博物館/記念館/社寺

2024年4月 8日 (月)

近所の文化財特別公開

 地元、寝屋川市は、時々、市内に隠れた文化財の期間限定公開を催してくれます。淀川に沿った
京街道の途中にあり、淀川は、古くから人や物の移動の大動脈として重要でした。 しかし、よく
洪水も起こり、古代から明治にいたるまで近隣の人々を苦しめてもきた歴史が伝わっています。

 京阪電車の寝屋川市駅から太間(たいま)公園行きの京阪バスを降りて数分、淀川堤防に近づいた
村中にある「西正寺」が見えてきます。 

P1460548
P1460534
P1460528

 文化財公開があったのは、昨年11月でした。大輪の菊花の列が本堂へ導いてくれます。

P1460539
P1460544P1460546

  今回の公開は、「絹本着色方便法身尊像(けんぽんちゃくしょくほうべんほっしんそんぞう)」
と云う仏教画です。実物は撮影不可なので、案内パンフを撮影しました。この尊像は、浄土真宗
本願寺より下付されたもので、西正寺所蔵。裏書には、文亀2(1502)年、河内国茨田郡大間村の
願主 釈順喜と記されています。西正寺は、郷士の茨田宋左衛門が蓮如の弟子になり、釈順喜と称
し、名号を受けて開かれた寺だそうです。

 この尊像は、絹地に彩色され、中央に蓮台上に立つ阿弥陀如来が描かれ、背景には切金による
四十八条の放射状の光明が描かれています。市内最古の年号を持つ絵画であり、この地域におけ
る浄土真宗の展開を示す史料としても貴重な文化財(市指定有形文化財 絵画1号)です。

20231113130941_1-a

 そんな淀川の、仁徳天皇の「茨田の堤(まんだのつつみ)」築造に関する逸話が日本書紀にあると
のことです。何度工事しても堤が繋がらないため人柱を立てることになり、下の一か所は、武蔵の
強頸(こわくび)が犠牲になったが、上のところに指名された茨田連(まんだむらじ)の衫子(ころもこ)
は、機知をを以って生贄を免れたたと云うものです。激流に投げ入れた瓢箪が沈んだら、神の力を
信じて生贄になるが、そうでなかったら、神に力がないので生贄にはならん、と云うものです。

P1460551  「衫子(ころもこ)の絶間(たえま)跡」
 の碑が、近くの太間(たいま)天満宮の
 境内にありました。

P1460552

 
 今にも降り出しそうな空模様でしたが、境内に忘れた傘を取りに戻っている間にバスが行って
しまいました。幸い、別の駅に向かうミニバスがスグあって、やれやれでしたが、そのミニバス
路線は、地元の路線とともに、この3月で廃止になってしまいました。バスがあるから、免許証
の更新をやめよかなと思ったこともあったのに、電動アシスト自転車を買うしかないようです。

P1460554

 にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ   ご訪問、ありがとうございます。クリックといいね💛を宜しくお願いします。 
にほんブログ村  
                     (2023/11/10訪問)
ブログランキング・にほんブログ村へ   

2024年2月29日 (木)

潜入!「毛馬排水機場」

 「毛馬排水機場」の新淀川側にズラリと並んだ排水口。「淀川大堰(おおぜき)」からの眺めです。

P1510753

  古代の大阪平野は、大半が海だったそうで、いまも海抜1m以下のところが広がっています。
 右端の小さな高台は、ごみを埋め立てて出来た “鶴見緑地” です。(説明のスライドより)

  これを見ると、大坂城の京橋口あたりで、大川(旧淀川)と寝屋川、そして平野川(旧大和川)
 の三川が合流しています。大阪市内が洪水になりやすい訳ですね。そこで「毛馬排水機場」が
 大活躍するんです。逆に云うと、新淀川へも排水できなくなったら、逃げるしかないんや。

  P1510652a

 止水壁に囲まれた “秘密っぽい扉” から “怪しげな地下通路” を進みます。

P1510688P1510695

 排水機場の心臓部は、発電機です。6,000Kwの発電機3台を8,670馬力のディーゼルエンジン
3基で動かします。3階建ての建屋にありました。

P1510691

 立軸可動翼軸流ポンプは、口径が4,000mmと云う巨大なもので、6基が並んだ姿は圧巻でした。
この日、3号機が定期点検に入っていて、フル稼働になった時には、地震のような振動でした。

