旅行・地域

2024年5月23日 (木)

➍ 雁多尾畑からの帰りしな

 昨年5月に、たまたま大和川切替え地点の堤防で見掛けた「松谷御堂」の石標から始まった興味
の先に、雁多尾畑(かりんどおばた)と云う難読地名の邑落があることを知りました。しかもそれが
大阪府柏原市の山地にあり、地元のコミュニティバスが通っていると云うので、今回、行ってきた
わけです。マイカーを諦めた後なので、公共交通機関があるのはありがたいことです。

 雁多尾畑から降りてくる途中にあった粋な「堅上駐在所」。でも、駐在所なんやねぇ。

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 だいぶ平地に降りてきたところ、青谷です。そこには「金山彦神社」。崖の上の「金山媛神社」
ともども、延喜式内社です。祭神の金山毘古神は、火の神との関係が深く、鉄工、金属業、炊事、
土木など火に関わる産業や生活の繁栄と安全を願う人々の篤い信仰を集めているそうです。

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 神社の略記によると、古代、このあたりは、製鉄業で栄えていたそうですので、製鉄の守護神
として奉祀されたものでしょうか。製鉄には、それに適した風が得られることが必要だったとか
で、神社の北方の高地には、風神降臨の聖地としての伝承もあるそうです。

 境内にある説明板には、平成10(1998)年の「古代たたらの復元」が記録されていて、ここに
たたら炉が築かれ、一昼夜かけて27kgの鉄塊を得たとのこと。出雲の話しかと思いましたな。

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 金山彦神社の前は「大池」と云う溜池です。貴重な水源だったんでしょうね。

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P1530790  「大池」の先で、高井田方面と河内堅上駅
 方面とが分岐していました。歩きなので左折
 して、河内堅上駅へ向かいます。
 

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 「打越行者堂」の前で左折すると、もう河内堅上駅へは一本道です。この行者堂は、大峰詣りに
行く人が行者講をつくり、ここで身を清めて出立したそうです。石柱の一つは江戸時代のもの。

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 亀の瀬へと続く「竜田古道」の一つ。駅はスグそこです。

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 河内堅上駅頭の駅銘板は、なんと紺藍白抜きのホーロー製。ICOCAも使えます。一応。

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 JR難波行の普通電車。国電201系が頑張っています。これに乗って、柏原駅まで行きます。

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 柏原駅で近鉄道明寺線に乗り換えて「柏原南口」に降りました。そう、大和川切替え地点です。

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 このホームから「松谷御堂」の石標が直視できます。右手の灯籠は金毘羅灯籠だそうです。この
「松谷御堂」って、何やねんと云う疑問が始まりでした。石標には、是より37丁とあります。

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 堤防にやってきました。「雁多尾畑(かりんどおばた)」は、向いの山地の尾根近くです。石標
越しに臨むと、この石標の真正面でした。堤防から直接降る石段もありましたが、段幅が狭くて
急過ぎるのに加え、草叢に覆われていて滑りそうなので、踏切を越えて、右手へ迂回しました。

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 柏原~道明寺~古市をつないだ河陽鉄道は、近鉄最古の路線です。近鉄は、南大阪・吉野線だけ
が “狭軌” になっていますが、スタートが関西線への乗入れや貨物輸送が前提だったからですね。
道明寺からの折り返しの電車で柏原駅へ戻りました。

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    長々と「かりんどおばた」にお付き合い、ありがとう
    ございました。道中、お店がないことを見越して、若干
     の“軽食”を用意してはいたものの、腹が減りましたよ。
    
     天王寺駅MIOにある「卵と私」に直行し、遅いランチ
    を摂りました。ふわっふわっの卵が旨し。でも、ジジイ
    一人のオムライスは、絵になりまへんがな。


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2024年5月20日 (月)

❸ 雁多尾畑(かりんどおばた)からの下り  

 やはり、山稜地への往復は、下りが楽でしょう。なので、往路はJR高井田駅からのコミュニティ
バスに乗せてもらい、復路は、歩きでJR河内堅上駅へ戻る計画で来ていました。

 「雁多尾畑(かりんどおばた)」地区は、奈良県境に近い、大阪府柏原(かしわら)市の山地の崖を
舐めるように広がった不思議な邑落で、予想を上回る密集状態の家並が続いていました。

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 経済力があるんでしょう、「雁多尾畑」には、農協も郵便局もあり、ゴジラも居ましたよ。
坂道の途中にある郵便局の階段下には、車いすの方用のインターホンも用意されていました。

