渡来人の古代墓?「百穴古墳群」
比叡山の西麓には、古墳時代後期(1,400年前ごろ)に集中して造られたお墓(奥津城)が1,000基
も残されているそうです。出土した横穴式石室の形や副葬品から、技術者集団であった渡来人の
ものとされ、密集した状態で分布しています。既に石室を覆っていた盛土が流失してしまっている
ものも多く、開口していたり、石室の天井石が露出していたりします。「百穴(ひゃっけつ)古墳群」は、
その代表的な存在で、入口は狭いが中は広々としているそうです。(雨で入るのを躊躇)

この辺りの古墳は、大きな石を積み上げて石室を造り、土で覆ったものだそうです。石室の壁の
石を少しずつ迫り出すように積まれているので、天井部がドーム状になっているのが特徴とのこと。

小高い丘の斜面に築造された古墳群を巡るには、落ち葉の積もった斜面を登らなければなりま
せん。たくさん口を開けている横穴式石室に行ってみたいのですが、ガイドさんの雨の中では危険
との制止に従って、残念ながら、手前の方の比較的歩きやすい古墳だけにしました。


「百穴古墳群」には、64基の墳墓が確認されていて、これだけ集中しているのも珍しいそうです。
大阪/南河内の近ッ飛鳥博物館近くや柏原水仙郷周辺の横穴式石室群と同様、製鉄や稲作の
技術を持った渡来人集団が築造したものに共通する感じがしましたね。


その「百穴古墳群」と同じ丘陵の北東側にも同様の古墳群がありました。「桐畑古墳群」と呼ば
れ、こちらもドーム状の横穴石室を持つことから、やはり、渡来人のそれだと云われていますが、
現在は、玄室内に不動明王が祀られていました。


石室ドームの天井部分は、葺石がなくなって、吹き抜けの穴になってしまっていました。
古墳を出たところの高台からは、大津市街の先に、雨に煙る琵琶湖の姿が遠望できました。
雨の中での古墳探索は、リュックごとビニール
コートを被り、傘を差しながら、カメラを胸許に抱
えて歩きました。次第に足許に雨がしみこんで
くるのが辛いところでした。(2025/5/24 訪問)
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