P1510710

 階下に潜ると、巨大な軸受けだけがあり、轟音が轟いていました。このポンプ、6基全部が稼働
すると、排水能力は毎秒330㎥で、甲子園球場が30分で満杯になるんやそうです。

P1510714P1510713
P1510663

 これ、何だったか忘れましたが、些か年代物の機器がずら~っと並んでいる様は、圧巻でした。
排水口の手前にあるゲートを操作する設備ではなかったかな? 知らんけど。

P1510707P1510719

 操作室に並んだモニターで、「毛馬排水機場」の操作だけでなく、水門の調整や閘門の開閉も
ここで行われています。保安上の監視機能もあり、前面のカメラで釣り人など施設付近にいる人
を監視したりもしています。毎月、試験稼動させているそうですが、実際に「毛馬排水機場」が
本格的に稼動するのは、平均すると、年に1回ぐらいの割合だそうです。

P1510681P1510685

   毛馬排水機場など、この辺一帯の航空写真です。(説明スライドを撮影)

  P1510925

 操作室の真上にある会議室からは、排水口のゴミ取りネットを稼動させる装置ごしに、淀川と
新淀川の接点付近が展望できます。なかなかのビューポイントです。

P1510656

P1510865  そしてこの真上は、伊丹空港への進入路
 にあたっているので、着陸機の低空通過も
 頻繁でした。

 にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ ご訪問、ありがとうございます
  クリックといいね💛を宜しくお願いします
 にほんブログ村   (2024/2/7訪問)
 
 ブログランキング・にほんブログ村へ


2024年2月26日 (月)

毛馬の「淀川大堰」

 「毛馬第一閘門」に続いて、同じ一画にある、淀川と新淀川の“境界”「淀川大堰」です。今回の
見学は、“まいまい京都” のテクテクツアーに参加したもので、普段は入場できない大堰の上にも
案内してもらいました。
 先に案内された「毛馬排水機場」の会議室の窓ごしに、淀川(右)と新淀川との“境界” とも云う
べき「淀川大堰」が望めます。

 淀川の水を支流であった中津川沿いに新淀川を開削、大阪市内へ流れていた淀川の水を直接
海に放流するようにしたのです。毛馬(けま)付近がその合流点として改修されたため、与謝蕪村の
生誕地とされる旧毛馬(けま)村のほとんどは、この水面下に沈んでいるそうです。

P1510661

   新な閘門設置工事が始まる前の淀川大堰、毛馬水門周辺の航空写真。(説明スライドより)

  P1510654

 「淀川大堰(おおぜき)」の主な機能は、大阪湾からの潮の遡上の防止、都市用水等の取水や大川
(旧淀川)・神崎川への維持用水のための水位調整、渇水時の都市用水の確保です。

 大堰前後では、1~2mの水位差があるそうです。このため現在は、淀川~大川(旧淀川)へしか
船の通航ができないのですが、淀川大堰のゲートの手前に “閘門(こうもん)” を設けて、淀川から
新淀川への船の通航を可能にするための大掛かりな工事が進められていました。

P1510832
P1510760
P1510743
P1510766

 川の中に工事のための空間を確保してから建設工事がはじまのです。新設される淀川大堰閘門
は、4隻の100人乗りの大型観光船を一度に通すことが出来る規模だそうです。

P1510773

 「淀川大堰」の上部は、延長665mの“管理橋”になっていますが、道路としては使用されていま
せん。JRおおさか東線の開業によって廃止された(本来の複線の鉄道になった)、“赤川歩道橋”
に代わって活用を望む声もあるようですが、上水道水源でもあるとかで難しいらしい。

P1510810

  「淀川大堰」の毛馬側の付け根にあるのが「毛馬排水機場」です。ここの主な働きは、天満橋
(京橋口)付近で大川(旧淀川)に流入する寝屋川水系と旧大和川水系からの洪水を新淀川に排水
することです。排水機場の内部にも案内してもらいましたが、それは次回にレポートします。

P1510756

 そうそう、この「淀川大堰」には、“魚道” もありました。段階式で、大堰の両端部に設けられ、
良好な生態環境の維持に少しでも役立つよう工夫されているそうです。(右の写真が流入口)

