旅行・地域

2026年4月 9日 (木)

水郷の里「御領」へ

  地域のリレー講座「ぶらり北河内」に参加して、大阪府大東市の水郷の里「御領」を訪ねた
のは、昨年11月のことでした。あいにくの天候で、終盤には雨も降りだし、旨く撮れなかった
こともあって、この4月になってから再訪してきました。

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 そしてこの日から、今シーズンの「せせらぎ水路 “田舟遊覧”」がスタート。乗せてもらいました。

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 「御領(ごりょう)」は、古代の “河内湖” の名残と思しき “旧深野池” 西側に位置し、内陸地
ながら標高1.5mの低湿地だそうです。それゆえ、井路(いじ=用排水路)が縦横に張り巡らされ、
“三枚板(さんまいだ)” と呼ばれた田舟が輸送手段として活躍、水害防止のために高く建てら
れた段蔵には “ヒナダ” と呼ばれる搬入口も設けられていました。

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 この “田舟” は、幅1.1m、長さ8.2mの縮小サイズで復元されたもので、大人5人が乗れます
が、やや安定がよくなくて、幼き日に2度ばかり落水した記憶が蘇りました。

 一組前の方々が戻ってきました。自分が乗ってるところは撮れないので、こちらを活用です。
水路が狭くて方向転換できないので、戻りは “逆走” してきます。

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 水路沿いの「菅原神社」境内にも、大楠2樹があり、大東市の保護樹木に指定されています。

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 もともとの井路に掛かる橋脚が低く、下をくぐるときは、頭を低くしなければぶつかります。 

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 “せせらき水路” を綺麗に維持するため、毎日12時間、東大阪の浄水場からパイプで水を
引いてきて流しているそうです。なので、戻りしなの田舟は、水流に逆らうため、補助の方に
ロープで引っ張ってもらっていました。

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 水路の末端に田舟の収納小屋があり、昨年11月に訪問した時は、この中で “船大工” さん
による補修工事が行われていました。ちょっとした保存事業でも、色々大変なんでしょうね。

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2025年12月 4日 (木)

「北山杉の里」 ③ 台杉

 民家の隙間を縫って、背後の山塊への急坂を登ります。食後の運動にしては少しハードでした。

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 高さ1mくらいの “台” から多くの立ち木が林立しているのが “台杉仕立て” の特徴です。この
巨大な “台杉” は、樹齢500年、地域で最古かつ最大の “台杉” だそうです。床柱などに用いら
れることが多い「北山丸太」は、あまり太さを求められないので、この生産方法が理に適っていた
んですね。 同じ “台杉” を北側からと南側から撮りましたが、台上の立ち木が旨く撮れません。

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 そのスグ近くに、かなり古い “台杉” がもう一株ありました。何とか二つを一緒に納めようとした
んですが、なかなか難しい。

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   左の写真では、“台杉” の全貌が
  分かりやすいのではないでしょうか。

   一株の “台杉” の上に森ができて
  いるんですよ。

  (クリックすると拡大します)
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 山道を下った先の、北山川の対岸にあったのは、「中川丸太倉庫群」。今ではあまり使われなく
なったと云う「北山丸太」の倉庫群です。丸太を運ぶために幅の広い橋があり、庇(ひさし)が長く、
雨天でも作業しやすい構造になっているのです。一見、廃屋かと思いましたが、現役の倉庫です。

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P1020089 (地図をクリックすると拡大)総合センターHPより抜粋

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P1020296   京都駅行きのJRバスを待っていると、
  かわいらしい移動販売車が停まりました。
  コンビニにあるような菓子を買いました。

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2025年12月 1日 (月)

「北山杉の里」 ②

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 少しの距離でしたが、バスで「中川学校前」まで戻ります。降りたスグ前が「中川八幡宮」でした。

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 この境内には、“北山杉の母樹” とされる樹齢600年の御神木がそびえていました。白杉なので、
花が咲かず花粉ができないため、連綿と挿し穂によって殖やされて来たそうです。

