「中振北遺跡」は 京阪/光善寺駅のそば
大阪府枚方市の「中振北遺跡」は、京阪電車の連続高架化工事に関連した事前調査で発見さ
れた中世を主とする遺跡です。今回の8次調査では、平安後期~室町時代のものと推定される
建物の柱穴や井戸、区画溝など、中世の “街道町” の一画が発見されたとのこと。枚方市観光
にぎわい文化財課の担当者の説明の声が気持ち上ずっていましたよ。


この「中振北遺跡」は、京阪電車の光善寺駅のスグそばに位置しています。(クリックで拡大)
図は説明会での配布資料に補記

多くの井戸跡が重なって検出されています。方形の井戸枠と桶状の井戸枠が3基ずつ重なって
いる箇所もあり、平安後期から室町時代にかけて、同じ場所に連綿と造り替えられてきたらしい。



調査区画の北西部には、数多くの柱穴が密集している箇所があり、建物が何度か建て替えら
れたことが見て取れます。こうした柱穴や井戸が同じ場所で重なっているのは、域内がエリアで
使い分けられ、人口集中によって、都市的な街へと発展していった様子がうかがえるとのこと。


下の写真の手前側にある溝は、幅2m,深さ80cm,長さ17mもあって、調査エリア外に続いている
状況が検出されていました。住宅などの“区画溝” と考えられるようです。

土師器や瓦器などの食器類、須恵器の鉢や甕(かめ)と云った日常生活道具のほか、中国伝来
の青磁や白磁も検出されていて、ここに住んだ人々の経済力の高さがうかがい知れるそうです。


こうした中世都市の発展に目をつけたか、「中振北遺跡」の西方には、浄土真宗の蓮如が建立
した出口御坊(光善寺)があって、河内街道に繋がる東西道が通じていたとのことなので、ちょっと
した “門前町” の様相であったのかも知れませんね。寝屋川市駅まで戻って小休止です。

そうそう、光善寺駅は、京阪電車屈指の急カーブ地点にホームがあるんです。かつての門真駅
の急カーブを覚えている者にとっては、何てことないと思うのですが、高架化されたら解消らしい。
にほんブログ村 (2025/11/1 撮影)
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11/22に沖本ツァーに参加致しましたものです 帰り際に「南太郎のブログ」の名刺を頂戴いたしました
今ひらきましたらとても素晴らしいもので嬉しく思っております
枚方香里団地のなかにある社宅に引っ越してきました
私の紹介を少しお知らせいます
生れは新潟県現在阿賀野市となっています 新潟県は大きな平野ですので蒲原平野と名の付く、東西南北に区分されております S54(1979)に夫の仕事転勤先の妙高山の近く(現上越市)で7年間過ごし、大阪にきました 5年の約束が終の棲家になりました
叉じっくり拝見させていただきます ありがとうございます
よろしくお願い致します
投稿: 小野塚 操 | 2025年11月28日 (金) 16時32分
小野塚 操さん、さっそくご覧くださり、ありがとうございます。
沖本先生とは、かなり昔に、新之助さんの「大阪高低差学会」のウォーキングのあと、
一服しに入った喫茶でご一緒して、参加を誘われたんです。「原種アサガオ」の種子ももらいました。
当方は、大阪市内から寝屋川市に引っ越してきて、50年になります。サラリーマンを35年と業務請負契約で
19年、2つの会社にお世話になりました。それも、年内で打ち止めにしましたので、ブログのネタのために
プランター栽培したり、「大阪おもしろツアー」や「まいまい京都」に参加して、アチコチうろついたりしています。
週2回更新しています。これからも、精々、ご訪問ください。お願いします。
投稿: 南太郎 | 2025年11月29日 (土) 19時01分