P1510799 P1510797

 この“管理橋”からは、現在の「毛馬水門・閘門」がよく見えます。左手の閘門は、砂利船や大阪
市内~枚方市などの観光船がよく利用しているものです。

P1510816

 大川の側から見ると分かるのですが、水門(水色)の方は、堰があって、航行できないようです。
P1510942

 次回は、「毛馬排水機場」です。私の地元、寝屋川の洪水も、結局はここが生命線なんです。 

にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ クリックといいね💛を宜しくお願いします (2024/2/7撮影) ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村  ご訪問、ありがとうございます。感想など、コメントもよろしく。

2024年2月22日 (木)

毛馬の閘門

 水位差のある川を二つの扉で仕切り、その中に船を入れて扉を閉め、その中の水位を船が出て
いく方の水位と同じしてやれば、船の通航が可能になります。この水位を調整する施設が “閘門
(こうもん)” です。
 大阪市都島区の「毛馬(けま)第一閘門」は、明治29(1896)年に着工された、日本初の大規模
河川改修工事となった淀川改修工事のなかで、淀川の舟運を守るために作られたものです。

P1510874

 「毛馬第一閘門」は、大阪港に流れ込んでいた淀川を支流であった中津川に付替えるのに合わ
せて、明治35(1902)年に着工され、明治40(1907)年に完成しています。

P1510885
P1510905
P1510897

 閘室(閘門の扉と扉の間)の側壁には、「係船環」が残されています。水位によって船をつなぐ
環の位置が変わるので、高いところと低いところに設けられているそうです。

 P1510894P1510880

      毛馬の閘門へは、大阪駅前~守口車庫の市バスで毛馬橋下車が近いですが、
     大阪メトロの天神橋6丁目駅東改札から北へ堤防に突き当たるまで15分です。

     1_20240222210701

 今は埋め立てられて公園化されていますが、かつては、ここに水が入って、船が通航していた
んですね。この閘門の扉、あのレオナルド・ダビンチが考案したと云う “マイターゲート” と呼
ばれる観音開きの型式ですが、現在の毛馬閘門は、“ローラーゲート” と云い、扉が上下に動くよ
うになっていて、水圧が掛かっている時でも、ゲートの開閉が容易なんだそうです。

P1510878
P1510875
P1510872
P1510868
P1510862
P1510856

 第一閘門の隣には、かつての「毛馬洗堰(あらいぜき)」の遺構も3門だけ残されています。

P1510848
P1510834

 在りし日の毛馬洗堰の姿のレリーフ板の隣には、毛馬に洗堰と閘門を設ける案を提出し、オラ
ンダ人デ・レーケの計画をもとに、大胆な淀川改修計画を推進した土木技師沖野忠雄の胸像があ
りました。

P1510851P1510854

 なお、毛馬第一閘門の完成後に行われた大川(旧淀川)の浚渫工事によって、大川の水位が大幅
に低下したため、大正7(1918)年に毛馬第二閘門が設けられ、水位調節は第二閘門の役割れとな
り、第一閘門は高水時に閉鎖して洪水を防ぐ役割を担うだけになったとのことです。

 その第二閘門も、現在使われている毛馬閘門の完成に伴って、昭和51(1976)年に廃止された
のですが、現役当時の姿を保った状態で保存され、河川管理用船舶の係留基地になっています。
直には辿り着けないのですが、毛馬橋から見ると、砂利船が係留されている奥の左手です。

P1510929
P1510625

 ここ毛馬の閘門は、近代化遺産「淀川旧分流施設」として重要文化財にしていされていますが、
公園として公開されており、桜の季節には、花見で賑わうそうです。次回は、毛馬排水機場です。

 にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ クリックといいね💛を宜しくお願いします (2024/2/7訪問) ブログランキング・にほんブログ村へ  
にほんブログ村    ご訪問、ありがとうございます。コメントもよろしく。

2023年10月 1日 (日)

探索、「東いもあらい」④

 「東一口(ひがしいもあらい)」は、もとは、広大な巨椋池(おぐらいけ)の西端部の自然堤防の
上に細長く成立した特権漁業集落でした。しかし、巨椋池は、宇治川や桂川、木津川の遊水池
でもあって、しばしば洪水に見舞われてきました。