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 “台杉” の見本も境内に用意されていました。“台杉” は、20~30年ほどで台の上の立ち木を
伐採しても、台から出ている枝を残しておけば、次から次に新しい芽が出てきて、次の世代が育
つそうで、植林をする必要がないんだそうです。一番古い “台杉” は、この後、腹ごしらえをして
から、急な坂道を登って見に行くことになっています。

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 さて、腹ごしらえは、古民家の店「山の麺どころ」で、グルテンフリーの雑穀麺です。先に出た
焼き野菜は撮ったんですが、メインの麺を撮り忘れたので、お店のパンフから借用します。朝が
早かったこともあって、腹が減っていたんですよ。これに草餅も付いていました。

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 このお店、築150年の古民家を転用した趣のあるお家でしたが、柱などには、北山杉を使って
いないとのこと。高い吹き抜けの天井と、造り付けの「水屋」が黒光りして重厚でした。

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Map
   実に静かな佇まいです。20年も前に
  マイカーで訪れたときは、ずいぶんな
  車の行き来があったように覚えている
  のですが、聞くと、「中川トンネル」が
  出来て、北山川沿いの旧道に入って来る
  クルマは 1/10になったとか。

   排気ガスが激減したからか、ほこりや
  障子のクスミが少なくなったそうです。

   (左図は、北山杉の里mapより抜粋)
    クリックすると拡大できます

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 さぁ、腹もくちたので、いよいよ山歩きです。そして、500年の “台杉” です。(次回に続きます)

 
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2025年11月27日 (木)

探訪!「北山杉の里」

 先月、京都駅からのJRバスで「北山杉の里」に出掛けました。例によって、“まいまい京都” の
ミニツアーです。1時間に1本あるかないかのバスなので、朝6時起きで、周山行きのバスに乗り
ました。高尾/栂尾までは満員でしたが、そこを過ぎると閑散で、山間の北山生協前で下車です。

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   「北山杉」は、“台杉仕立て” と云う独特の
  育林方法によって造られてきた北山丸太の
  ことです。北山の急な斜面での植林や育林
  は大変困難であり、苗木が貴重であったの
  で、一つの株から数十本もの幹を育て、それ
  が一つの “森” のようになって更新してゆく
  んだそうです。

   この方法によって、植林の回数を減らし、
  収穫のサイクルを早め、緻密な丸太を生産
  できるとのこと。SDGsの極みやんか。
   大正期まで主流だった “台杉仕立て” も、 
  丸太の流通量が増えてくると、一代限りの
  “一斉林” が中心になり、今は、枝打ちによ
  って枝下高が整然と揃った杉の整然と立ち
  並ぶ美しい景観を作り出しています。 

Mapa


   「北山丸太」は、3mに切り揃えられます。     
  他の木材産地のように、筏を組んで川に流
  すことができない地勢だったゆえ、全て人力
  で運ぶためだったとのこと。そのためにも、
  よく乾燥させ、軽くする必要があったそうです。

   つまり、用途を限定し、人力で運べる商品
  価値の高い丸太を造り出す必要に迫られた
  先人の工夫の結果であった云うことです。

   「北山丸太」は、周山街道を越えて、多くの
  材木商が集積していた京の丸太町通りまで
  運ばれていたそうです。



 「北山生協前」は、まさに山峡でした。「生協」と云っても、生産協同組合のことでしたが。


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 北山杉の里総合センターにて、まずは「北山丸太」の歴史です。京都北山/中川地区の急峻な
山々で600年も続く北山の林業は、室町時代に始まったとされます。北山杉の皮を剥いて加工さ
れた「北山丸太」は、千利休により完成された“茶の湯文化” を支える茶室や数寄屋の建築用材
として重用されてきたそうです。

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 「北山丸太」には、磨丸太/人造絞丸太/天然絞丸太などの種類があり、木肌に波状の凹凸を
持つ材が高値で取引されるとのこと。稀に波状の凹凸が天然にできる品種があるものの、多くは、
下の写真のようにして、伐採の2~3年前に、人為的に凹凸をつけさせるんだそうです。面倒至極。
 
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 北山特有の時雨が降っていて、“枝打ち” は中止かと思っていましたが、30分ほどで止みました。

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 北山杉は密植です。光が差し込まず、下草が生えにくく、「枝打ち」も やりやすいとのこと。

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 この道35年の “杣人(そまびと)”、松本さんが「枝打ち」を実演してくれました。

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 頼りなげに見える “梯子(はしご)” は緩く固定されていて、大きくしなる構造だそうです。

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 いちいち降りて来るのが面倒とばかり、隣の枝を引き寄せて、飛び移ります。おおっと歓声!

