神戸の「海軍操練所跡」
ずいぶん冷えこんで風の強かった1月13日、神戸市のイベントに申し込んで「海軍操練所跡」の
発掘調査現地説明会に行ってきました。JR三ノ宮駅から歩10分とありましたが、風を避けて適当
に地下道を南下して行ったら、駐車場に入り込んでしまったので、もう少し掛かりましたがね。


「海軍操練所」は、勝海舟が提起し、幕末の1864(元時元)年に幕府が開設した海軍士官の養成
施設で、坂本龍馬や陸奥宗光らも学んだそうです。その中には、倒幕を狙う浪人も居て、反幕府的
とみなされたため、僅か1年で閉鎖されてしまったと云うことです。
しかし、その操練所跡を土台にして港湾施設の建設が進み、1868(慶応4)年に開港、神戸港の礎
となったと云われています。

これまで、操練所跡の位置はよく分かっていなかったそうですが、開発に伴う工事での発掘に
よって、石組みの防波堤などが見つかったものです。「日本の近代化を牽引してきた施設であり、
貴重な発見」と説明する神戸市文化スポーツ局の担当者の声が上ずっていました。

北側の防波堤の下層から、南西方向に続く別な防波堤が検出されていて、石の積み方や表面の
調整痕などの特徴から、神戸港開港以前の幕末期に遡る石積みと考えられるそうです。そこから、
幕府による海防強化の目的で勝海舟が建設を進めた「海軍操練所」の遺構と考えられています。

今回の調査では、幕末期に築造した防波堤を利用して、その上に新たな防波堤を築き、港の機
能を拡充する様子がうかがえます。こうした幕末から明治期の築港の遺構が重層的に発見された
のは、初めてのことだそうです。港を中心に都市形成されてきた神戸市の原点と云えそうです。

今回の発掘現場は、旧生田川の河口で、明治初期の神戸港開港時に“第一波止場”と称されたと
ころ。北と南の2本の防波堤とその間に築かれた“信号所”の遺構も見つかり、旧生田川によって
形成された砂嘴の上に築かれたものだそうです。



発掘現場周辺には、防波堤に使用されていた石材(花崗岩の間知石)が展示されていました。

発掘現場は、阪神高速道の京橋ランプ近くです。すぐ北側には、大きなイカリのモニュメントと
「海軍操練所址」の古びた石碑がありました。案外、正確に位置情報が伝わっていたんですね。
(参考) 明治中期の“第一波止場” の様子。説明会のパンフより抜粋

(地図はクリックで拡大します)

さすがミナト神戸、電話Boxもシャレていました。でも、氷雨も降っていて寒すぎましたよ。
クリックといいね💛を宜しくお願いします (2024/1/13撮影)
にほんブログ村 ご訪問、ありがとうございます。コメントもよろしく。
« # UNO HOTEL の印象 | トップページ | 「宇高連絡船」の追憶 »
「歴史・遺跡・現説」カテゴリの記事
- 「物集女車塚古墳」② 石室へ潜入(2026.08.03)
- 「物集女車塚古墳」の石室へ ①(2026.07.30)
- “美形”「市尾墓山古墳」の石室へ(2026.05.25)
- 世界遺産/百舌鳥「長塚古墳」に上ってきた(2026.03.23)
- あの「箸墓古墳」で二つ目の “渡り土堤”(2026.02.23)


コメント