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2025年4月 3日 (木)

長岡京跡で2つの発掘調査

 先々月22日、朝からJR長岡京駅に行きました。この駅、かつては「神足(こうたり)」と云う名前で、
ビジネスフォーム(BF)の営業先の最寄駅でしたが、10時~16時の間は、東口の改札が閉じられて、
ぐるっと15分ほども回り道を強いられるので、朝早くか、夕方に訪問することにしていたものです。

 この日の目的地は、このJR長岡京駅前からの阪急バスで15分ほどの学校建設予定地です。

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 さて、僅か10年しか続かなかった「長岡京」は、桂川・宇治川・木津川の三川合流地点の北側に、
平城京での仏教勢力の干渉を避けるように桓武天皇が遷都した都です。水運に恵まれたこの地は、
百済渡来系の秦氏の本拠地でもあったらしく、その財力に期待したとも云われているそうです。

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 水に恵まれた都は、しかし、河川の氾濫には耐えられず、二度の大洪水で甚大な被害を被って、
内裏にまで水が流れ込んだとかで、結局10年しか持たず、平安遷都となったんでしょうな。

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 「製塩土器」と云うのが目に付きました。瀬戸内から海水を浸した藻類を運ばせて、それと一緒に
焼いて塩を採ったんかな。せやけど、これがそうだと云うことが分かるんですな。

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 今回の発掘では、古墳時代の竪穴建物や長岡京期の「溝」、中世以降の柱穴が多数検出されて
いて、縄文土器や石斧、須恵器、土師器、瓦、瓦器などの遺物も見つかったそうです。

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 今回の主要な遺構である3本の「溝」の一つは、幅1.3m、深さ0.8m、検出長20mもあり、二条大路
南側の側溝らしく、もう一つは、幅1.3m、深さ0.15m、長さ20mで、それに平行する3本目の「溝」は、
邸宅内の溝と考えられるそうです。

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 風が強く寒っぶい中で、説明に聞き入る “好きもん” 多数。無論、自分もですが。後方のこんもり
したところが「井ノ内稲荷塚古墳」だそうです。ぐるっと迂回しなければ行けないのですが、こちらの
現地説明会は午後の予定でしたが、見学と資料配布は今からでも大丈夫とアナウンスがあったの
で、この後、寄ってみることにしました。

P1630174

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  稲荷塚古墳の現地説明会は、午後に
 開催との事前情報でした。どこで時間
 を潰そうかと迷っていたので、ラッキー
 でした。(次回に続きます)

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歴史・遺跡・現説」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。
そういえば長岡京駅の旧名は「神足」でしたね。こちらも十分に歴史の香りを感じられる駅名だったと思います。
都として長い期間使われることのなかったのには、地形的な欠陥があったのですね。子供の頃には「もったいない」という感想しか抱かなかったのですが、勉強になります。

いかさまさん
こんばんは。

 長岡京の西北には、「大原野」というところがあって、農村地帯ですが、古くから拓けた
地域だそうです。いわゆる“西の京”です。学生時代からよく足を運んでいたのですが、
長岡京として受け止めていませんでした。摂津・京・丹波の境にも近く、応仁の乱に際して
一休禅師が“避難”した高槻の山奥もスグ近くです。

 このあたりに通う路線バスも、京都市バス、阪急バス、京阪京都交通(旧京都交通)に
新興のヤサカバスが、狭隘路を微妙にズレた路線を展開していて、これも面白いのです。
ネタに詰まったら、さっと出掛けられる場所です。
 

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