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 ついで、皮を剥いた丸太を磨く工程です。何とか云う瀧の滝つぼの砂を使用するそうです。この
砂は、圧を加えると崩れて適度な磨き砂になるんだそうです。また、丸太の“末”(すえ)と呼ばれる
根元側は、立て掛けた時に端面が傷まないよう、そして乾燥しやすいように工夫されていました。

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 そうした昔からの手法は次第に廃れ、高圧洗浄機などの活用が進んでいるそうです。(続きます)

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2025年8月14日 (木)

「父母ヶ浜」へも行ってみた

 年に2日しか営業しない駅、津嶋神社前の「津島ノ宮駅」からの電車で観音寺駅に到着したのが
15:35でした。その目的地は、なんとなく名前が聞こえていた「父母ヶ浜(ちちぶがはま)」と云う撮影
スポットです。梅田から丸亀への高速バスの車中で、そこが「津島ノ宮駅」からそう遠くないことと、
観音寺駅~詫間駅間の三豊市コミュニティバスが使えることを知りました。泊まりを観音寺駅前に
予約していたのも、モッケの幸いでした。

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  16:11観音寺駅前発、コミュニティバスとし
 ては大型のオレンジ色のそのバスで20分、
 「父母ヶ浜」は、大事に整えられたビーチで
 した。
  行政上、三豊市に属するため、観音寺市
 の観音寺駅よりも詫間駅から案内されがち
 ですが、地図を見ると、“天空の鳥居” で知
 られる「高屋神社」のすぐ近くでしたね。



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 ここ「父母ヶ浜」が注目されたのは1枚の写真からだそうですが、それまでには地域のみなさん
の地道な努力の歴史があったとのことです。

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 バスを降りて3分、砂浜に出ると、さっそく “映える” 写真を撮っているみなさんがいました。ただ、
この日は、夕陽が期待できそうになく、潮の具合もよくない時間でしたので、まぁ、マネゴトですか。

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 かつての父母ヶ浜(ちちぶがはま)は、遠浅で四季折々の海の表情や沈む夕日の美しさが日常
の風景として愛されてきました。しかし、地形上、瀬戸内のごみが漂着し、海岸はゴミがいっぱい。
大規模な海岸の埋め立てが構想されたこともあったそうです。海岸のゴミ拾いから始まった地元の
活動によって、この美しい砂浜が護られてきたんですね。

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 しばらく佇んでいると、数人のグループがポーズをとり、カメラを抱えたおじさんが色々指示して
盛んに撮っているのに遭遇。聞けば、地元のボランティアカメラマンだそう。ちょっと相乗り。

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 なるほど、これでカメラを低く構え、夕陽が旨いと、あの “映える” 写真になりそうです。

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 観音寺駅前に18:17到着。バス停には、3社
 の標識があったけど、これらをまとめて案内
 したサイトが見当たらず、市境に位置すること
 もあって、あんまり旨く回ってないのではない
 でしょうかね。よけいなお世話やけど。

  “骨付き鳥”の夕食のあと、夜景が気になって、
 また「津島ノ宮駅」へ電車で往復してきました。
 あほやねぇ。  
 
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          (2025/8/4 撮影)

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2025年1月 2日 (木)

「家島」➎ 家島神社と男鹿島の姿

  宮港から続く海岸の先に、家島神社の大鳥居が小さく見えてきました。妙な雲も流れてきました。

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 晴れてはいるものの、にわかに風が強くなってきました。さすがに12月の海風、冷たい。

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 家島神社は、絶壁の上に坐すので、170段の急な階段を上がらなくてはなりません。しこたま歩い
てきた後だけに、これはキツイ。でも頑張りました。島の先端部なので、ここが最後でしょうから。