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 少し枝道に入ると、奥の方へ狭い急坂が続いていますが、奥行きはない感じです。

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 見晴らしのよい崖沿いの路からは、二階家の屋根が重なり合う先に、往路に訪ねたばかりの
あの「松谷光徳寺」の大屋根が邑落の真ん中あたりに うかがえました。

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 メインの道路と「松谷光徳寺」への枝道との分岐点まで戻ってきました。先ほどのバスで着い
たバスで戻って来られたんでしょう、地元の方が坂道を上がってゆかれました。

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  足が持ちそうにないときは、バスで帰ることも考えていましたが、まだまだ大丈夫です。

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 この坂道の上の方に行くと、柏原市の出先機関が集まっているんですが、よう行かんわな。

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 しばらく下っていると、「金山媛神社」の駐車場に出ました。一息入れて、階段を上がります。

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 雁多尾畑の氏神「金山媛(かなやまひめ)神社」の祭神の金山毘売命(かなやまひめのみこと)は、
日本最古の製鉄の守護神とされ、柏原市域での大規模な鉄器製作集団との関連が伝えられている
そうです。(近隣の大県(おおがた)遺跡は、渡来人による鍛冶技術集団の集落遺跡なんやそうな)

 と云うことは「雁多尾畑」を開いてきた人達も、製鉄関連の技術者集団であったのかも知れま
せん。それにしても、奈良/大阪の境に近いところで、鉄の歴史を聴くと云うのが、面白いですな。

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 そう云えば、各地の銀山跡なんかに行くと、大抵、金山媛神社が祀られていましたよね。

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 雁多尾畑を含む、“堅上地区”には、幼稚園~小学校~中学校の一貫校があるようです。金山媛
神社の下の方の谷筋に、一連の建物が並んでおり、崖を下る府道の歩道柵には、そのキャッチを
描いたポスター群が展示されていました。

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 “河内ぶどう”の畑を横に、竜田道を、ひたすら下ります。お店らしき姿は、全くありません。

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2024年5月16日 (木)

難読地名の「雁多尾畑」探訪➋

  さて、難読地名の邑落、断崖に張り付くように広がっている「かりんどおばた」の探訪です。
まず、「光徳寺」の山門をくぐった先には、京の寺院のような光景が広がっていました。

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 昔の堂宇の遺構でしょうか。何度も戦火で焼失し、再建されてきた歴史を感じさせられます。

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 山門に戻りました。かつては300町もあった寺域も、織田信長に没収されて、いまは狭いです。

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 「松谷光徳寺」の石段の向いにある建物も、立派な構えのお屋敷でした。庄屋だったのかな。

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 坂が急なので、上り下りとも膝に堪えます。

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 見晴らしのよいところに出ました。傾斜地では、“河内ぶどう” の栽培が盛んなようです。そう
云えば、子供たちが小さいころ、柏原の駅前から軽トラで送ってもらってぶどう狩りに来たのは、
このあたりやったんかな。結構、遠かったような記憶があります。“河内ワイン”もありましたね。
一升瓶で販売されていて、多くは、醸造用アルコールとしてS社(寿屋)に供給されていたとか。

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  光徳寺からの坂道を登り切ったところに
 避難所を兼ねた立派な「雁多尾畑会館」
 がありました。

   その向い側には、消防団の詰所もあり、
 地域の防災拠点になっているようです。   

 

 

 大和川を見降ろすビューポイントですが、この日は、黄砂が酷く、霞んでいました。 

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 このあたりで一番高いとところに「竜田古道の里公園」と云うのが見え、BBQを楽しむ人達の
歓声が聞こえてきましたが、管理事務所に人の気配がなく、自販機で飲み物を買っただけです。

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 里山公園の看板に並んだ「土砂災害警戒区域」の現地表示板を見ると、ここは、あの地すべり
地帯「亀の瀬」の真上にあたる場所なんですな。(下図はクリックで拡大します)

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  奈良側から来た車には、引き返せとの指示。
 まあ、酷道308号の大阪側よりはずっとマシか
 と思いますが、その方が無難でしょうね。
  南太郎もボチボチ下りに掛かろうと思います。
 バス道沿いに進んだ先で、三叉路を左にとれば、
 JR河内堅上駅に出られるはずです。途中、二三
 の史跡を見て、どっかで昼にしましょうか。

