京都/西陣の「今宮祭り」➋
少し南東方向へ、小川児童公園の近くまで移動しました。途中の住宅には、「辻子(ずし)」や
「路地(ろうじ)」が普通に見られます。辻子は通り抜けできますが、路地は行き止まりです。でも
「抜け路地」と云うのもあるので、京都は難しい。
小川公園の一画に、「応仁の乱と細川勝元邸」の説明板があり、この辺に細川邸があった
そうで、応仁の乱後の復興した京の景観を描いた「上杉洛中洛外図屏風」には、築地塀に囲
まれた邸内に連なる建物と多くの人が行き交うさまが描かれていました。そして、山名宗全の
“西陣” に対し、そこ「細川邸」こそが東軍の陣地、つまり、“東陣” やったんやそうです。
せやけど、室町時代のお話しが、公園の説明板で普通に語られているんですよ、京都やねぇ。
次の写真は、その小川公園の説明板から写し取ったものです。
結構長い時間を掛けて、狭い四つ辻を御輿の長い担ぎ棒を無事に回せたようですが、もし
当たってたら謝ったらしまいやと、安堵の声を弾ませながら、広い道に出てきました。そこで
また小休止です。つまり撮影ポイント。




宮司さんを乗せたオープンカーも来ました。御輿を出す町の単位で “お札” を売ってました。

ガイドさんの資料提示。宝永元(1704)年に描かれた今宮祭りの様子。ふぅ~ん。
次いで、“休み鉾” になってる芝大宮町の「蓮鉾会所」に移動、“居祭” の様子を見ました。
応仁の乱で西軍の拠点となり、“西陣” の名を遺したと云う山名宗全の邸宅跡を眺めながら、
わざわざ狭い辻子を抜けて行った先には、蔵から出した色んな用具が広げられていました。





由緒ありげな大邸宅が並ぶ元誓願寺通りの “箔屋野口” と云う、ガイドさんの幼友達宅に
あげてもらいました。代々、西陣の帯に織り込まれる金糸や引箔を製造されており、独自の
絵画表現に昇華させた「箔画」の作品を制作・販売されているそうです。安いものではない。
こちらで緊張しながら休憩、巡行の鉦の音が近づくのを待ちました。



鉦の音が近づいてきたら、通りに出て待ち受けます。さっきと同じ列ですが、お疲れの色も。







巡行の列は、一服したら、もうひと頑張りして
今宮神社に還ります。疲れたので、ここで退散。
(2026/5/10 撮影=まいまい京都のツアーにて)
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