 秀吉による伏見城築城の際、細かく分流していた宇治川との間に堤防を築いて巨椋池と分離
されましたが、明治期になっても水害が繰り返されたため、昭和8(1933)年から国営干拓工事
が始められ、巨椋池の水を排水して巨大な水田地帯が実現したわけです。(クリックで拡大)

Photo_20230929225301
                                 (国交省近畿地方整備局HP航空写真に加筆)

 巨椋池排水機場から「東いもあらい」バス停の方へ、排水路に沿って歩きます。

P1450396

 干拓地は排水設備が “命” です。これが機能しないと内水氾濫を招いてしまいます。

P1450398_20230929230101

 用水路(前川)沿いには桜が植えられ、季節には、ちょっとした桜名所になっているそうです。

P1450400

 この道路の高さが巨椋池のもともとの水面ぐらいとのこと。沿道の建屋は“舟屋”の風情です。

P1450409P1450402

 建物が撤去され、細く急な階段が堤防上へ連なっているのがよく分かりますね。

P1450403

 それも朽ちてくると、自然の勢いに淘汰されてしまうと云うことでしょう。
P1450406

 町名看板には、「ひがしいもあらい」とルビが振ってありました。「いもあらい」は「芋洗」と書い
て、集落への境界点にある坂道を意味するとか、魚が多く獲れて芋の子を洗うようだったから
とか云われていますが、現在では、「いも」は疱瘡のことで「あらい」は祓いの意が通説です。
そうだと、あの「豊吉稲荷大明神」が由来であると云うことになりそうです。

 でも「一口」の字を当てる意味は不詳です。巨椋池の三方が沼で、出入口が一つしかなかった
からとか、宇治川、桂川、木津川の三川がこの「一口」に集中していることに由来するとかの説
があるそうです。でも「一口」の用字は、近世以降で、中世では「芋洗」なんだそうです。

P1450413b  P1450391

 第二京阪道の高架が見えてくると、左手に「大池神社」です。大池とは巨椋池のことです。

P1450414
P1450419

 干拓後の昭和11(1936)年に創建された大池神社。かつて大池(巨椋池)に生息していた生物が
祀られています。また、「巨椋池」の石標には、昭和28(1953)年の台風で宇治川が決壊、干拓
地全体が水没して、もとの巨椋池が再現され、排水に1ヶ月を要したとのこと。その時の水位が
この碑の頂点だったと記されています。(クリックで拡大

P1450423P1450424

 現在の大池神社は、コンクリート造の覆屋で、その中に、創建当時の本殿が内蔵されています。

P1450425
P1450429

 大池神社の社頭には、広大な畑地が広がっていました。“京野菜” の九条ネギかな。

P1450427

 結局、巨椋池干拓地の安寧は、天ケ瀬ダムの建設によって、ようやく成し遂げられたようです。

 国道1号を走るようになった近鉄大久保~京阪中書島の京都京阪バスは、「東いもあらい」
から次の「国道大手筋」までぶっ飛ばして、中書島まで約15分ほど、290円でした。

P1450440

 遅くなった昼は、中書島駅前の CAFE “ゆきかぐれ”で、特製オムライス。なかなかの味わい。

Photo_20230922115201Img_20230917_130729a

 “まいまい京都” のテクテクツアーに参加した「東一口」探索。これにてお仕舞です。お疲れ~。
  
にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ クリックといいね💛を宜しくお願いします (2023/9/17訪問) ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 

2023年9月28日 (木)

探索、「東いもあらい」③

 さて、旧巨椋池の自然堤防上に開けた漁師集落「東一口(ひがしいもあらい)」ですが、水害
対策が進められると、宇治川の水の流入が抑止され、ほぼ独立した湖となったため、水の循環
がなくなり、周辺からの生活排水や農業廃水の流入で、急速に水質が悪化したそうです。

 昭和2(1927)年には、底に溜まった汚泥による蚊の大量発生で、巨椋池沿岸19ヶ村がマラリア
流行地に指定される事態になってしまいます。こうしたこともあって、干拓への機運が高まり、
干拓が食料増産に直結することから、昭和7(1932)年、国内初の国営干拓事業が始まったのです。
干拓は昭和16(1941)年に完了。(下図は「明治初期の巨椋池周辺の堤」旧山田家住宅の展示より)

