「坂本城址」発掘現場
“幻の城” と云われる明智光秀の「坂本城」の石垣が発見されたと云う報道に接し、さっそく
出掛けてきました。我が家からは、東福寺駅で京阪からJRに乗り継ぎ、京都駅でJR湖西線に乗る
のが最安ルートです。所要90分ぐらいなので、小雨模様の朝 7:30に出発しました。
我が家からは、東福寺駅で京阪からJRに乗り継ぎ、京都駅に出て湖西線に乗ると、4駅目が
比叡山坂本駅です。駅前の「坂本 石積みの郷公園」を取り囲むように人の列が続いていました。
9:30から整理券の配布が始まり、11:30開始の第2回目説明会に入場できることになりましたが、
その間、2時間弱。寒い限りでした。(地図は駅前の案内板より抜粋/追記。クリックで拡大します)

駅前から発掘現場までは、徒歩20分との案内でしたが、入場時刻まで1時間以上もあるので、
寒さしのぎを兼ねて、途中の周辺をウロウロしていると、個人の敷地に“明智塚”がありました。
この地は、坂本城の場内推定地で、坂本城落城の際に光秀の脇差や宝器をうめた跡で、明智一族
の墓所であると伝えられているそうです。さすが明智の地元ですね。
また、脇道に入ったところで、路の両側に似たようなお社が並んでいました。酒井神社(右)と
両社(りょうじゃ)神社です。いずれも弘仁元(810)年の創建と古く,“オダイモク”と呼ばれる
餅の作り物と江戸時代から伝わる武者人形を飾り,五穀豊穣を願う祭りです。
言い伝えでは、瀬田の唐橋に住む龍神への人身御供の身代わりとして餅(オダイモク)を供える
ようになったのだと伝承されているそうで、毎年1月6~8日に祭事があるそうです。
「川下り地蔵」両社川より下る石仏を祀った小堂の脇に、明治維新の際、日吉大社境内にあった
地蔵石仏が琵琶湖に流されたのを集めたらしく、子供の熱病治療、洪水鎮護などの祈願に霊験あら
たかと信仰されているそうです。「下る」も「流す」も、捨てられたの意味でしょうね、 

“マクド”に退避していましたが、入場時刻が近づいてきましたので、腰を上げました。住居表示
では、坂本でなく「阪本」と書くんですね。旧北国街道沿いには「坂本城址」の石柱もありました。
説明板によると、織田信長は明智光秀に命じて、浜坂本に“水城”を築かせています。ポルトガル人
宣教師がその城を「信長の安土城に次いで豪壮華麗な城だ」と賞賛しているとのことです。
本能寺の変の後、一度焼失して再建された坂本城は、天正12(1586)年頃に大津城の築城に伴っ
て移築され、15年ほどで廃城となったので、詳細な史料がほとんど残されていません。
昭和54(1979)年の発掘調査では、厚い焼土や建物の礎石が発見され、城址推定地となったそう
です。今回の発掘現場は、そこから5分と掛からない住宅地に残された田圃の中でした。

整理券によって、一回の入場は150人に限られています。足許は、泥土のフワフワした土質で、
ひっきりなしに湧水が染み出ていました。琵琶湖の水面より高いので、どこかに水源があるんで
しょうね。今回の発掘は、住宅開発のためのもので、ちょうど道路の予定地だったとのこと。


説明の担当者の声も、重大発見の興奮のためか、かなり上ずって聞こえていました。でも、住
宅開発のための発掘調査であったため、普通なら調査後に埋め戻してしまうことになるのが残念
との思いが強調されていました。後日のTVインタビューでは、滋賀県知事が保存の検討に言及さ
れていましたが、どうなることでしょうか。


発掘現場に設けられた臨時の展示場には、出土遺物の数々が展示されていました。茶碗の欠片
だけでなく、箸も原型のまま出土したのは、水気の多い泥土の中だったからだそうです。
瓦の破片のほか、櫂()かい)も原型を保って発見されていました。
破片ばかりなのは、大津城への移築に伴って破棄されたものだと云うことかも知れません。
立ち去る前に、今一度、発掘現場の全体を振り返ってみました。まさに住宅地の中ですね。
そして、以前、琵琶湖の渇水期に判明した「坂本城址」の湖岸の石垣を見に行ってみました。
発掘現場から湖岸方向へ5分ほどの葦原の中でした。なんか風情と云うか侘しさを感じますねぇ。

クリックといいね💛を宜しくお願いします (2024/2/11撮影)
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