大阪「西淡路」の歴史を歩く ①
新大阪駅の周囲、西淡路あたりには、涙なくして語れない先人たちの歴史が濃く残されて
いました。まず訪ねたのが「大願寺」と「長柄人柱 巌氏碑」。推古天皇の治世、難渋していた
長柄橋架橋の際、吹田(すいた)の垂水の長者・巌氏(いわうじ)が橋がないことに苦しむ人々
のために自ら人柱になることを決意、自らの風体と同じ「袴に横継ぎを当てた者を人柱にす
ればよい」と進言したそうです。

巌氏が人柱になって橋が完成、大水でも流されなくなりましたが、父の死後、言葉を失い心
も閉ざしていた巌氏の娘が嫁ぎ先から帰される途次、長柄橋を渡った際に一羽のキジが啼き、
夫が弓で射止めたところ、「もの云わじ父は長柄の橋柱、啼かずばキジも射られざらまし」と
詠じて泣いたそうです。(なお、現在の長柄橋とは、流路も場所も異なります)

自らすすんで長柄の人柱と
なった巌氏の冥福と長柄橋の
守護を願い、推古天皇の勅命
によって建立された「大願寺」
ですが、現在の堂宇は宝永6
(1709)年に再興されたものだ
そうです。
左図は大阪市HP「歴史の
散歩道」より抜粋補遺
(クリックで拡大します)
JR東海道線などの低い高架を潜った先には「須賀神社跡」があり、樹齢600年とされる大楠
がそびえていました。この神社、南北朝の戦乱を避けて京から移り住んだ刀工「来(らい)國次」
が一族の鎮守として創建したもので、明治期に中島惣社に合祀されたそうです。



この大楠は、四条畷の戦いで戦死した楠木正行の僅かな残兵がこの地に逃れ、主君を偲ん
で植えた苗木が成長したものだとされ、大阪府の天然記念物に指定されています。


須賀神社跡の石碑の脇には、再興を願う人が寄進したらしい小社が残されていました。この
広い一画は、「須賀の森公園」として維持整備されています。



広い道路を南に渡ると、「東淀川区西淡路4丁目」の町名板がありました。所々に古そうな
建屋が残されています。

更に南下しました。一直線の参道が続いています。この御神灯は、須賀神社のそれだった
ようです。
今回の街歩きは、“大阪おもしろツアー” のてくてくツアーに参加した時のものです。続きます。
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