「御領」から「氷野」へ
かつて野崎小唄に謡われた “野崎参り”の屋形舟ルートの途上にあたる水郷の里「御領」
は、旧深野池の西側に広がる低湿地でした。古墳時代には、生駒の山裾まで広がっていた
と云う河内湖が次第に縮小し、13世紀中ごろに池の周囲に堤防が築かれると、それが人の
生活を確かなものにし、江戸時代には「深野池(ふこのいけ)」と呼ばれるようになったそうです。
地誌「枚岡のあゆみ」に掲載された古図
にも、300年前の川違え(川の付替え)以前
の大和川が寝屋川とともに「旧深野池」に
流れ込んでいる様子が描かれています。
堤防に沿った集落と湿地に広がった農地
の拡大にともなって、多数の水路が作られ、
網の目の道路の役割を果たしてきました。
前回の記事で乗せてもらった「田舟」が活
躍し、最盛期には大坂の道頓堀まで行き来
していたそうです。
御領の東口に坐す「龗(おかみ)神社」は、
水を司る龍がいると伝えられ、水を鎮める
ために堤防上に祀られたんでしょうね。
御領地区土地区画整理事業により造成された「御領みのり公園」の近くには、せせらぎ水路
や人工池が設けられ、かつての “水郷” を偲ぶ景観が再現されています。


やはり「段蔵」は、北河内の象徴と云えるでしょう。普段は最下段で生活し、大事なものは
一番上の蔵に収納していたそうです。
せせらぎ水路の上流は、せせらぎ遊歩道になっていて、そのスタート地点では、浄水場から
パイプで引かれた水が流されていました。

御領中心部の道路も、もとは舟運のための井路(用水路)でしたが、埋め立てられたんですね。
さて、ここから旧深野池の “ヘリ” を「氷野(ひの)」へ進みます。現在の「深野池」は、寝屋川
水系治水上の必要性から平成3(1991)年に新たに整備されたもので、旧深野池が小さくなって
残っているのではないとのこと。右手に旧深野池の堤防が築かれていたらしい。
菅原道真を祭神とする氷野の氏神、氷野北野神社。ここの参道は、旧深野池の堤防だった
そうです。境内に置かれた不自然な石材こそが、井路川に架けられていた石橋の残骸らしい。

なぜか低くなっている鳥居。何かで埋まったのかな。いや、小振りなだけかも。
左手に旧深野池の堤防があったらしいです。低地にある高低差は、大体、堤防なんでしょう。


今回の記事は、昨年11月開催の「ぶらり北河内」広域リレー講座に参加した時のものです。
自宅からバスで30分圏内なので、地誌的には理解していると思っていたのですが、決算と
重なってちょっと手こずりました。消化不良な箇所が残ってますが、勘弁してください。
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