歴史・遺跡・現説

2026年8月 3日 (月)

「物集女車塚古墳」② 石室へ潜入

 さて、今回の一般公開の最終グループ5人の順番になりました。石室入口の前でレクチュア
を受けます。“畿内型” と云う6世紀前半以降に近畿地方で流行ったと云う横穴式石室です。

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 玄室の空間は、西側に袖石(そでいし)を置き、均一な幅の長めの羨道(せんどう)があります。
次の写真が石室入口から中の方を写したものです。白い照明の奥の仕切られた奥の空間に
置かれた石棺が覗いています。天井は高く、屈まないで歩けました。

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 この石棺は「組合せ式家形石棺」と呼ばれ、二上山(奈良と大阪の境にある死火山)で採掘
された凝灰岩10枚の板材を組合せたもの。部材の側面には “縄掛け突起” があり、現状でも
石棺が赤く染まっているのが確認されます。この赤みには、ベンガラ(弁柄)と呼ぶ赤色顔料が
用いられ、より貴重品であった辰砂(水銀朱)でないことから、被葬者の地位が想像されます。

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 照明による仕切りの奥へは立ち入れないのですが、手前からで充分です。

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 上向きにカメラを構えました。天井部もしっかりとした石組みの天板が組み合わされています。

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 石棺内から発掘された副葬品の写真が掲出されていました。ガラス玉などの装身具、刀や
鞘、馬具と云った武具が納められていたそうです。日本書紀にある「弟国宮(おとくにのみや)」
に関連して、継体大王の擁立に寄与した有力者を葬ったようです。石棺の後、3人が木棺に
納められて追葬されているそうです。

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 石棺前から石室入口の方を振り返りました。長い羨道です。葬送の場でもあったんでしょう。

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   帰途、物集女街道を南下して阪急
  東向日駅へ向かう途中の街道脇に、
  たくさんの石仏を集めた祠がありま
  した。
   街道の拡幅工事とかで出土したの
  を集約されたんかな。もっと以前から
  のもんなんかな。



 阪急高槻市駅から京阪バスで枚方大橋を渡るとき、印象的な雲が輝いていました。

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2026年7月30日 (木)

「物集女車塚古墳」の石室へ ①

 京都府向日(むこう)市の物集女(もずめ)町にある前方後円墳「物集車塚古墳」は、物集女
街道に沿った住宅地の一画にありました。5月に石室公開の受付に応募、最終日の6月7日
にギリギリで参加できたんです。阪急電車東向日駅から北西へ歩いて20分ほどでした。

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 「物集女車塚古墳」は古墳時代後期(6世紀中頃)の前方後円墳で、全長46m、墳丘の高さ9m
の比較的小振りな古墳です。西側から延びる尾根を利用して築かれ、淳和天皇の棺を運んだ
車を埋めたとの言い伝えから “車塚” とも呼ばれているそうです。大王に仕える地域の権力者
の墓と考えられ、この時代以降に流行したとされる横穴式石室(畿内型石室)を持っています。

 長い通路(羨道)と広い部屋(玄室)からなる横穴式石室では、玄室は被葬者への送りの儀式
の場であり、その後に近親者が亡くなると、その亡骸をも納めていたらしい。つまり複数の人物
を一つの場所に葬ることができる画期的なお墓であったそうです。

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 古墳の上に、印象的な一本の杉が立っています。奈良県高取町の「市尾墓山古墳」には
イロハモミジでしたが、規模と墳形と墳頂の一本の木が似通っているとの印象です。
 ですが、あちらは田圃の中の土盛りで、こちらは密集した住宅地にあるのが大違いです。

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 狭い石室なので、5人ずつ入るのですが、指定された集合時刻まで余裕だったので、古墳の
周囲(住宅の周回道路)を、南側から時計回りに歩いてみました。
 
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 北側の前方部は、昭和元(1926)年の物集女街道の拡幅工事の際に一部が削られて擁壁に
なっていました。国指定史跡として整備されてはいますが、まぁ、しゃあないんでしょうね。

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 集合時刻になりました。今年の「石室公開」最終班が石室への階段を上ります。(続きます)

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2026年5月25日 (月)

“美形”「市尾墓山古墳」の石室へ

 奈良県高取町の「市尾墓山古墳」の石室限定公開の知らせをFBで知り、さっそく申請書を
FAXしました。以前、この石室が “夜間公開” されたことがありました。石室の入口から強い
西日が射すのを避けるためとのことでしたが、その時は都合がつかず、行けなかったんです。

