志賀八幡から南滋賀町廃寺跡へ
さて、滋賀里駅から始まった雨降るさなかの史跡巡りですが、なにせ、しのつく雨がつづくので、
難儀ではありました。それでも京阪電車/石山坂本線で「滋賀里」駅に降りたのが初めてなので、
「志賀大仏」、「百穴古墳」以外もチョコチョコ歩きました。駅から歩5分、「志賀八幡神社」です。

徃古は大社であったそうですが、元亀2(1571)年の織田信長による比叡山焼き討ちの際に焼け、
昭和19(1944)年にも隣家からのもらい火により倉庫が焼失、創建の由来が分からなくなっている
とのこと。境内の狛犬の台座には「征露記念」の文字があり、日露戦争の戦勝記念の造立らしい。

境内を南に出たところが山中越えと古西近江路の交点でした。
この坂道を進むと、志賀大仏を経て京の北白川へ抜けられるのですが、路の脇には水路が張り
巡らされていました。所々には簡易な分水装置が設けられ、必要に応じて水を取り入れるように
工夫されていました。

古墳の一画が修験道の修行の場所になっていました。

住宅の傍にある “小山” が古墳だったと云うことが多々あるそうです。
行程の最後は「南滋賀町廃寺跡」です。大津宮と密接な関係のあった寺院と云われ、平安時代
の末期まで存続していたとされていて、多くの調査の結果、屋根を飾る瓦を焼いた窯の跡も多数
発見されていることから、この廃寺院が公的な力で造営、維持されていたことがうかがえます。

「南志賀町廃寺」は、大津宮の運営に関する役所的な施設であったらしいと云うことです。周辺
の丘陵には、福王子古墳群や百穴古墳群のような渡来系の墳墓が多くのこされていて、大津宮
への遷都も渡来系氏族である大伴氏の力に期待した気配が濃厚らしいです。
塔の芯礎に降り注ぐ雨とその水溜りに浮かぶ水草、悠久の歴史を伝えようとしているのかな。
帰途は、ひとつ大津寄りの「南滋賀」駅
に出ました。びしょ濡れのビニールカッパ
を脱いで、ヤレヤレです。三条駅改札前の
ドトールまで、何とか頑張りました。
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