“油の神様”「離宮八幡宮」
8月23日は “油の日” だそうです。京都府大山崎町にある離宮八幡宮と様々な油脂事業を展開
するカネダ株式会社(本社/東京)が共同で制定したもの。勅命により、貞観元(859)年に九州から
宇佐八幡宮がここ大山崎に遷宮された日が8月23日だったかららしい。
写真は境内の “油祖像”です。神人(じにん)と呼ばれた人達が独占的に油を売りまくったらしい。

この記念日は、日本記念日協会によって認定/登録されており、日常生活に必要で大切な様々
な “油” について考えるきっかけになることを願ったものだそうです。

HPには、離宮八幡宮では
この日、燈明用や工業用、
食用として生活に欠かせな
い油の恵みに感謝し、日々
の生活の平安を願っておま
つりをしている由でした。
また、荏胡麻(えごま)油
を参拝者に頒布するとも記
してありましたが、訪問時
には、なにも実施されてお
らず、HPが更新されていな
かっただけのようです。
阪急大山崎駅から西へ歩3分、離宮八幡宮の東門はスグそこで、この右手奥はJR山崎駅です。
ご神燈の “紋” が三本杉なのに気づきました。これ、奈良/三輪の大神神社のそれに似ています。
遷座してきたと云う九州の宇佐神宮のは左三つ巴なので、なんでかなぁ。ちょっと不思議です。


本殿の手前には「本邦製油発祥地」の石碑が建てられていました。そして、その前には、淀川
の対岸と同じ「石清水八幡宮」の刻印がある一対の灯籠があり、離宮八幡宮の成り立ちや歴史を
偲ばせられます。
ここ離宮八幡宮と八幡の石清水八幡宮とは因縁浅からぬ関係にあって、もともと離宮八幡宮が
「石清水八幡宮」と呼ばれていたんだそうです。八幡(やわた)の八幡宮は分社の一つだったとか。
山崎の地では、こんこんと岩清水がわいていたと云うことで、サントリーの醸造所が立地している
ことからも、ありそうな話しではありますなぁ。
でも “油祖” と呼ばれるのは、平安期か鎌倉期にこの神社の神官が「長木」と云う搾油の装置を
発明し、荏胡麻(エゴマ)油を独占的に販売する利権を得て、“油座” を運上、大いに栄えたと云う
ことからだそうです。
あの斎藤道三も、山崎の離宮八幡宮油座の荏胡麻油を売る油商人から始まって、のちに美濃の
国主になったと「国盗物語」に綴られています。(下図は離宮八幡宮で配布のパンフより抜粋)
この離宮八幡宮は、いわゆる氏神様ではないので、氏子がおらず、油の運上金で神人(じにん)
と呼ばれる従業者を “雇用” していたそうです。油の商売には専売権を付与された神社の許状が
必要で、その権利を得た油商人には、天下御免の通行が許可されていたと云います。すごい!


大山崎には、嵯峨天皇の離宮があったため離宮八幡宮と呼ばれるようになり、朝廷より「油祖」
の名を賜り、油の専売特許を持って栄えていったと云うことですね。諸国の油商人は離宮八幡宮の
許状無しには油を扱うことはできなかったから、現在でも「油の神様」と云うことなんですね。
神様と云うより、一つの独占企業だった感じです。知らんかったけど、凄いことやったんですね。
離宮八幡宮創建1,150周年記念事業への浄財募金リストには、100社を超す、ほとんどの油脂関
連企業の芳名が掲げられていました。 次回につづきます。
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