水仙郷のそばの “ミニ古墳群”
今年2月、「柏原水仙郷」を巡ったときに見掛けたのですが、そこかしこに覆い土を失った小さな
“古墳” が露出しているところがありました。歴史上の著名人のものではなく、この地域に居住した
渡来系技術者集団の、そこそこの長(おさ)のものらしいです。
柏原市の大県(おおがた)周辺地域には、百済から渡来した王族の古墳が数多く残されているそ
うです。大和川と石川が合流する、JR関西線高井田駅そばに160基も穿たれた「高井田横穴」も、
そうした渡来集団のものと云われています。砂鉄の精錬や石組みの技術を持ち、農業にも長じた
高度な技術者集団であったらしい。その流れの “族長”クラスの墓ではないかとのこと。

天蓋や覆い土がなくなっているので、石窟の中が露出しています。構造は単純です。
1分と歩かない先にも、同様の古墳が露出しています。こうした古墳は、水仙郷とそこへの通路
を整備する中で、笹薮を刈ったら見つかったんだそうです。



でも、何でもない露岩とも思えるものが “古墳” だったと云うのは、ちょっとしたロマンですね。

少し離れた崖にある「夫婦岩」。これも、露出した古墳が崩れたものではないのでしょうかね。
崖を降りてみたい思いに駆られましたが、崩落危険との看板とロープがあり、自重しました。


この日の昼は、近鉄道明寺駅前の珈琲館チェリーでカツカレー。たばこの煙に往生しながら。
にほんブログ村 (2025/2/16 訪問)
今日も、ご訪問ありがとうございます。上記のポチッといいね💛をよろしくお願いします。
« 「蹴上のつつじ」も早かった | トップページ | 久米寺で “二十五菩薩の練供養” »
「歴史・遺跡・現説」カテゴリの記事
- 「物集女車塚古墳」② 石室へ潜入(2026.08.03)
- 「物集女車塚古墳」の石室へ ①(2026.07.30)
- “美形”「市尾墓山古墳」の石室へ(2026.05.25)
- 世界遺産/百舌鳥「長塚古墳」に上ってきた(2026.03.23)
- あの「箸墓古墳」で二つ目の “渡り土堤”(2026.02.23)


コメント