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 単線の近鉄吉野線の市尾駅は無人駅でした。駅周辺は帰途にユックリ撮ろうとサボったら、
復路は駆け込み乗車になってしまいました。(なので、駅周辺の写真はありません)
 駅から北へ5分ほど進んだ古道の四つ辻に、見えにくくなった案内標識がありました。

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 一面に広がった田圃の真ん中に、忽然と姿をあらわす可愛らしい古墳。平地に粘土を固め
て築造されたそうで、墳丘の一段目と二段めの間の “テラス” に埴輪列が出土したそうです。

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   11時の案内を申請していましたが、
  少し早く着きました。誰もいません。
   初め、円墳のように見えていたんで
  すが、踏み跡をつたって周囲を歩いて
  行くと、前方後円墳の形が現れます。
  
   「市尾墓山古墳」は全長70m、高さ
  10m、2段の墳丘を持ち周濠と外堤を
  合わせると全長100mの規模とのこと。


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  時間になると教育委員会の方が来られ、厳重
 な鉄扉を開けてくれました。一人のために。

  石室内のすごい高湿を維持するため、二重扉
 になっていました。
  (左の記事は石室階段下の説明板より抜粋)   

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 羨道の奥に石棺が見えました。振り返ると二重扉からの強い陽射しが湿度で煙っています。

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 羨道を進み、玄室に入ります。家形石棺の左手前部分の補修跡が鮮明過ぎますね。

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 用材は、やはり二上山周辺の凝灰岩だそうです。出土遺物から6世紀初めの古墳時代後期
を代表する古墳とされ、この地域に権力をもった豪族が葬られていたらしい。

 天井に架けられた大きくて平らな石を見上げると、ボツボツとした水滴が光っていました。
多湿な石室環境での結露のようです。また石棺の奥壁には、小さめの石が積み込まれていて、
羨道奥を後から閉塞させたかのようでした。(次の1枚はクリックで拡大します)

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 じっとりとした石室内を出て、墳丘に上がってみました。後円部と前方部の境目の墳頂近くに
一本のイロハモミジが植わっていて、“翼菓” が揺れていました。風に吹かれるとクルクル回っ
て遠くまで種が飛んで行くらしい。

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  石室内の見学を終えると昼近くになっていました。市尾駅近くにもどると、電車が停まって
いるのが見えました。単線なので交換待ちしているようです。次は30分後になるので、急いで
駆け込みました。そのせいで、市尾駅周辺で撮るのを失念してしまいましたよ。
 お昼は、橿原神宮前駅構内で ニシンそばセット。柿の葉寿司をお土産にしました。

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2026年3月23日 (月)

世界遺産/百舌鳥「長塚古墳」に上ってきた

 堺市民ではないけど、堺市電子申請システムから応募していた「百舌鳥古墳群特別公開」
の3/20(祝)分に当選できたので、JR阪和線の百舌鳥(もず)駅に降りました。集合場所が少し
分かりにくい横筋を入ったところで、20分刻みの説明を聞いてから、グループ単位で墳頂に
案内されました。なにせ “世界遺産” なので、普段は立ち入れない場所なんです。

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 集合場所の前方左手が「長塚古墳」の “前方部”、真ん前が中央部、右側が “後円部” です。

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 まずはじめに、遺物の展示を見せてもらいながら「長塚古墳」の特徴などを聞きます。墳丘
の全長が106mあり、仁徳(大仙)陵の1/10ほどの規模で、一時は仁徳陵の「陪塚(ばいちょう)」
かと云われたそうですが、この古墳自体の「陪塚」があったため、今では独立した古墳とみな
されています。二段構造の墳丘南側のくびれに「造り出し」があるが、住宅地が直近まで迫っ
ていて、周濠は既に跡形もない。後円部は高さ8.2m、直径57m、前方部の幅は67mある。

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 この古墳からは、埴輪などのまとまった遺物の発見がなく、ほとんどが破片とのこと。しかし
こうした埴輪や土師器の編年から、5世紀中ごろに築造された古墳であると分かるらしい。

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 さていよいよ “墳丘” に登頂です。少し百舌鳥駅の方に戻って、二重フェンスに囲われた中
に入りました。おや、入口近くの石柱、なんか変ですよ。


