探訪!「北山杉の里」
先月、京都駅からのJRバスで「北山杉の里」に出掛けました。例によって、“まいまい京都” の
ミニツアーです。1時間に1本あるかないかのバスなので、朝6時起きで、周山行きのバスに乗り
ました。高尾/栂尾までは満員でしたが、そこを過ぎると閑散で、山間の北山生協前で下車です。
「北山杉」は、“台杉仕立て” と云う独特の
育林方法によって造られてきた北山丸太の
ことです。北山の急な斜面での植林や育林
は大変困難であり、苗木が貴重であったの
で、一つの株から数十本もの幹を育て、それ
が一つの “森” のようになって更新してゆく
んだそうです。
この方法によって、植林の回数を減らし、
収穫のサイクルを早め、緻密な丸太を生産
できるとのこと。SDGsの極みやんか。
大正期まで主流だった “台杉仕立て” も、
丸太の流通量が増えてくると、一代限りの
“一斉林” が中心になり、今は、枝打ちによ
って枝下高が整然と揃った杉の整然と立ち
並ぶ美しい景観を作り出しています。
「北山丸太」は、3mに切り揃えられます。
他の木材産地のように、筏を組んで川に流
すことができない地勢だったゆえ、全て人力
で運ぶためだったとのこと。そのためにも、
よく乾燥させ、軽くする必要があったそうです。
つまり、用途を限定し、人力で運べる商品
価値の高い丸太を造り出す必要に迫られた
先人の工夫の結果であった云うことです。
「北山丸太」は、周山街道を越えて、多くの
材木商が集積していた京の丸太町通りまで
運ばれていたそうです。
「北山生協前」は、まさに山峡でした。「生協」と云っても、生産協同組合のことでしたが。


北山杉の里総合センターにて、まずは「北山丸太」の歴史です。京都北山/中川地区の急峻な
山々で600年も続く北山の林業は、室町時代に始まったとされます。北山杉の皮を剥いて加工さ
れた「北山丸太」は、千利休により完成された“茶の湯文化” を支える茶室や数寄屋の建築用材
として重用されてきたそうです。

「北山丸太」には、磨丸太/人造絞丸太/天然絞丸太などの種類があり、木肌に波状の凹凸を
持つ材が高値で取引されるとのこと。稀に波状の凹凸が天然にできる品種があるものの、多くは、
下の写真のようにして、伐採の2~3年前に、人為的に凹凸をつけさせるんだそうです。面倒至極。


北山特有の時雨が降っていて、“枝打ち” は中止かと思っていましたが、30分ほどで止みました。

北山杉は密植です。光が差し込まず、下草が生えにくく、「枝打ち」も やりやすいとのこと。
この道35年の “杣人(そまびと)”、松本さんが「枝打ち」を実演してくれました。
頼りなげに見える “梯子(はしご)” は緩く固定されていて、大きくしなる構造だそうです。



いちいち降りて来るのが面倒とばかり、隣の枝を引き寄せて、飛び移ります。おおっと歓声!

ついで、皮を剥いた丸太を磨く工程です。何とか云う瀧の滝つぼの砂を使用するそうです。この
砂は、圧を加えると崩れて適度な磨き砂になるんだそうです。また、丸太の“末”(すえ)と呼ばれる
根元側は、立て掛けた時に端面が傷まないよう、そして乾燥しやすいように工夫されていました。


そうした昔からの手法は次第に廃れ、高圧洗浄機などの活用が進んでいるそうです。(続きます)
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