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 「地下(じげ)町青年団こども会」太鼓台地車収納庫とあります。地下町と云うのは、社寺の庇護
を受けた町と云う意味らしく、このあと見に行く神社(金山彦/金山媛神社)の氏子の町なんでしょ
うな。傍らには、「御輿台」も設えられていました。ダンジリのことを“太鼓台”と呼ぶのは、吉野
とかでも聞いたことがありますが、一見、岸和田のダンジリと変わらなかったと思います。

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 まあ云うても、急坂ですよ。断崖にこれだけの建物が密集しているは、なんでなんでしょうね。

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 この階段を上がったところに「教育発祥の地」と云う碑がありましたが、由緒は謎っぽいです。
あとで調べたところ、この石碑、もとは、市内で初めて学校が置かれたと云う青谷寺(せいこくじ)
あったものではないでしょうか? なんで、ここにあるのでしょうね。

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 「雁多尾畑(かりんどおばた)」の風景は、この一葉に集約されるのではないでしょうか。なぜ
このような光景になったのか、疑問ふつふつのなかで、邑落のなかの狭い急坂を下りました。 

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  次回につづきます。

2024年5月13日 (月)

難読「雁多尾畑」って どこかいな

 昨夏、近鉄道明寺線の取材中、大和川堤防の草叢に「松谷御堂」と記された曰くありげな石標を
見掛けました。あとで、それが2kmほど山手にある「松谷光徳寺」のことであり、「雁多尾畑」と
云う集落の中心にあることを知りました。かなりな急坂を上がった先らしく、暑い時季の訪問は見
送ることにましたが、この5月、「雁多尾畑」へ向かうべく、JR大和路線の高井田駅に来ました。

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 ありがたいことに、柏原市の市内循環バスが毎時1本「雁多尾畑」まで通っていて、それも無料
だと云うのです。国分駅前発ですが、JR高井田駅を経由しています。27人乗りの中型バスです。

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 上の地図は、高井田駅前に掲出の探訪マップから抜粋(加筆)。「雁多尾畑」は、かりんどおばた
と読みます。難読ですねぇ。急な坂道の途中、ゴミの集積場の横の三叉路の、ちょっと広くなった
場所がバスの終点です。一旦バックして、バス停に横付けです。折り返しの国分駅行になります。

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 狭くて急な邑中の路地を歩いて、まずは「松谷光徳寺」をめざします。遠足らしき一団に追い
かけられるようにして、坂道を進みますが、しんど過ぎますよ。

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 ちょっとした横筋に入った先に「松谷光徳寺」があるようです。建て込んだ石垣の間の路です。

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 折り重なるように続く、石垣と立派な屋敷を抜けたところに「松谷光徳寺」が見えてきました。

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 「松谷光徳寺」は、河内から大和の龍田大社への“龍田越え”の途中、雁多尾畑の集落に建つ堂々
とした構えのお寺でした。門前に掲げられた「松谷御堂の由緒」によると、円融法王の勅願による
開創と伝えられており、もとは天台宗の寺院だったが、延暦寺と興福寺の僧徒の争いのあおりを受
けて焼き払われてしまったそうです。

 その後、1228年に後堀河天皇の宣旨を以って、園城寺(三井寺)の僧が光徳寺として再興、本堂を
雁林堂(かりんどう)とし、親鸞の念仏宗に入って「松谷御堂」となり、一向専修の道場でもあって、
石山本願寺とも深く関わってきていたそうです。この「かりんどう」が地名の「かりんどおばた」
のもとになったらしいと云うことです。多分、「かりんどうのはた」でしょう。(はたって側の意味)

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 現在の本堂(雁林堂=かりんどう)は、昭和8(1771)年に再建されたもの。(↑ クリックで拡大)  

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   次回は、砦のような周囲の探訪です。   (2024/5/2訪問)

2024年2月 8日 (木)

「児島湾締切堤防」へ

 児島湾締切堤防は、児島湾を締め切って淡水化するための堤防で、昭和34(1959)年に完成、
その後に一度改修されていて、その完成は、平成13(2001)年でした。現在も、排水樋門の補強や
堤防の嵩上げ、二重化などの耐震化工事が続けられているようです。

 宇野駅前から岡山駅行きの“特急バス”を締切堤防手前の甲浦(こううら)郵便局前で下車しました。
バス停スグのところから「児島湾締切堤防」が始まっていましたが、堤防と云うより、往復2車線
の道路と散策路が続いていました。堤防防護のためなんでしょう、路線バスを除く大型トラックや
バス等の通行は、出来ないことになっていました。(特急バスは、この堤防道を縦断して行きます)

