「物集女車塚古墳」② 石室へ潜入
さて、今回の一般公開の最終グループ5人の順番になりました。石室入口の前でレクチュア
を受けます。“畿内型” と云う6世紀前半以降に近畿地方で流行ったと云う横穴式石室です。

玄室の空間は、西側に袖石(そでいし)を置き、均一な幅の長めの羨道(せんどう)があります。
次の写真が石室入口から中の方を写したものです。白い照明の奥の仕切られた奥の空間に
置かれた石棺が覗いています。天井は高く、屈まないで歩けました。


この石棺は「組合せ式家形石棺」と呼ばれ、二上山(奈良と大阪の境にある死火山)で採掘
された凝灰岩10枚の板材を組合せたもの。部材の側面には “縄掛け突起” があり、現状でも
石棺が赤く染まっているのが確認されます。この赤みには、ベンガラ(弁柄)と呼ぶ赤色顔料が
用いられ、より貴重品であった辰砂(水銀朱)でないことから、被葬者の地位が想像されます。

照明による仕切りの奥へは立ち入れないのですが、手前からで充分です。
上向きにカメラを構えました。天井部もしっかりとした石組みの天板が組み合わされています。
石棺内から発掘された副葬品の写真が掲出されていました。ガラス玉などの装身具、刀や
鞘、馬具と云った武具が納められていたそうです。日本書紀にある「弟国宮(おとくにのみや)」
に関連して、継体大王の擁立に寄与した有力者を葬ったようです。石棺の後、3人が木棺に
納められて追葬されているそうです。
石棺前から石室入口の方を振り返りました。長い羨道です。葬送の場でもあったんでしょう。

帰途、物集女街道を南下して阪急
東向日駅へ向かう途中の街道脇に、
たくさんの石仏を集めた祠がありま
した。
街道の拡幅工事とかで出土したの
を集約されたんかな。もっと以前から
のもんなんかな。
阪急高槻市駅から京阪バスで枚方大橋を渡るとき、印象的な雲が輝いていました。
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