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 燈籠がつづく先に見える本殿は、意外と質素な感じでした。趣意書には「神武天皇が大和に向か
う途中に当地に寄港され、港内が大変穏やかで、あたかも家の中にいるようで静かだとして家島
と名付けられたのだが、この時、天神をお祀りし海上安全と戦勝を祈願されたのが当社の始まり
とあり、醍醐天皇による延喜の制では、明神大社に列せられて現在に至っている由。(要約)

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 本殿前の参道から断崖の上に広がる清水公園に向かっていると、こずえの隙間から異様な光景
が目に飛び込んできました。何と対岸の島が大きく削り採られているのです。ビックリです。

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  家島本島の東隣の島「男鹿島」
 です。大昔、姫路から牡鹿が海を
 泳いで渡ってきたことから、この
 地を男鹿島(たんがじま)と呼ぶよ
 うになったと伝えられています。

  水のきれいな海水浴場が人気だ
 そうですが、島の大半が採石場と
 云う特殊な状況になっています。


 家島諸島は、石材の産地として名高く、古くは大坂城の基礎となる良質の石材を供出、近年では、
関西空港や神戸空港の建設、更には、阪神淡路大震災の復興にも貢献してきているとのことです。

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 尾根伝いに眺望がひらけた断崖の上の清水公園の先端部から眺める「男鹿島」は、なんとも圧巻。

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 ズーム一杯の1,200mmで見ると、採石場の様子が手に取るようにうかがえます。

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 そして振り返ると、姫路の工場群や姫路城もスグそこのように見えました。強風下の手持ちなの
で、どうしてもブレてしまうのですが、こうして見ると、鹿が泳いで来れそうな感じがします。

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 冷たい強風のなか、暖かいお茶と家島は真浦の “さんかく” 特製のヨモギ餅をいただいて、温まり
ました、現地ガイドのナカニシさんのファインプレーに感謝、感謝。

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 家島十景の一つだと云う “監管眺望” を眺めながら、急な階段通路を一気に下って帰ります。

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 チャーター船が宮港に回送されてきていて、乗船してスグ、真浦で買った島土産を受け取りました。

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 静かだった宮港でも、少しうねりが出てきていました。姫路までの30分に耐えられるか?

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P1580461  案の定、快速船は、大揺れでした。
     (2024/12/7 訪問) 

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  長々のお付合い、ありがとうござい
 ます。年末前に「家島」を終わらせる
 予定でしたが、越年してしまいました。
  上記のポチと いいね💛をよろしく
 お願いいたします。

 みなさんは、よいお正月をお迎えだったでしょうか。南太郎は、大晦日~3日まで、地元萱島
神社の役に駆り出されて、忙しい正月です。今年は、“新しい御守り” を頒布するため、色いろ
と苦労もしました。御神木の大楠に因んで、「キラリ!かがやく くすの木の妖精」とネーミング、
京阪電車をも取り込んだデザインです。予定数が捌けることを祈念しているところです。

2024年12月30日 (月)

「家島」❹ 宮港へ

 真浦港から宮港へは、入江を半周する感じです。毎日1便の紅い貨物フェリーでクロネコも来ます。

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 大型鋼船の修理ドックでは、イカリをまとめる作業中でした。崖の上に覗ける場所がありました。
重そうな鎖を少しずつ繰り出して、重ならないように並べているようでした。

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 この中国料理店には、かなりなお客が入っていました。断崖の擁護壁の切れ目に遭難慰霊碑も。

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 小さな岬を回り込むと、入り江に並んで係留されている “石船”「ガット船」が目に入ります。

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 その先には、密集した宮(みや)の家並が望まれます。これから あの下の道をたどるのです。

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 宮は漁師町です。真浦との対抗心が強く、何かと張り合っているそうです。歴史的には、こちら
が島の中心だったみたいです。姫路市役所家島事務所や消防署の入った建物と診療所の間の、
左手の道路がその境目なんだそうです。

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 市役所支所・ 消防署・水道局・公民館・図書館が一緒の建物です。軽の救急車は、家島から
各地に広がっていったものらしい。もちろん救急艇も待機していました。

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 防波堤に描かれた “演奏する子ら” を見ながら進みます。「家島神社はまだかいなぁ」。

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 コミュニティバスは、多分、島内最大サイズの乗用車でしょうか。多分、9人乗り。

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 よく分からないが、クレーンの先についてたものでしょうか。巨大な廃鋼材?