P1450177_20230927231501

 干拓は埋め立てと違って、湿地などに排水路を設けて、水を抜くことです。なので、干拓後の
土地は、低いままになります。洪水はもちろん、不断の排水が適切に行われることが不可欠
です。こうした干拓地内の排水が滞ると、“内水洪水”が起こってしまうので、関連の施設には
強力な排水ポンプが設置されていなければなりません。

P1450279

 遠景は、久御山ジャンクション付近の第二京阪道。
P1450283

 東一口の「安養寺」。荒くれ者の悪次郎が精進を重ね、阿弥陀次郎と呼ばれるまでになった
と云う箕田次郎縁起が伝わっているそうです。
P1450300_20230928000001

 「東一口」のほぼ中央に坐す豊吉(ほうよし)稲荷大明神。疱瘡稲荷とも云われ、疱瘡のことを
「いも」とも呼んだとかで、地名「いもあらい」の由来との説もあるそうです。なお、この神社の
入口の社標裏面に、東京神田駿河台一口太田姫稲荷神社宮司謹書と刻まれています。太田道灌
の娘の疱瘡治癒祈願のために、山城国一口の疱瘡神社に祈願したところ、きれいに治ったので、
江戸に一口稲荷を勧請したとか云う話があって、何か符合しているかもですね。 

P1450325

 細長く続く堤防集落のなかを抜けて進みます。

P1450327P1450330P1450332P1450338

 家並が途切れると、巨大な排水ポンプ場(巨椋池排水機場)が姿を現します。昭和28(1953)年
の台風で、宇治川が決壊し、排水機場のポンプにも浸水して、水が引くのに1ヶ月を要したん
だそうです。現在の排水機場は、二代目で、平成17(2005)年に完成したもの。

P1450343
P1450346

 排水機場へ行く前に、宇治川の堤防に上がってみました。ずいぶんな高さです。

P1450348
P1450361

  宇治川の対岸には、京都競馬場がありますが、場内にある池も、巨椋池の一部が取り込まれ
た遺構なんだそうです。

P1450358
P1450365
P1450368P1450369

 排水機場に併設された「巨椋池まるごと格納庫」は、巨椋池の歴史や映像、模型の展示場。

P1450372P1450377

 かつての巨椋池に密生していた蓮も復元栽培されていました。ちょびっとだけですが。

P1450380

 構内には、昭和9(1934)年に設置の初代排水ポンプ10台のうちの1台が保存されています。
揚水量3,000㎥/秒で、平成17(2005)年にその役目は新配水機場にバトンタッチされました。

P1450363
P1450386
P1450389

 とにかく、埋立地ではなく干拓地なので、土地は低いままなんですね。不断の排水が命です。

 にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ クリックといいね💛を宜しくお願いします (2023/9/17訪問) ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2023年7月 3日 (月)

京/西山の柳谷観音

 花手水と紫陽花アンブレラがクローズアップされる柳谷観音ですが、他にも色々ありました。

Dscf2995
Dscf3151
Dscf3183

 本堂脇に、行列ができていました。何か分からんまま、なんとなく並んでみました。

Dscf3147

 中陽門の先の階段には、色とりどりの紫陽花が並べられていて、その撮影者が行列を作って
いたのです。撮影者が多いこともあり、紫陽花脇の石段を上るのは憚られますなぁ。とは云え、
左手の通路を上がっても、上の鳥居の所を通るので、上から見降ろす人がいると、難儀でした。

Dscf3139
Dscf3144

 奥の院の近くに置かれたベンチには、“猪の目”の窓が穿ってありました。

Dscf3099Dscf3095
Dscf3172Dscf3169

 これも、“映え”を狙ってか、小さな石仏がカラフルな和傘の脇に鎮座していました。

Dscf3072
Dscf3085Dscf3094
Dscf3162
Dscf3174
Dscf3196

 帰りも、ジリジリとした日差しの中、かなり待っていると、「GO」予約のタクシーが来て、
それにシェアさせてもらい助かりました。でも、離合困難な狭い山路をシャトルバスも上がっ
てくるので、渋滞に拍車が掛かり、いつもの倍の時間を要しました。しょうがないけど。

 にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ クリックといいね💛を宜しくお願いします (2023/6/17訪問) ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 

2023年5月18日 (木)

