「高井田山古墳」と歴史資料館
平成2(1990)~3年の発掘調査まで、円墳だとしか分かっていなかった「高井田山古墳」は、
高井田横穴公園一番の高所にあります。古いタイプの横穴式石室を持ち、多数の副葬品が出土
したそうですが、5世紀後半に造られたものらしく、6世紀中ごろ~7世紀前半と云われる高井田
横穴が造られた時期とは、100年以上古いと云うことになります。(下図は史跡案内パンフより抜粋)
自然の地形を削って形を整え、中央に1mの墓坑を掘って、横穴式石室の下半分を積み上げ、
次に上半分を積み上げると同時に古墳の盛土を行って、円墳としての形を整えたものらしい。
透明だった覆い屋根も、汚れて見辛い状態ですが、出土品のレプリカも配置されていました。
高井田山古墳への途中で脇道に逸れた先に「柏原市立歴史資料館」があり、高井田山古墳や
高井田横穴の出土品、大和川付替え関連など、周辺の歴史史料が展示されていました。(この楕円筒埴輪は、川向いの松岳山古墳のもの)
高井田山古墳の造り方が分かる断面の模型。先にこれを見てから、遺跡に上るのがよさそう。
高井田山古墳の発掘当時の現場写真。遺跡の現状よりも分かりやすいかな。
石室内からは、須恵器の高坏と “はそう” (水差し)も出土。焼成が甘く、淡灰色で揃っている。
これらの須恵器は、木棺を収めたのち、閉塞石で閉塞する前に並べられたものとされています。
横穴式石室内の木棺は朽ちてありませんが、木棺に使用されていた鉄釘が残されています。
近くには、この時代の国内最大級の鍛冶遺跡と云われる大県(おおがた)遺跡もあって、高井田
山古墳の埋葬者は、百済から渡来した技術者集団の王族であろうと推測されています。
これ、火熨斗(ひのし)と云って、火皿に炭を入れてアイロンのように使ったらしい。青銅製で、
国内2例目の出土品だそうです。
並列の木棺の一方からは、181個のガラス玉がまとまって出土、紐に通されていたものらしい。
両方の棺から、それぞれ冑(かぶと)と短甲が出土、横矧板鋲留衝角付冑(よこはぎいたびようどめ
しょうかくつきかぶと)と呼ばれ、細長い帯のような鉄板を重ねて小さな鋲で留められています。
半人半獣像を伴う直径20.6cmの「神人龍虎画像鏡」は、神仙思想を表現したものと云う。中国
の鏡から型を起こして造った“同型鏡群”で、京都、奈良、福岡や岡山でも発掘されているそうです。
(上の写真3点は、公開当日のクイズでもらった絵葉書より借用)
この日、午後からの所用のため、特別
公開の最後の方は、少し端折って退散し
にほんブログ村 ました。でも、「高井田横穴クイズ」には
全問正解し、絵葉書セットを貰いました。
昼は、天王寺駅でコロッケうどんセット。
いつも ご訪問、ありがとうございます
クリックといいね💛を宜しくお願いします
(2023/5/20訪問)
【つぶやき】 日本ブログ村から「ブログみる」についての紹介
コメントを募るメールが届きました。何んのことか、よう分か
らないのですが、とりあえず、「ブログみる」をスマホにダウン
ロードしました。
ココログ広場が終了したこともあり、見てくれる人が増える
ことを期待して、取り組んでみますか。ボチボチ・・・。
« 「高井田横穴群」特別公開 ② | トップページ | 今年は、のたうつ「龍」 »
「歴史・遺跡・現説」カテゴリの記事
- 長岡京跡 ② 井ノ内稲荷塚古墳(2025.04.14)
- 飛鳥/石神遺跡の発掘現地説明会(2025.03.13)
- 長岡京跡で2つの発掘調査(2025.04.03)
- “但馬ファンクラブ” に誘われて(2024.10.13)
- 「本(もと)薬師寺跡」の発掘調査(2024.04.29)
コメント