「高井田横穴群」特別公開
JR大和路線で奈良方面に向かうと、大阪府最後の駅が「河内堅上(かたかみ)」で、その1つ
手前が「高井田」です。そこから13.5kmも離れた東大阪市にも、大阪メトロの「高井田」駅が
あって、戸惑う人もいるようです。
いずれの「高井田」も、地名からつけられた駅名だそうで、河内湖と呼ばれた古代湖が、川が
運ぶ土砂で次第に陸地化していったものの、大部分が低湿地であり、その一部の高所に「高井田」
の地名が定着したと考えられています。なので、高井田の町域は、細長く続いている感じです。
JR高井田駅から歩3分、「高井田横穴」の公開は、年2回開催されていて、先着順にグループ
単位で案内してくれます。この日は、昨夜来の雨が少し残っていて、足許がよくなかったです。
国の史跡に指定されている「高井田横穴」は、岩盤に密集して掘り込まれた洞窟のお墓群です。
現在、162基の横穴が確認されているそうですが、南に少し離れた二上山の噴火による火山灰が
固まってできた凝灰岩の比較的柔らかい岩盤に掘られています。
この日は、普段は施錠されている横穴にも、ほぼ自由に出入り出来たりするのです。
「横穴(よこあな)」は、下図のような手法で掘られるそうです。(配布資料より抜粋/追記)
二上山は、この地の南方にそびえる死火山で、千数百年前までは、活発に噴火していたらしい。
狭いので、横穴の前で説明を聞いてから入ります。ライトがないと見えないところが多いです。
この線刻模様は、亀を描いたもののようですが、花のようにも見えました。
「高井田横穴」で一番有名な線刻壁画が第3支郡5号墳のものです。少し高いところにあって、
覗けますが、入ることは出来ないため、階段下にレプリカが用意されていました。
ちょうど、ゴンドラようの船に乗る人物が描かれており、死者の魂をあの世に運ぶ思想に基づ
くものと考えられています。他にも、帆や舵を表現した船が線刻されている例もあるそうです。
この先では、急坂を降って谷に向かう途中に、いくつもの横穴が穿たれていました。
これらの横穴は、5世紀ごろの百済からの渡来豪族の古墳と云われる「高井田山古墳」に接近
した位置にありますが、横穴群は、6世紀中ごろのものと云われ、100年ほどのギャップがある
そうです。でも線刻壁画の内容や、この時代の全国最大級の鍛冶遺跡が近くにあることから、
やはり、渡来系の技能集団一族のお墓だったのではないかと云うことでした。(続きます)
(2023/5/20訪問)
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(左図は、柏原市立歴史資料館のパンフより抜粋)
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