合気道の創始者は “田辺の偉人”

 紀伊田辺の3偉人と云えば、伝説の豪傑「弁慶」、エコロジストの先駆/博物学者「南方熊楠」
ともう一人、合気道の創始者「植芝盛平(うえしば もりへい)」だそうです。でも「植芝盛平」の
ことは、ほとんど知りませんでした。JR紀伊田辺駅横にある田辺市観光センターで「たなべの
三偉人を巡る旅」のパンフレットを貰いました。(下のイラストは、そのパンフからの抜粋)

_21_20230517224001_3_20230517232701

 紀伊田辺駅から歩10分、扇ヶ浜にある「植芝盛平記念館」の玄関前には、盛平翁の像が建立
されています。この像が変わっていると思うのは、翁の尊顔が横向きで、正面を向いていない
のです。でもこれ、合気道の「転換」の動作なんだそうです。

P1380824
   P1380832

 植芝盛平翁は、1883年、田辺市に生まれ、様々な武術遍歴と精神修養を重ねて、独自の
武術を創始。のちに「合気道」と名付けられたその武道は、世界140の国と地域に拡がって
いるそうです。徒に強弱を競わず、互いに切磋琢磨して心身を磨くことが「目的」と云う。

P1380841

 もっとも、この記念館は、「田辺市立武道館」に併設された施設と云うことになります。

     P1380845

 館内は、ガラスケースに入っている展示物(硯とか)以外は、撮影可とのことでした。

P1380847
P1380852P1380855
P1380861 
  北海道に入植し、村会議員に当選も。

P1380860
P1380865
P13808721

 植芝盛平翁が足跡を残された地は、生誕の田辺市のほか、北海道白滝村(現/遠軽町)、京都府
綾部市、茨城県岩間町(現/笠間市)の4ヶ所があり、「合気道」誕生に深く関わった場所として、
2008(平成20)年に友好都市提携が締結されたとのことです。

P1380870

 この記念館には、合気道を体験するコーナーがありました。上映される映像を見ながら、
合気道の基本となる「構え・歩法」、「座法」、「体さばき」の3つを体験できます。それ
ぞれ、「お手本を見る」⇒「実践」⇒「確認」の各ステップで体験することができました。

P1380875P1380880
P1380885P1380881

 記念館の屋上からの扇ヶ浜の光景です。扇ヶ浜は、お正月のニュースで、寒中水泳の映像が
流れる場所だそうです。この日(3/22)はいい天気で、午後の太陽がまぶしかったです。

P1380906

 植芝盛平翁の墓所が、田辺市内の高山寺(こうざんじ)にあると聞き、さっそく足を延しました。
このお寺は、植芝家の菩提寺だそうです。

P1380916P1380919
P1380932
P1380962

 墓所の近くには、あの南方熊楠の墓もありました。この一帯は、史跡「高山寺貝塚」の一画
にあって、小高い墓地公園のような感じです。市内の五反田古墳の石室も移設されていました。

P1380968P1380950

 JR紀伊田辺駅頭で「植芝盛平翁記念碑」を見ることは再々ありましたが、その謂われを訪ね
たのは、この日が初めてでした。(地図は、植芝盛平記念館のパンフより抜粋)

Img_20230322_124025-1Photo_20230518110901

 にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ クリックといいね💛を宜しくお願いします (2023/3/22訪問) ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村       

2022年12月 5日 (月)

“やんたんライナー”の旅② 茶祖の生家

 かつては温泉地であったと云う、茶の里、宇治田原の湯屋谷(やんたん)には、日本緑茶の祖、
永谷宗円の生家が残されていました。“やんたんライナー”の終点から歩いて20分ほど、谷道を
上がったところ。地元の方々によるお接待を受けながら、色々と話し込んでしまいました。

P1340060
P1340095
P1340097
P1340103P1340110

 低温で時間をかけて煎じたお茶を出していただきました。いつもとは、まるで違う味わい。
宗円さんの新製法では、澄んだ黄緑色となる特徴から、「青製煎茶」とか「宇治製煎茶」と
呼ばれ、江戸での販路開拓では、あの山本山(当時は山本屋)が賞賛し、「天下一」と名付
けて販売したところ、爆発的な人気となったたそうです。

