夜の「六道まいり」
地元神社の夏祭りが済んだあとですが、どこかへ出掛けようにも、昼間の暑さが堪えて、どこに
も行けずじまいでした。少しは涼しくなってから出掛けることとし、“まいまい京都” の てくてくミニ
ツアー「夜の六道まいり」に参加してきました、京阪電車の清水五条駅に18:30集合です。

日没まで少し時間があるので、五条大橋たもとに残されている「源融河原院跡」を見に行きます。
源氏物語のモデルの一人とされる平安前期の左大臣源融(みなもとのとおる)の大邸宅“河原院”が
あったとされ、陸奥塩釜の風景を模した庭園に、難波の浦から運んだ海水で塩焼きをして楽しんだ
そうです。このエノキの大樹は、邸内にあった森の名残と云われているそうです。
現在、エノキの傍らに小さな祠が残されているのみで、栄華と荒廃を象徴しているみたいです。


弁慶と牛若丸の頃の五条大橋は、現在のそれではなく、一つ川上に位置する松原橋のことだそう
です。松原橋が架かる松原通りは、清水寺への参道です。平安期、鴨川の東側で、その参道の南側
は、“鳥辺野” と呼ばれる広大な葬送の地だったそうです。(下の地図は クリックで拡大します)
この日の五条通りです。この東山の麓が「鳥辺野」と呼ばれる広大な葬送地だったんですね。
涼しくなった鴨川の河原を松原橋まで歩きます。ガイドの井上さんから、かつての鴨川河原が
どんなもんだったかと云う話しを聞かされます。遺骸がゴロゴロしていたとか、中州に陰陽師の
拠点があったとか、川風の涼しさ以上のものを感じながら、松原橋手前の階段を上りました。
松原通りを東に進んでスグの南北の通りが「宮川町通り」です。独特の静けさです。

これから訪ねる「六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)」一帯は、かつては葬送の地でした。鳥辺野の
入口にあたるため、“六道の辻”と呼ばれてたそうです。鳥辺野へ至る道筋にあたる六道珍皇寺で
野辺の送りの法要を行い、最後のお別れの後、風葬の地である鳥辺山の麓へと運んでいたらしい。
そんな風習のためか、珍皇寺の辺りを中世以降「六道の辻」と呼び、他界(地獄)への入り口とされ
てきたそうです。この六道とは、仏教の六道輪廻の死後の世界のことで、地獄、餓鬼、畜生、修羅、
人間、天上界の6つの世界のことで、人は、生前の善悪の業により、六道のいずれかにゆくとされ、
珍皇寺はこの六種の冥界への入口にあって、「あの世とこの世」の分岐点だと信じられてきたよう
です。(珍皇寺HPより要約)




暑いときなので、少しでも涼しく感じたいと思って来ましたが、こういうの、ホントは苦手。
この日は、冥界への入口だと云う井戸には近寄れなかったので、まあ、善かったです。(続く)
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