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2026年8月20日 (木)

大阪「西淡路」の歴史を歩く ①

 新大阪駅の周囲、西淡路あたりには、涙なくして語れない先人たちの歴史が濃く残されて
いました。まず訪ねたのが「大願寺」と「長柄人柱 巌氏碑」。推古天皇の治世、難渋していた
長柄橋架橋の際、吹田(すいた)の垂水の長者・巌氏(いわうじ)が橋がないことに苦しむ人々
のために自ら人柱になることを決意、自らの風体と同じ「袴に横継ぎを当てた者を人柱にす
ればよい」と進言したそうです。

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 巌氏が人柱になって橋が完成、大水でも流されなくなりましたが、父の死後、言葉を失い心
も閉ざしていた巌氏の娘が嫁ぎ先から帰される途次、長柄橋を渡った際に一羽のキジが啼き、
夫が弓で射止めたところ、「もの云わじ父は長柄の橋柱、啼かずばキジも射られざらまし」と
詠じて泣いたそうです。(なお、現在の長柄橋とは、流路も場所も異なります)

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   自らすすんで長柄の人柱と
  なった巌氏の冥福と長柄橋の
  守護を願い、推古天皇の勅命
  によって建立された「大願寺」
  ですが、現在の堂宇は宝永6
  (1709)年に再興されたものだ
  そうです。

   左図は大阪市HP「歴史の
  散歩道」より抜粋補遺
  (クリックで拡大します)


 JR東海道線などの低い高架を潜った先には「須賀神社跡」があり、樹齢600年とされる大楠
がそびえていました。この神社、南北朝の戦乱を避けて京から移り住んだ刀工「来(らい)國次」
が一族の鎮守として創建したもので、明治期に中島惣社に合祀されたそうです。

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 この大楠は、四条畷の戦いで戦死した楠木正行の僅かな残兵がこの地に逃れ、主君を偲ん
で植えた苗木が成長したものだとされ、大阪府の天然記念物に指定されています。

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 須賀神社跡の石碑の脇には、再興を願う人が寄進したらしい小社が残されていました。この
広い一画は、「須賀の森公園」として維持整備されています。

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 広い道路を南に渡ると、「東淀川区西淡路4丁目」の町名板がありました。所々に古そうな
建屋が残されています。

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 更に南下しました。一直線の参道が続いています。この御神灯は、須賀神社のそれだった
ようです。

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 今回の街歩きは、“大阪おもしろツアー” のてくてくツアーに参加した時のものです。続きます。 

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