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    グーグルアースの画像で俯瞰すると、締切堤防の左右で水面の色が違っていますね。
   左手が淡水化された児島湖、右手が海水の児島湾です。

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  ちょっとストリートビューから俯瞰の写真を借用します。この締切堤防上の道路は、10年
 ほど有料道路だったことがあるそうですが、宇野への鉄道短絡線を通す計画もあったらしい
 のです。でも結局は、沿岸農業水利事業とされたそうで、この道路は、堤防管理通路と云う
 位置づけなんでしょうかね。  

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 途中から、送水管が堤防上に出てきていました。樋門のところでは水管橋になるはずです。

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 堤防の内側 (児島湖=淡水化)は、12月とは思えない日差しに湖面が輝いていました。

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 樋門の近くまできました。延長1,558m幅110mの締切堤防も、ここだけは細くなっていて、
児島湖と児島湾が繋がっています。児島湖に溜まった水を排水する6つの樋門のほか、2つの閘門
(こうもん)もあって、水位差を調整して、船の通航を可能にしていました。

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 北に向かって右手は海(児島湾)です。満潮のときは、樋門を閉じて海水の流入を阻止し、干潮
の時には、樋門を上げて、児島湖に溜まった水を海に流すと云う訳です。

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 閘門です。大阪の毛馬の閘門でも同じですが、2つの水門の間のプールの水を出し入れして
水位差を調整するのですが、その間、船は、プール内で待っていることになります。

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 この樋門の管理事務所には、児島湾干拓資料室が併設されていて、自由に入って、自分で照明の
スイッチをONして観覧するようになっていました。ただ「コロナに鑑み、トイレの使用はご遠慮
ください」と掲出されていたのには、参りましたよ。(以下の5点は、展示物を撮影したもの)

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 そもそも「干拓」は、海中に堤防をつくり、堤防内の海水を海に排水して陸地化してゆきますの
で、「埋立」と違って土地の高さはもとのままです。なので、洪水や高潮に対する備えが不可欠です。

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 まさに「海に土地を求めた人々のたたかい」が児島湾で展開されてきたのですね。

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 この記念碑の近くに、堤防の反対側に渡れる細い歩道橋があったのですが、パスしてしまいま
した。そこからなら、締切堤防の全体を俯瞰できてたのではないかと、未練が残ります。

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 いよいよ北側の終端部です。散策路は、少し左にずれた状態で続いていました。耐震化工事中
とかで、仮橋になっていました。

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                              (地図は岡山県備前県民局の案内パンフより)
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 児島湾締切堤防を踏破した先にある「淡水湖北口」バス停には、特急バスは停まりませんでした。
しばらく待って、やってきたローカルバスで向かったのは、2つ先の「築港新町」です。もう少しだっ
たんですが、歩く元気が残っていなかったのです。相変わらず、エエ天気で、汗ばむくらいでした。

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2022年12月 9日 (金)

やんたんライナーで ぶらり宇治田原

 さて、ランチを予約しておいたバスの終点にある「宗円交遊庵“やんたん”」に戻ります。

 戻る途中、不思議なものを発見!なんと、この山中に、貝の化石が露出しているのです。
谷のせせらぎの底に、1,500万年前の化石。ここがかつて海底だったことの証明ですね。

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 “やんたん”は、地元のみなさんが運営する観光交流施設ですが、ランチは、土休日限定です。

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 ランチメニューの筆頭は、「彩の茶汁セット」。茶汁(ちゃじる)は、茶の里の農作業時に食
されてきた餅と味噌玉に、あり合せの具材を入れて、熱い番茶を注いだ郷土料理だそうです。

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     昼食のあと、維中前へ戻る定期バスに乗って、禅定寺と猿丸神社へ向かいます。

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 維中前バス停でのバス待ちの間、近くで行われていた、古老柿の天日干し作業を見学。

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      猿丸神社へのやんたんライナーコネクトのバスは、1日3本の設定です。
  
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 猿丸神社は、三十六歌仙の一人、猿丸太夫が祭神。“瘤とりの神”とされ、毎月13日の月次祭
では、猿丸市でにぎわうとのこと。普段のバスは、その13日のみ運行されている。猿丸太夫が
詠んだ ~奥山に 紅葉ふみわけ鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋はかなしき~ の歌碑もありました。

