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2026年10月 1日 (木)

平城京の“南端”をぶらぶら

 「平城京」と云えば、近鉄大和西大寺駅と新大宮駅の間の「平城宮跡歴史公園」のあたりを
思い浮かべますよね。でも、平城京を南北に貫く「朱雀大路」を中心に、東西方向と南北方向
の道路で碁盤の目のように区画され、南の方は、十条まで整備されていたと云われています。

 過日(9/12)、平城京南方遺跡の発掘現地説明会に行こうとして、ちょっと寄り道してみました。

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 平城京には、西市と東市の2つの官営市場があって、奈良時代の流通の中心だったそうな。
「西市保存会」の説明板によると、「西市」は、現在の近鉄九条駅の東側一帯にあったとされ、
7万㎡もの広大なスペースを占めていたらしい。写真の説明板があるあたりが「西市」の東端
で、周囲に垣が巡らされ、四方に門があって、「市司(いちのつかさ)」が管理していたらしい。

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 「西市跡碑」から秋篠川に沿って下った先に、「西市船着場跡」と云う説明板がありました。
古代の都城、平城京には、京の南端近く、朱雀大路を挟んだ東西2ヶ所に市場が設けられ、
そこへ物資を運ぶため、“市”に接した運河が造られていたと云います。つまり、平城京では、
運河を使って物資を “市” に運んでもいたらしい。ふぅ~ん。

 この秋篠川は、平城京造営時に条坊に合わせて直進化された “人口河川” だったそうで、
佐保川から遡って「西市」へ物資を運んだと云われています。また、難波の海から大和川を
経て飛鳥川を上がって、平城京四周にも通じていたらしく、薬師寺東大門の前までも繋がっ
ていたと云うことです。(しばらく待っても移動してくれない人が1名)

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 秋篠川が屈曲した地点に、平城京西一坊大路跡の碑と伊勢神宮の遥拝所の碑と一緒にあ
る太神宮灯籠。ここが、平城京南方の “出入口” の一つなんかな? 知らんけど。

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 秋篠川の右側の堤防に入りました。左側には、広~い「九条公園」が接していて、その造成
工事に先だって行われた発掘調査で、条坊遺構や掘立柱建物のほか、奈良時代の官営工房
の跡を検出、井戸の底からは、ガラス玉などとともに「富本銭」が1枚出土、定説を覆す歴史的
発見へつながったそうな。(川向いの公園入口にある説明板より=望遠撮影にて)

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 あちゃ、この右側の堤防に入ったのは失敗でした。JRの線路までに、対岸へ渡るスベがない!

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 何とかJRの線路下をくぐり抜けた途端、JR大和路線を特急 “まほろば” が走り抜けて行き
ました。乗ってないなぁ。

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 秋篠川が佐保川に合流したあとも、ずいぶんと“失敗したな”との想いを抱えて歩いてきました。
先の方に見えるバス道(城周り線)めざして、トボトボ進んでいると、「羅城門跡」に出ました。

P1110615

 この先の方に、小さく復元された「朱雀門」が見えるらしいです。分からんかったけど。ここ
からの眺望が “奈良県景観資産” に登録されてる由。ふぅ~ん。(次の一葉はクリックで拡大)

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