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 左のには「史跡長古墳」、右側のには「仁徳天皇御陵」とあります。聞くと、右のは道標で、
以前はJR百舌鳥駅近くにあったのが道路整備で移設されたんだそうです。左の「長古墳」
は、旧法での史蹟指定の際の仮名称で、現行の文化財保護法では「長古墳」で史跡指定
されているとのこと、近くに同名の古墳があったりしてややこしいからかも。JR大阪環状線の
「桃谷駅」が当初は「桃山駅」だったような事情があったのかも。

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 丁寧に設えられた仮設階段を上ります。大木は倒壊の危険回避のため伐採している由。

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 墳頂部は、平面がなく、案外狭い感じです。直近に迫った民家への配慮で、目隠し目的の仮
のフェンスで囲われていましたが、南面側は、道路と鉄道なので、見晴らしがよかったですね。

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 世界遺産百舌鳥・古市古墳群に含まれる「長塚古墳」特別公開と云っても、普段立ち入れ
ないエリアに入って、墳丘を上って墳頂にて、しばし佇んできただけでしたが、この墳頂の下
2.5mほどのところには、石室らしきものが地中レーダー探査で確認されているらしい。

 ふと見上げると、大仙公園で上げられている観光気球が浮かんでいるのが見えました。
堺市民以外は 4,000円するらしい。

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2026年2月23日 (月)

あの「箸墓古墳」で二つ目の “渡り土堤”

 卑弥呼の墓かとも云われている「箸墓古墳」で、また “渡り土堤” が検出されたとの報に接
したので、2月21日の現地説明会に行ってきました。奈良方面加茂行の大和路快速で王寺へ
行き、和歌山線・桜井(万葉まほろば)線経由で巻向(まきむく)駅まで、2時間ほど要しました。

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 「箸墓古墳」は、纏向(まきむく)遺跡の南端にある全長280mの前方後円墳で、3世紀中頃~
後半に築造された大型前方後円墳のなかで最古級のものとされています。例によって宮内庁
が「太市墓」として第7代孝霊天皇皇女の墓に治定していて、墳丘への立ち入りは禁止です。

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 それもあってか、発掘現場見学の前に、古墳近くの広場に集合して説明会が1時間ごとに
催されていました。説明を聞き終わったら、資料に付された連番により、100人ずつ移動です。
 
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 墳丘内の調査が出来ないため、外縁部の調査に限られるのですが、桜井市教育委員会は
1998年の調査でも後円部に “渡り土堤” を検出していて、今回は2例目と云うことです。ただ、
1つ目の “渡り土堤” には葺石があったのに、今回のには葺石がなかったので、その違いが
何によるものか、興味のわくところではありますが、“渡り土堤” には墳丘への通路としての役
割りと傾斜地に築造された古墳の周濠に水を溜めるための仕切りの役割りの2つが考えられ、
後者の場合には、葺石をしていないだけかも知れませんがね。

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 説明が聞き終えたら、最近 “葺石” が露出することが多くなったと云う箸墓(はしはか)古墳の
裾野を迂回、遥拝所の先の狭い発掘現場に移動しました。

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 発掘現場は、割とコンパクトなものでした。今回の発掘は、現地で駐車場を拡張造成するの
にともなうものだそうで、スグまた埋め戻されてしまうんんでしょうね。多分。

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 寒かろうと着込んできたのにクソ暖かくて参ったのですが、このあと大神神社大鳥居近くの
「桜井市立埋蔵文化財センター」まで歩いたんですよ。(下の2葉はクリックで拡大します)

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 なお、現地説明会の翌日に同現場を訪ねた知人のY谷さんから、その時の写真を借りました。
ビニールシートでしっかり梱包されてるんですね。それ、見たことなかったので載せときます。


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2025年12月22日 (月)

藤原宮でも 現地説明会

 11/8~9の飛鳥宮跡に続いて、11/29(土)には、橿原市の「藤原宮跡」でも大極殿院の西門と
西面回廊の発掘調査現地説明会がありました。藤原宮跡へは、いつも、近鉄八木駅11:00発の
コミバスに乗ります。行きは便利ですが、便数が少なくて、帰りは難儀です。

