船溜まりが目につきます。

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          昭和橋を渡らずに、高層団地の一画の江戸堀川跡の石碑を
         見ながら、さらに南下します。この辺も喰うとこがない。

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 木津川橋の西詰にある説明板。もとは、川口と江之子島を結ぶ「新大橋」として架けられ、
歩道と車道を分離した初めての橋だったとのこと。そのころの川口には、大阪開市・開港に
むけて、運上所(税関)や外国人居留地が設けられ、一方の江之子島には、大阪府廳が建設され
るなど、一帯は、行政の中心地であったそうです。

 そう云えば、芦辺拓のミステリ「時の密室」も、確かこの辺りを舞台にしていましたね。

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 更に南に歩くと、旧大阪府庁跡に出ました。明治7(1874)年~大正15(1926)年、大阪府庁
がこの地にあり、極めて斬新なデザインの建物だったそうで、当時の市民は、“江之子島政府”
と称して自慢していたらしい。その頃の府庁舎は、正に海に向かう形で建っていたんですね。

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             これ、関係ない建物ですが、目を引きました。 
         P1280075

       大渉橋の南に、「トコトコダンダン」と云う施設(?)がありましたよ。

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 なんでも、段々畑をコンセプトにした遊歩道と広場のオープンスペースとか。新しい地域の
人々が生み出し、管理し、財産にしていく。そのプロセスが「末永く愛される場所」に繋がる
ことがコンセプトらしい。高層住宅群のオアシスでしょうか。

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Img_20220528_133843   ここまで歩いても、昼食は未だでしたが、地下鉄阿波座駅
  の見当がつくあたりで、ようやくありつきました。

   それでも、かつ丼定食、うどんセットです。つまらん話し
  ですが、まあ、腹を満たせばよしとします。濃い味でした。

   住宅団地群のこの辺には、やはり、食いもん屋は少ないん
  ですな。もう少し我慢して、本町まで出ればよかったなと後
  で思いました。

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2022年7月14日 (木)

中之島の蔵屋敷跡あるき ③

 朝日放送のある「ほたるまち」の南西角は、玉江橋の北詰です。

 玉江橋のたもとに解説板があり、江戸時代の「浪花百景」などの名所図会には、ここから
四天王寺の五重の塔が正面に見えたと云うのです。北側から南正面とは云え、堂島川も、この
へんでは、少し流れが南西寄りになっているので、まぁ、見えたんでしょうね。

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 玉江橋を渡ったところが「中之島バンクス」、そしてその先は、リーガロイヤルホテルです。

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 リーガロイヤルホテルの植え込みの一画に「明治天皇聖躅(せいちょく)碑」と「蔵屋敷跡碑」
がありました。碑の正面には、藩の名が標記されていませんが、この辺には、高松藩、徳島藩、
熊本藩などの規模の大きな蔵屋敷が軒を連ねていたそうです。

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 西側に回り込んだ、京阪電車中之島駅からの出口階段前には、高松藩蔵屋敷で「船入」と称
した入堀を設けて船を横付けし、荷物の揚げ降ろしで賑わうさまが描かれた“アインワーク”が
展示されていました。外から来ると、ちょっと分かりにくい位置ですね。

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        さぁ、もう少しと云うことで、堂島大橋の南詰を西に向かいます。

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 国際会議場、“グランキューブ大阪”。
 
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 堂島大橋南詰を過ぎると、ちょっと様相が変わっていました。広い駐車スペースの横では、
発掘調査が進められています。

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 その前にある味の素グループ大阪ビルの玄関には、このビルの建設に先立って行われた発掘
調査の結果などがショーウインドウに展示されていました。ここにどの藩の蔵屋敷があったの
かは定かではないのですが、沖縄産の泡盛の容器や小倉の水飴の容器も出土したとのことです。

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 この日のウォーキングのゴール地点、中之島センタービルの緑地の一画に、「玉吉稲荷」の
小さな祠が祀られています。もとは、この地にあった小倉藩の蔵屋敷内にあったものらしい。

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 今回の、大阪おもしろツアーの「中之島蔵屋敷跡めぐり」歴史ウォーキングは、ここで解散
です。案内の沖本先生、ありがとうございました。ただ、この辺には、土曜の昼食にありつけ
そうな所がないのです。どないしたもんか?あっそうや!(と云うことで、次回に続きます)

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