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2026年5月25日 (月)

“美形”「市尾墓山古墳」の石室へ

 奈良県高取町の「市尾墓山古墳」の石室限定公開の知らせをFBで知り、さっそく申請書を
FAXしました。以前、この石室が “夜間公開” されたことがありました。石室の入口から強い
西日が射すのを避けるためとのことでしたが、その時は都合がつかず、行けなかったんです。

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 単線の近鉄吉野線の市尾駅は無人駅でした。駅周辺は帰途にユックリ撮ろうとサボったら、
復路は駆け込み乗車になってしまいました。(なので、駅周辺の写真はありません)
 駅から北へ5分ほど進んだ古道の四つ辻に、見えにくくなった案内標識がありました。

P1080916

 一面に広がった田圃の真ん中に、忽然と姿をあらわす可愛らしい古墳。平地に粘土を固め
て築造されたそうで、墳丘の一段目と二段めの間の “テラス” に埴輪列が出土したそうです。

P1080804

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   11時の案内を申請していましたが、
  少し早く着きました。誰もいません。
   初め、円墳のように見えていたんで
  すが、踏み跡をつたって周囲を歩いて
  行くと、前方後円墳の形が現れます。
  
   「市尾墓山古墳」は全長70m、高さ
  10m、2段の墳丘を持ち周濠と外堤を
  合わせると全長100mの規模とのこと。


P1080808
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P1080813

P1080814
  時間になると教育委員会の方が来られ、厳重
 な鉄扉を開けてくれました。一人のために。

  石室内のすごい高湿を維持するため、二重扉
 になっていました。
  (左の記事は石室階段下の説明板より抜粋)   

P1080871

 羨道の奥に石棺が見えました。振り返ると二重扉からの強い陽射しが湿度で煙っています。

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 羨道を進み、玄室に入ります。家形石棺の左手前部分の補修跡が鮮明過ぎますね。

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P1080888

 用材は、やはり二上山周辺の凝灰岩だそうです。出土遺物から6世紀初めの古墳時代後期
を代表する古墳とされ、この地域に権力をもった豪族が葬られていたらしい。

 天井に架けられた大きくて平らな石を見上げると、ボツボツとした水滴が光っていました。
多湿な石室環境での結露のようです。また石棺の奥壁には、小さめの石が積み込まれていて、
羨道奥を後から閉塞させたかのようでした。(次の1枚はクリックで拡大します)

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P1080898

 じっとりとした石室内を出て、墳丘に上がってみました。後円部と前方部の境目の墳頂近くに
一本のイロハモミジが植わっていて、“翼菓” が揺れていました。風に吹かれるとクルクル回っ
て遠くまで種が飛んで行くらしい。

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P1080913
 
  石室内の見学を終えると昼近くになっていました。市尾駅近くにもどると、電車が停まって
いるのが見えました。単線なので交換待ちしているようです。次は30分後になるので、急いで
駆け込みました。そのせいで、市尾駅周辺で撮るのを失念してしまいましたよ。
 お昼は、橿原神宮前駅構内で ニシンそばセット。柿の葉寿司をお土産にしました。

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