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 藤原京「大極殿院」は、藤原京の中心部にあり、大極殿院西門と西面回廊の発掘調査によって、
その東西規模が回廊の棟通り間で117m(400尺)だったことが確定、古代日本の宮都の構造を示
す重要な成果が得られた(奈良文化財研究所都城発掘調査部)と云うことです。

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 大極殿院西門付近では、礎石据付痕跡を検出。遷都時に抜かれたであろう礎石の下の“根石”
を見つけたと云うことですね。

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 西面回廊では、回廊に用いられていた礎石と礎石据付痕跡を検出、藤原宮造営時の土の上に、
拳大の河原石からなる根石が残っていたとのことです。

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 西面回廊に用いられていた礎石。本来の位置からズレた場所に捨てられていた?ものらしい。

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 完全な形の壺を埋納した土坑を検出、土器は弥生時代末期のもので、形や文様に吉備地域の
影響が見られるものだそうです。

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 西門の西で東西3.6m×南北2.9mの瓦と礫敷きを検出、藤原宮造営時の土面の“舗装”らしい。

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 回廊建物復元図(左)と遺構平面図(説明会での掲出資料より)クリックで拡大
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 この日、実施された発掘担当者による説明は、いつになく熱がこもったものでした。今回の発掘
によって、西門と西面回廊の規模や接続状況を確定することが目的だったそうですが、基壇や造
営に関連する遺構は検出されず、やや期待外れっぽい感じに思いました。

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 さぁて、13:02までバスがありません。ええぃとばかり、耳成駅まで30分ほど歩くことにしました。
そしてその足で、桜井駅から談山神社に向かったと云うわけです。その場の思い付きでした。


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2025年12月18日 (木)

飛鳥宮跡での発掘現地説明会

 史跡 飛鳥宮跡で続けられている発掘調査で、内郭南区画の中心建物の規模と構造が確認で
きたと云うので、11月8日、橿原神宮前駅から石舞台方面への “赤かめバス” で現地説明会に
行ってきました。

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 今回の発掘は、「飛鳥宮跡 第192次調査」と云い、奈良県立橿原考古学研究所によるもので、
規模的には、ちょっとコンパクトな感じの発掘調査現地説明会でした。

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(下図はクリックで拡大します/説明会資料より)
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 今回の発掘調査の成果としては、内郭の主要建物である前殿の様相が明らかになったそうです。
確認された掘立柱建物は、桁行20m×梁行11.2mの四面廂建物であることが確定したとのこと。

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 周囲の石敷きが側柱の柱通りまで設置されていて、内側の石敷きが外側より一段高くされるなど、
格式高い装飾が施されていたとのこと。

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 遷都に伴って抜き取られた柱跡(底)に残る僅かな敷石を検出することがポイントだそうです。

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 この内郭南区画は、天皇が儀式や政治を執り行った公的空間だったんだそうです。

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2025年11月24日 (月)

「妙見山煙突」枚方の “戦争遺構”

 昭和30(1955)年に始まった日本住宅公団による香里団地建設の地は、かつて兵器用の火薬
を製造していた工場の跡地なんだそうです。うっすらとは聞かされていたんですがね。その跡地
の一画に残されている「煙突」の見学会を枚方市が催すと聞いて、行ってみました。

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 この煙突は、宇治にあった火薬製造所から奈良線~片町線経由で香里製造所へ送られてくる
湿った火薬を乾燥させて完成品を製造するためのスチーム用石炭ボイラーの煙突だったそうです。
直径2m、高さ20mもあり、平成20(2010)年度に耐震補修工事済みとのこと。

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 なんでも、煙突に取り付けられたトゲトゲのようなのは、これに樹木の太枝を取り付けて、大木
に見えるよう偽装、米軍機からの攻撃を避けようとしたんだそうです。ほんまかいな?

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 妙見山の麓に広がる香里団地。昭和初期には、住宅地はなく、山と谷が “誘爆” を防止するの
に役立つ天然の土塁のような地形だったそうです。国鉄片町線と奈良線で結ばれた砲兵工廠~
香里~宇治などの関連施設のネットワークの一環として、香里製造所があったんですね。

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   (枚方市の戦争遺跡ガイドより抜粋/補記)
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 現在、妙見山は、枚方市水道局の配水池になっていますが、この一画だけは住宅団地の計画
から外れたそうで、この煙突だけが撤去されずに残されたそうです。昭和57(1982)年、枚方市は、
府下初の “非核平和都市宣言” をして、この煙突をシンボルとして保存することにしたとのこと。