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 海岸に面した道路際に坐す「海神社」の前を進みます。

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 底引き網の長~い漁網が乾してありました。やっぱり、宮は漁港なんですよ。

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3c   やっと次回は「家島神社」に到着です。
 左の地図は、クリックすると拡大します。
    (2024/12/7 訪問)

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2024年12月26日 (木)

「家島」❸ 路地裏散策と漁港めし

 さらに細い路地の先に進みます。そこにも島の歴史と生活の息遣いがありました。

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 普段は使われていない井戸ポンプは、現役で水を汲み上げることが出来ました。路地裏にある
“集会場所” には大時計が設置してあり、夕餉の支度に遅れないように切り上げるんだそうです。
また、自転車には、釣竿を固定するパイプが取り付けてありました。民家の壁にお地蔵さんも。

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 そんな路地にもお店があって、魚屋さんでは、何かの魚のホネのから揚げをいただきました。
芳ばしくクセになる味で、何度も手を出してしまいました。

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 さて、真浦港に戻ってきました。お待ちかねのランチです。かなり歩いてお腹も空いています。

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 “海が見えるカフェ”「スコット」を借切って、真浦港を前に「獲れたて漁港めし」です。これには
満足しました。シラスご飯とは別で、たっぷりのシラス椀が付いていました。1コインのグラスワイン
もいただいて、午後のメインイベントに備え?ました。

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 昼食の後、入り江の対岸、宮港から家島神社まで歩きます。真浦港の「家島ふれあいプラザ」で
島土産を買うと、帰途のチャーター船に積んでおいてくれるとのことで、安心して買い込みましたよ。

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 午後は、少し風がでてきて、日差しはありましたが、冷たさを感じるようになりました。まだ行程は、
半分弱と云うところです。もう2~3回ぐらい続きます。おつきあいください。

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2024年9月12日 (木)

12年ぶりの伊吹山

 今年の7月、FBに「伊吹山登山バス」の広告を見つけていました。7/13~9/16の間、米原駅前
から毎日出発とのこと。停滞台風が過ぎ去るのを待って予約を入れました。
 東海道新幹線開業や東京オリンピックなど、日本中が沸騰していた1964年に開通した伊吹山
ドライブウェイは、それから60周年と云うことです。(次の写真は車内で配布の絵葉書より)

Img_20240912_0001b              

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 思えば、この「南太郎のブログ」の最初の記事が伊吹山でした。その時は、マイカーで行ったの
ですが、麓からのゴンドラが廃止になっていたのを知らなかったと云う失敗談でした。
 車をやめた今では、麓から登るほどの元気はありません。尤も現在、麓からの登山道は、崖崩れ
のため、通行禁止中です。 (上左図は長浜・米原観光情報サイトより抜粋/翻案)

 米原駅前発11:15、キッチリ満席の湖国バスは、近江鉄道系列なので、西武グループですね。

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 伊吹山ドライブウェイは、結構な距離があって、30分ほど走ります。湖国バスの受付でもらった
パンフ類のセットの中に、復刻版の記念通行券が入っていて、社名が「日本自動車道株式会社」
だと知りました。ちょっと大層かな。それに刻印された番号で、アンケートに答えると、抽選で60人
に2万円のギフトカードが当たると云うので、さっそく応募しておきました。

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   米原駅では、昼めし代わりに “井筒屋の駅弁”
  を探しました。駅構内にあるはずの販売所が分
  からず、駅西口の井筒屋本店まで走りましたが、
  「鶏めし」は売切れで、元祖「面構え 鱒寿し」に
  しました。その名のとおり、こわもての面相の鱒
  をまるまる一匹使った寿し弁当でした。


Dscf1774   登山バスは、12:30に山上
  駐車場に到着。まずは腹ごし
  らえです。

  “スカイテラス伊吹山” にて、
  きつねうどん(西味)を喰った
  あと、屋外のベンチスペース
  で、例の「面構え 鱒寿し」で
  す。実山椒が利いていて実に
  美味でした。




