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2024年4月25日 (木)

飛鳥/石神遺跡の再発掘

  飛鳥の漏刻(水時計)で知られた「水落遺跡」のスグ隣にある「石神遺跡」の発掘現地見学会に
行ってきました。近鉄の橿原神宮前駅からの “赤かめバス” で15分ほどの飛鳥バス停で降りると、
駐車場の右手奥に見えるのが「水落(みずおち)遺跡」です。

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 「飛鳥水落遺跡」は、24本の柱で構成された総柱建物の跡で、他に例のない “地中梁工法” で
構成されていた「漏刻台」(水時計)の跡として知られています。
(地図は当日の案内図/クリックで拡大)
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 正方形の基壇のほか、木樋の暗渠や銅管、基壇内部に引き込んだ水を基壇上へ汲み上げる装置と
ともに、中国に現存する元~清代の漏刻の受水槽と同様の漆塗木箱の痕跡も 検出されたそうです。
この「漏刻台」は、中大兄皇子が造ったものとされ、当時の中国的な政治理念による「時の支配」
の観念を具体化したものだそうです。

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 さて、「石神遺跡」です。今回の発掘調査は、昭和56(1981)年に行われた第1次調査区域の
再発掘が中心で、新たに7世紀の各時代の区画塀を検出、なかでも石組み溝と一体的に機能した
と思われる区画塀を検出、7世紀前半の石神遺跡の区画南隅を確認できたと云うことです。

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 発掘直後の状態を説明する写真も掲げられていました。石組みも、側石の立て方や底石の有無
など、時代によって、石組み溝の構築方法が異なっています。

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 石組み溝と自然流路、そこに石敷が広がる光景は、ここ「石神遺跡」が “古代の迎賓館” であっ
たことを彷彿とさせます。高句麗や百済が唐・新羅に滅ぼされる緊迫した時期に、強力な国つくり
を進めた斉明天皇(女帝)によって、運河や船団が整備され、百済復興や東北への領地拡大をめざし
ていたそうです。そんなときに造営されたのが「石神遺跡」であり、「水落漏刻台」でした。
 飛鳥時代の政治・文化の中心となった飛鳥宮跡の北東に位置し、官衙(かんが)施設の一画を担っ
たこれらの遺跡は、日本の国家形成過程における重要な役割を担った遺跡だと云うことです。

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Img_20240425_0001a  ここ「石神遺跡」の遺構からは、
 飛鳥時代の全般を通じて度重なる改
 造が繰り返されてきた痕跡が見つか
 っています。
  東北地方や朝鮮半島からもたらさ
 れた土器も発掘されていることから、
 内外からの使節を饗応する迎賓館で
 あったと想定されています。

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