近所の文化財特別公開
地元、寝屋川市は、時々、市内に隠れた文化財の期間限定公開を催してくれます。淀川に沿った
京街道の途中にあり、淀川は、古くから人や物の移動の大動脈として重要でした。 しかし、よく
洪水も起こり、古代から明治にいたるまで近隣の人々を苦しめてもきた歴史が伝わっています。
京阪電車の寝屋川市駅から太間(たいま)公園行きの京阪バスを降りて数分、淀川堤防に近づいた
村中にある「西正寺」が見えてきます。 


文化財公開があったのは、昨年11月でした。大輪の菊花の列が本堂へ導いてくれます。


今回の公開は、「絹本着色方便法身尊像(けんぽんちゃくしょくほうべんほっしんそんぞう)」
と云う仏教画です。実物は撮影不可なので、案内パンフを撮影しました。この尊像は、浄土真宗
本願寺より下付されたもので、西正寺所蔵。裏書には、文亀2(1502)年、河内国茨田郡大間村の
願主 釈順喜と記されています。西正寺は、郷士の茨田宋左衛門が蓮如の弟子になり、釈順喜と称
し、名号を受けて開かれた寺だそうです。
この尊像は、絹地に彩色され、中央に蓮台上に立つ阿弥陀如来が描かれ、背景には切金による
四十八条の放射状の光明が描かれています。市内最古の年号を持つ絵画であり、この地域におけ
る浄土真宗の展開を示す史料としても貴重な文化財(市指定有形文化財 絵画1号)です。
そんな淀川の、仁徳天皇の「茨田の堤(まんだのつつみ)」築造に関する逸話が日本書紀にあると
のことです。何度工事しても堤が繋がらないため人柱を立てることになり、下の一か所は、武蔵の
強頸(こわくび)が犠牲になったが、上のところに指名された茨田連(まんだむらじ)の衫子(ころもこ)
は、機知をを以って生贄を免れたたと云うものです。激流に投げ入れた瓢箪が沈んだら、神の力を
信じて生贄になるが、そうでなかったら、神に力がないので生贄にはならん、と云うものです。
「衫子(ころもこ)の絶間(たえま)跡」
の碑が、近くの太間(たいま)天満宮の
境内にありました。
今にも降り出しそうな空模様でしたが、境内に忘れた傘を取りに戻っている間にバスが行って
しまいました。幸い、別の駅に向かうミニバスがスグあって、やれやれでしたが、そのミニバス
路線は、地元の路線とともに、この3月で廃止になってしまいました。バスがあるから、免許証
の更新をやめよかなと思ったこともあったのに、電動アシスト自転車を買うしかないようです。
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(2023/11/10訪問)
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