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 京阪電車香里園駅から香里ケ丘八丁目行のポンチョで20分、八丁目北で降りればスグ前でした。
なお、砲兵工廠と引込線をweb探索していたら、下左の略図を見つけましたが書籍には収載されて
いませんでした。(香里と宇治の関連が分かりやすいと思い、転載しておきます)

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2025年11月20日 (木)

「中振北遺跡」は 京阪/光善寺駅のそば

 大阪府枚方市の「中振北遺跡」は、京阪電車の連続高架化工事に関連した事前調査で発見さ
れた中世を主とする遺跡です。今回の8次調査では、平安後期~室町時代のものと推定される
建物の柱穴や井戸、区画溝など、中世の “街道町” の一画が発見されたとのこと。枚方市観光
にぎわい文化財課の担当者の説明の声が気持ち上ずっていましたよ。

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 この「中振北遺跡」は、京阪電車の光善寺駅のスグそばに位置しています。(クリックで拡大)

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 図は説明会での配布資料に補記

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 多くの井戸跡が重なって検出されています。方形の井戸枠と桶状の井戸枠が3基ずつ重なって
いる箇所もあり、平安後期から室町時代にかけて、同じ場所に連綿と造り替えられてきたらしい。

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 調査区画の北西部には、数多くの柱穴が密集している箇所があり、建物が何度か建て替えら
れたことが見て取れます。こうした柱穴や井戸が同じ場所で重なっているのは、域内がエリアで
使い分けられ、人口集中によって、都市的な街へと発展していった様子がうかがえるとのこと。
 
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 下の写真の手前側にある溝は、幅2m,深さ80cm,長さ17mもあって、調査エリア外に続いている
状況が検出されていました。住宅などの“区画溝” と考えられるようです。

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 土師器や瓦器などの食器類、須恵器の鉢や甕(かめ)と云った日常生活道具のほか、中国伝来
の青磁や白磁も検出されていて、ここに住んだ人々の経済力の高さがうかがい知れるそうです。

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 こうした中世都市の発展に目をつけたか、「中振北遺跡」の西方には、浄土真宗の蓮如が建立
した出口御坊(光善寺)があって、河内街道に繋がる東西道が通じていたとのことなので、ちょっと
した “門前町” の様相であったのかも知れませんね。寝屋川市駅まで戻って小休止です。

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 そうそう、光善寺駅は、京阪電車屈指の急カーブ地点にホームがあるんです。かつての門真駅
の急カーブを覚えている者にとっては、何てことないと思うのですが、高架化されたら解消らしい。

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2025年7月14日 (月)

西神戸の「五色塚古墳」

 JR神戸線と山陽電車の垂水駅から山手への坂道を縫うように15分ほど歩いて住宅地を抜けた
ところに、復元された「五色塚古墳」がそびえていました。ちょっと天気が怪しくなってきました。

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 全長194mの五色塚古墳は、兵庫県最大の前方後円墳です。明石大橋を望む台地の上に築か
れていて、深い周溝と浅い周溝で二重に囲われていました。4世紀の終わりごろ、この古墳に葬ら
れた人物は特定されていないそうですが、その巨大さからも、明石海峡とその周辺を支配してきた
豪族の長(おさ)であったろうと考えられています。

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 五色塚古墳で注目されるのは、なんと云っても葺石と埴輪の多さでしょう。一番下段の葺石は、
付近のものだそうですが、中段り上の葺石は、淡路島東岸に産するものと云うことです。

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 後円部の最後の階段を上がったところは、平坦な “広場” のようになっていました。

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 そして、この “広場” からの眺望が素晴らしい。いにしえの支配者も、明石海峡を見降ろすこの
高台を支配の拠点として重要だと直感したんでしょうな。

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 古墳南側のスグ下を山陽電車が駆け抜けてゆきます。静かな中に、心地よいアクセントです。

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 ひるがえって、前方部の先端から後円部を眺めます。周囲のマンション群に負けない威容ですね。

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 明石大橋と淡路島がスグそこに見えます。猛禽と思しき大きな鳥が目に入りました。

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 なんとか雨に会わずに済みました。遅~い昼は、垂水駅近くの吉野家で牛タン御膳にしました。
それにしても、復元埴輪の全てが樹脂製だったのは、些か艶消しでした。(地図は案内看板より)

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