「本(もと)薬師寺跡」の発掘調査
天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈念して、天武9(680)年に発願されたと云う
「本薬師寺」は、平城京への遷都に伴って藤原京から移転した奈良市西の京の「薬師寺」のもと
の薬師寺と云うことで「本(もと)薬師寺」と呼ばれています。
もっとも、過去の発掘調査で、金堂跡や塔跡から奈良時代~平安時代の瓦も出土したことから、
平安時代まで、修理をしながら「本薬師寺」に堂塔が残っていたことが明らかになり、平城京の
薬師寺は、移築されたものではなく、新たに建てられた可能性が高くなっているそうです。
飛鳥石神遺跡発掘現場の見学会のあとで、近鉄畝傍御陵前駅から、その「本薬師寺」跡の発掘
現場に向かいました。晴れてるのに、小雨が降り、香具山から妙な雲がたなびいていました。




珍しいことに、発掘現場の中にまで板が敷いてあり、直近まで近づいて見ることができました。





今回の調査では、南門の南東コーナー部を良好な状態で検出できたそうです。そこでは南門の
基壇外周の石敷きが直角に屈折しています。石敷内には、幅60cm,深さ5cmの雨落ち溝があって、
南門南東隅から雨落ち溝までの距離が4m近いので、相当大型の建物であったことが想定されます。
(左図は当日配布の説明資料より抜粋)
クリックで拡大します



(配布の説明資料より抜粋/クリックで拡大します)
石神遺跡から飛鳥川沿いに歩いても良かったんですが、ちょうど来たバスで橿原神宮前駅に戻っ
て、畝傍御陵前まで、一駅、近鉄電車に乗りました。風が強かったのと、妙な雲が出て、にわか雨
に会うかも知れない状況でした。それにしても、現地見学会の連チャンと云うのも初めてでした。
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