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 紅葉には、少し遅かったようです。戻りのバスで禅定寺へ下ります。禅定寺には、娘の姿で
古老柿の製法を伝えたと云う木造十一面観音や重要文化財の平安仏が多数保存されています。

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 平成11年に完成した大涅槃図。裏庭の擁壁に描き込まれていました。(横45m×縦8m)
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 門前にも柿が実っていました。そして、ここでも古老柿が作られていました。こっちが本家か。

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 宝物殿の仏像群は、大したもんでした。ただ、後方からのビデオ監視で、マイクで叱責さ
れたのにはビックリでした。まあ、あかんとこに座ったんやけど・・・。禅定寺からのバスが
スグにはなかったので、30分ほどバス道を歩き、長山口で宇治駅行きを捕まえました。

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2022年12月 1日 (木)

「やんたんライナー」の旅

 京阪電車の宇治駅から、土休日限定(10/8~12/11)の「やんたんライナー」と云う期間
限定のバスが設定されています。京阪宇治駅の観光案内所で、木製の1日乗車券(¥1,000)を
買って乗り込みました。この時のは “大正ロマンの復刻バス” との触れ込みの車両でした。

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 触れ込みのキャッチフレーズに関わらず、このバスの内装は、写真の展示のほかは、いた
って普通に思いました。多分、外装の塗装のことを云ってたんでしょうかねぇ。

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 「やんたんライナー」は、2005年に休止された天ケ瀬ダム沿いの狭隘路線を走り抜け、途中
の「維中前」停では、やんたんライナーコネクトと呼ぶ支線にも乗り継げます。その維中前と
云う不思議な呼称は、今もある “宇治田原町立維孝館中学校” に由来するそうです。

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                                                                                   (京都京阪バスのHPより抜粋)

 秋色濃い宇治川に沿って走ると、やがて車窓に新名神道の延伸工事現場が迫ってきました。

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 所要46分、終点の湯屋谷(やんたん前)の三叉路の一画に停まりました。不思議な位置です。

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 下車後にアチコチ巡ってきましたが、それは、別の記事にするとして、帰りのバスには、
途中の長山口バス停から乗りました。それ、茶室風内装の “宇治茶バス” でした。座るの
がやっとの状態だったので、終点に到着してから、急いで撮影させてもらいました。

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 このほか、運転席の後部(タイヤの上部)には、ケースに入った茶壷が飾られていました。

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 木製の1日乗車券は、宇治~宇治田原の一般路線でも使用できるので、“バス旅”よろしく、
時刻表マニアっぽく活用すれば、不便ながら、お茶の里のアチコチを巡ることができます。 

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 免許証を返上することになると、利便性とは違った楽しみ方に慣れにゃあ なりまへんなあ。

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2022年7月 4日 (月)

尼崎運河の水質浄化施設

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  尼崎運河の「北堀キャナルベース」に併設された水質浄化設備での取り組みは、二枚貝や
藻などの海生生物の力で運河の水を浄化すると云う国内最先端の施設だそうです。運河の水の
浄化に働いてくれた貝や藻は、人が取り上げて堆肥にし、その堆肥で作物を育てて食料にする
と云う循環が成り立っているとのこと。
 こうした活動は、尼崎運河再生プロジェクトの現地実証実験として取り組まれていました。
だいたい、4時間で、60%の窒素やリンが取り除かれるそうです。下は、“藻の廊下”。

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 このプロジェクトでは、コウロエンカワヒバリガイと云う二枚貝に水中のプランクトンを食
べさせて汚れを除去します。  
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 この汚れた運河の水が、30分ほどで、透き通った水に浄化されるとのことです。

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 これらの工程を大規模(?)に行う施設が設けてありましたが、運河の水を一旦ポンプアップ
するだけで、あとは、流路を自然流下するようになっていました。下は、“貝の部屋”。

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 流路の途中には、藻の廊下があり、藻が栄養分を吸収して太陽の光で酸素を吐き出します。
ドンドン増える貝や藻は、ヘドロになる前に取り上げて、堆肥にするそうです。

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 流路の終りの方には、“魚のマンション”も作られていて、魚が住めるようになっていること
の証跡と云う訳です。試しに引き上げてもらうと、ボラなど雑多な魚類が棲みついていました。

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 北堀キャナルベースの傍には、堆肥の製造スペースもあり、少し臭っていましたが、先ほどの
二枚貝を入れた水槽の水は、20分ほどで、着色や濁りがなくなっていました。二枚貝の力、凄い。