P1340124

 その室内には、宗円さんが使用していたと云う「焙炉(ばいろ)」が保存されていました。

P1340115
      P1340117

 囲炉裏の傍らには、新茶行事で使う製茶道具や復元された焙炉もありました。下から炭で
熱し、格子の上に広げた和紙の上で、蒸した茶葉を揉みながら乾燥させるんだそうです。

P1340119
P1340113P1340125

 本能寺の変のあと、堺にいた家康が三河へ急いで戻ったと云われる「家康伊賀越えの道」は、
宗円さん生家のスグ北側に通じていました。

P1340132

     52_20221205232601
                                     (地図は京都京阪バスのHPより抜粋/加筆)
P1340158
   “やんたんライナー” でやんたんを訪ね
 ると、下車時にちょっとした特典引換券
 がもらえましたよ。

  にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ   クリックといいね💛を
   にほんブログ村   よろしくお願いします
          
   ブログランキング・にほんブログ村へ    (2022/11/27訪問)

2022年10月17日 (月)

九品寺から「役行者」生誕の寺へ

 彼岸花の時期には、近鉄御所駅から九品寺(くほんじ)を経て名柄への臨時シャトルバスが
あって便利です。九品寺は、聖武天皇の勅により行基が開いた寺だそうです。寺名の九品は、
サンスクリット語だそうで、布教で云うところの上品・中品・下品で、人間の品格を表して
いるらしい。それぞれに上中下があるので、全部で九品になると云うわけです。

P13206542   
                 P13206562
P13206592
         P1320677 行基像
P1320675

 九品寺から名柄へ臨時シャトルバスで移動、さらに “葛城の道”を歩いて、通称“伏見丸池”
の彼岸花を見に行きました。しかし、ここの彼岸花は早くに枯れていて、遅過ぎました。

P1320830

 ここからの帰りは、コミュニティバスに乗れそうです。最寄りは「高天(たかま)口」と云う、
いわくありげなバス停でした。1日3便ですが、それも来年早々には、デマンドタクシーに
変更が決まっているそうです。14:50のバスで市役所前まで行くことにしました。

        P13208491  
        3_20221012212101       
        P13208551
 
 なんか、ぐるぐる回って着いた市役所前から、大体の見当をつけて歩きます。葛城川の
堤防の遊歩道を大橋のところで降り、うだつが上がる旧家の間を進みます。

        P1320857

 葛城川を渡り、“ごせまち”と呼ばれる歴史的な寺内町を横断すること20分、吉祥草寺は、
東のはずれにありました。

P13208591P1320861
P1320862
        P1320863

 “ごせまち”の東の住宅地を抜けた先に、忽然と「吉祥草寺」の山門が見えました。ここ茅原
の地は、修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ=役小角)の生誕地とされ、この寺の名前は、
役行者が吉祥草(きっしょうそう)と云う草を用いて仏神を祀ったことに由来するらしい。

P1320866
P13208692

 堂内の撮影は禁止ですが、この萌えキャラ「役小角奈」の等身大パネルは、撮影可でした。
吉祥草寺では、萌えキャラを公認、山伏を招いて入魂の儀を実施して、信仰の対象になって
いるそうで、役行者(役小角)の子孫に認定され、等身大フィギュアが本堂に祀られています。

        P1320876

 本堂の奥にある“道場”だと云う建物に、派手な扁額。入ってみると、大広間の一画に簡易的
な仏壇が置かれ、注意書きの看板がたくさん並んでいました。檀家がないとかで、建て直しの
資金集めにも苦労されているようです。萌えキャラクターの信仰化もその打開策ですか。   
P1320874

 毎年1月14日には、1,200年続くと云う左義長(とんど)が行われて賑わうそうです。

          P13208951 (境内の案内板より)  
        
P1320872

 帰りは、JR和歌山線で王寺から天王寺へ出ることにしました。日に3本のコミュニティバス
の茅原停を経て、JR和歌山線の玉手駅まで、歩5分でした。    

        P1320889
 P1320897P1320892

 実際に乗ったのは王寺行でしたが、撮れてなかったので、逆方向の五条行でお茶濁しです。

 にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ クリックといいね💛を宜しくお願いします (2022/9/30訪問) ブログランキング・にほんブログ村へ 
にほんブログ村

無料ブログはココログ
フォト
2024年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

最近のトラックバック