難読地名の「雁多尾畑」探訪➋
さて、難読地名の邑落、断崖に張り付くように広がっている「かりんどおばた」の探訪です。
まず、「光徳寺」の山門をくぐった先には、京の寺院のような光景が広がっていました。


昔の堂宇の遺構でしょうか。何度も戦火で焼失し、再建されてきた歴史を感じさせられます。


山門に戻りました。かつては300町もあった寺域も、織田信長に没収されて、いまは狭いです。
「松谷光徳寺」の石段の向いにある建物も、立派な構えのお屋敷でした。庄屋だったのかな。


坂が急なので、上り下りとも膝に堪えます。



見晴らしのよいところに出ました。傾斜地では、“河内ぶどう” の栽培が盛んなようです。そう
云えば、子供たちが小さいころ、柏原の駅前から軽トラで送ってもらってぶどう狩りに来たのは、
このあたりやったんかな。結構、遠かったような記憶があります。“河内ワイン”もありましたね。
一升瓶で販売されていて、多くは、醸造用アルコールとしてS社(寿屋)に供給されていたとか。

光徳寺からの坂道を登り切ったところに
避難所を兼ねた立派な「雁多尾畑会館」
がありました。
その向い側には、消防団の詰所もあり、
地域の防災拠点になっているようです。
大和川を見降ろすビューポイントですが、この日は、黄砂が酷く、霞んでいました。 
このあたりで一番高いとところに「竜田古道の里公園」と云うのが見え、BBQを楽しむ人達の
歓声が聞こえてきましたが、管理事務所に人の気配がなく、自販機で飲み物を買っただけです。
里山公園の看板に並んだ「土砂災害警戒区域」の現地表示板を見ると、ここは、あの地すべり
地帯「亀の瀬」の真上にあたる場所なんですな。(下図はクリックで拡大します)

奈良側から来た車には、引き返せとの指示。
まあ、酷道308号の大阪側よりはずっとマシか
と思いますが、その方が無難でしょうね。
南太郎もボチボチ下りに掛かろうと思います。
バス道沿いに進んだ先で、三叉路を左にとれば、
JR河内堅上駅に出られるはずです。途中、二三
の史跡を見て、どっかで昼にしましょうか。
「地下(じげ)町青年団こども会」太鼓台地車収納庫とあります。地下町と云うのは、社寺の庇護
を受けた町と云う意味らしく、このあと見に行く神社(金山彦/金山媛神社)の氏子の町なんでしょ
うな。傍らには、「御輿台」も設えられていました。ダンジリのことを“太鼓台”と呼ぶのは、吉野
とかでも聞いたことがありますが、一見、岸和田のダンジリと変わらなかったと思います。


まあ云うても、急坂ですよ。断崖にこれだけの建物が密集しているは、なんでなんでしょうね。
この階段を上がったところに「教育発祥の地」と云う碑がありましたが、由緒は謎っぽいです。
あとで調べたところ、この石碑、もとは、市内で初めて学校が置かれたと云う青谷寺(せいこくじ)
にあったものではないでしょうか? なんで、ここにあるのでしょうね。


「雁多尾畑(かりんどおばた)」の風景は、この一葉に集約されるのではないでしょうか。なぜ
このような光景になったのか、疑問ふつふつのなかで、邑落のなかの狭い急坂を下りました。

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