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 今回の「尼崎運河」巡りは、尼崎市が主催する「みんなの尼崎大学」のイベントに参加させ
てもらったもので、地域の活動をみんなで見学/参加する、大人の社会見学という感じでした。
「運河〇〇クラブ」の中岡先生ほか、皆様ありがとうございました。参加は多分ムリですが。
 
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2022年6月30日 (木)

尼崎運河に残る “跳ね橋”

 「みんなの尼崎大学」のイベントに便乗し、ボートで巡った「尼崎運河」。そこで語られた
のが、上田正樹の「悲しい色やね」に謳われた~汚れて濁った海の色かな~と云うのが、この
辺りの海岸から見た大阪のイメージだったとか。歌い出しの~にじむ街の灯~も、もとは尼崎
の灯だったと云うお話し。ふ~ん!知らんけど。(大阪ベイブルースと謳いながらもなぁ)

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 旧左門殿川を少し遡り、東堀運河に入った先の「東高洲橋」は、船が航行する時には、
跳ね上げられる構造になっていました。今でも現役で、一日5回の決まった時刻に、船が
通る場合に限って、跳ね上げられるそうです。(緑色の装置で赤い橋を吊り上げる構造)

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 こうしてみると、尼崎運河周辺の臨海工業地帯は、ずいぶん低い場所に思えます。工業用水
の汲み上げによる地盤沈下の影響もあって、市域の1/3が満潮時には、海面下になるらしい。

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 あの高い煙突も、高炉か火力発電所の排煙塔やったんやろ。(説明聞いたけど失念)  

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 “工場夜景”の撮影には、持ってこいの場所ですよ。(船を手配してのツアーもあるらしい)

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 蓬川(よもがわ)を遡り、左折して、北堀運河に入ると、この探検航路も終盤です。

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  兵庫県の尼崎港管理事務所は、
 北堀キャナルベースのスグ近くです。

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 出発地点に戻ってきました。その先にある鉄の構造物は「出合橋」と云うモニュメントで、
かつてあったガスタンクを模しているそうです。北堀運河と中堀運河を結ぶ地点にあります。

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 この日、3班に分かれて、乗船・水質浄化・水辺トークのローテーションでした。次の乗船
グループが出発すると、我々A班は、キャナルベースでの座学と見学です。もう1回続きます。

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2022年6月27日 (月)

行ってきました「尼崎運河」

 6/4(日)午後、「みんなの尼崎大学」のイベントに参加して「尼崎運河」を巡りました。
尼崎運河の整備は、50年ほど前、尼崎を阪神工業地帯の中核的存在として発展させるととも
に、低い土地が続く南部の臨海地域を守る “閘門式防潮システム”の一環としての役割も果た
してきたんだそうです。(下図は国土地理院地図航空写真閲覧サービス/ウィキペディアより)

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 集合場所の「北堀キャナルベース」へは、阪神電車尼崎センタープール前駅から歩15分。
さっそく、武庫川渡船の船に乗せてもらって「尼崎運河」の探検に出発です。

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 この工場の鋼線が、明石海峡大橋
の建設に使われたんだそうです。
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 このエリアには、かつて大規模な火力発電所が稼働していました。その名残の送電網。

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 船体を大きく傾けながら、砂利運搬船が積荷を降ろしているところは、大迫力でした。

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 その東向いには “尼ロック” と通称される「閘門(こうもん)式防潮堤」があり、外洋との間に
Wの水門を設けて、船の通航が出来るようになっていました。四六時中、船の航行が監視され
ていて、外洋と運河を行き来する船は、青信号に従って閘門に入り、水位調整してから奥の
水門を開けてもらい、外洋に出てゆく仕組みです。毛馬閘門やパナマ運河と同じ仕組みです。

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 我々の船が赤信号の手前をウロウロしていると、「青信号のゲートに入れ」との放送が聞
こえてきました。外洋には出る予定はないので、パスでしたがね。(後上は 阪神高速湾岸線)

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 この「尼ロック」の内側は、広場のようになった静水域でした。海風が心地よい。尼崎の
方々は、“こうもん(閘門)” の語呂を嫌って、カッコよく「尼ロック」と名付けたんだとか。

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 「みんなの尼崎大学」は、まち全体を大学に見立てて人と地域が出会うプロジェクトです
が、同市民でなくても参加可能でした。多分、もう 1~2 回続きます。

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