「宇高連絡船」の追憶
かつて本州から四国への主要ルートは、宇野(岡山県)~高松(香川県)の「宇高連絡船」でした。
宇高を、旧国鉄の連絡船は「うこう」と読み、宇高国道フェリーの方は、海上保安庁にならって
「うたか」と読んでいたそうです。瀬戸大橋が出来るまえ、連絡船だけでなく、国道フェリーも
日に68往復していたと云います。そんな “宇野港” に宇高連絡船の痕跡遺構を訪ねてきました。

1910年から1988年まで、宇野港には「宇高鉄道連絡船」が運航されていて、その当時、係留
場所として使用されていた施設の遺構がいまも宇野港の一画に残されていました。






これらの遺構は、経済産業省の「近代化産業遺産」に指定されており、当時の姿を今に伝える
唯一の“痕跡”とのこと。かつての乗換客は、席取りのために桟橋をダッシュしてたそうです。
(桟橋遺構の説明板)

現在も宇野港からは、直島や豊島(てしま)、小豆島など瀬戸内の島々へのフェリーが行き来し、
それらを経由して、高松に至る便もあるようです。

釣りをされているここは、大型客船バース。しばしば、外国のクルーズ船が寄港するそうです。
この日の午前中、レンタサイクルで のんびり探訪しました。寒いかなと予想していたのですが、
12月とは思えない、日差しの温かい一日でした。午後は、いよいよ児島湾締切堤防に向かいます。
クリックといいね💛を宜しくお願いします (2023/12/13訪問)
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こんばんは。
宇高連絡船、懐しいです♡
もう昔も昔、高校の修学旅行で乗りました。
屋島へも行ったのですよ!瀬戸内海が眺められました。
何と私は中学の修学旅行で京都、奈良でしたが、京都は同じお宿だったのですよ!
京都からは高野山組と高松組と希望に沿ってでした♡
今日も有り難うございました🙇
当地は雪です☃
投稿: マコママ | 2024年2月 5日 (月) 20時13分
>マコママさん、コメントありがとうございます。
そうですか、高校と中学の修学旅行の宿が一緒と云うことがあったのですね。
南太郎の高校は、修学旅行がその年から廃止になったので、積み立てていたお金で
生徒が企画した8コースに分かれての“見学旅行”になりました。前年の九州行の航路
が瀬戸内の霧で混乱し、先生がサジを投げたらしいです。
その時、私も「伊豆大島縦断行」を企画して、地学の先生と救護室の先生に協力し
てもらって、きぼう号と鈍行夜行で40人が往復、伊豆大島を縦断しました。
今は、瀬戸大橋をこともなく特急で渡るたびに、宇高連絡船のうどんをしのんで
います。大阪は雪はないですが、寒いですね。
投稿: 南太郎 | 2024年2月 6日 (火) 10時48分
こんばんは。
寡聞にして知らなかったのですが、宇野と高松を直接結ぶ航路はもう存在しないのですね。
私が四国を初めて訪問したのはもう30年前にもなりますが、瀬戸大橋開通後であるにもかかわらず、高速料金が高いということで、フェリーが頻発していたのを覚えていますし、実際に乗ってもみました。
時代ですね…
投稿: いかさま | 2024年2月12日 (月) 23時41分
いかさまさん
そうですね。宇野~高松の直行便はなくなっていますね。確かに、瀬戸大橋が出来ても、通行料が
高額だったので、国道フェリーが頻発していましたが、東京湾横断道と同様、通行料が引き下げられると
フェリーは退出することになったようです。
四国から大阪や神戸へのフェリーは健在ですので、ある程度の距離と時間を航走しないと、メリットが
ないと云うことでしょうか。
投稿: 南太郎 | 2024年2月15日 (木) 23時13分