 伊吹山テラスの展望台から駐車場を見ると、結構たくさんのバス・車が停まっていました。

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 さて、いよいよ登ります。比較的なだらかな “西登山道コース” で、山頂まで1km、所要40分。
標高1,260mの駐車場から、1,377mの山頂まで、117/1,000‰という訳です。

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 登山路の入口前にある芭蕉の句碑。150日、2,400kmに及ぶ「奥の細道」の旅の終わりとなる
大垣に着いた芭蕉は、2週間ほどの大垣滞在中に伊吹山を見て、その荘厳な姿を詠んだとのこと。

 ≪戸を開ければ西に山あり 伊吹といふ 花にもよらず 雪にもよらず ただ孤山の徳あり≫

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 しかし、この山はセメント原料としての石灰岩を採る山でもあります。足許は石灰岩の小岩が
敷かれ、処々に浮き出た石塊もあって、軽装できた我々には些か歩き辛い路が続いていました。

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 まあ復路のバスまで、到着から2時間50分あります。標準は、往路の登り40分、復路の階段路が
20分なので、各10分の余裕をみて、昼食と山頂での休憩に60分を費やしても、充分余裕でしょう。


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2024年8月19日 (月)

夜の「六道まいり」➋

 そもそも、京に伝わる「六道まいり」と云うのは、霊迎えの行事だそうです。冥土にまで響くと
される迎えの鐘を手前に引っ張って鳴らし、先祖の霊を現世に迎えるのです。あの世とこの世の
境界である「六道の辻」に位置するお寺で行われるお盆の精霊迎えの行事だと云うことです。

 六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)あたりは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つの冥界
への入口にあたっていて、「あの世とこの世」の分岐点だと信じられてきたそうです。

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   一方、嵯峨天皇に仕える高官だった小野篁
  (おののたかむら)は、本堂裏庭の井戸を使っ
  て現世と冥界とを行き来していたという伝説が
  あり、 昼は朝廷の役人、夜は冥界の閻魔庁で
  冥官を務めていたとされていて、閻魔大王から
  「精霊迎えの法」(先祖をふたたび現世に迎え
  る法術)を授かっていたと云うのです。

  (左は、珍皇寺の六道まいりパンフより抜粋)

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 その井戸の側に植わっていた高野槙の枝を伝って冥界へ行ったとの伝説から、この日も結構な
値がついた高野槙の枝と、冥界からの “提灯” 代わりのホオズキ(鬼灯)が売られていました。

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 ガイドさんが境内の隅っこの暗い場所に誘います。何かと思ったら、“お岩さん” を祀った祠だ
と云います。何でも江戸時代に、注文を受けて造られた幽霊の像の焼き物が気味悪すぎると返品
されてきたそうで、この寺の住職がこの小さな祠の下に埋めたと云うのです。この地に相応しい
と云うか、「お岩大明神」の提灯が掛けられていました。

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 ツアーは、ここで現地解散。いささか心細い想いもしながら境内を出て、来た道を戻ります。

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 出た先には、「幽霊子育飴本舗」みなとやのお店があり、今もその飴を売ってるとのこと。
もの珍しいのか、外国の方が店先に並んでいました。ここ、本来は宇治茶のお店です。

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 そのお店の向いの角にも「六道の辻」の石碑があって、その横の西福寺(六道の辻地蔵尊)でも
「六道まいり」の行事が執り行われていました。それにしても、外国の方が目立ちます。

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 夜道を歩いていると “宮川町通” に出たので、清水五条駅でなく祇園四条駅へ向かうことにしま
した。そこからだと特急に乗れるのです。少しだけ遠くなるけど、この世に戻ってきた感じです。

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 その昔、京都では、人が亡くなると遺骸を野ざらしにして“あの世”へ見送ったそうな。平安期に
なると人口の増加に伴って、葬送の地は都の外へと広がっていったんでしょう。当時は、自然に朽
ちるに任す風葬や鳥葬が主であったらしい。あまり気味のよい話しではないですが、お盆ですので
ご勘弁ください。 (地図は、京阪電車散策マップより抜粋/加筆、クリックすると拡大します)

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