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2023年10月23日 (月)

「平野郷」まち歩き ③

 9月末だと云うのに、ずいぶん暑いこの日でした。なるべく日差しを避けたいので、商店街の
些か古びたアーケードに戻りました。この辺は、まだ活気がある感じです。

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 商店街が天神筋と交わるあたりに残された石標。左 さかい 住よし なかの などと記されてい
ます。龍田越(亀の瀬越)奈良街道や八尾街道、中高野街道への案内でしょうか。

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 坂上田村麻呂の娘で、桓武天皇の妃となった坂上春子が開いたと云う「長寶寺」は、南北朝
時代には、後醍醐天皇が吉野への途次、仮の皇居としたこともあるそうです。室町時代の住職
であった慶心坊尼が頓死、恐ろしい地獄の閻魔大王の前まで来たが「このものは閻魔王の実判
を持っているから地獄に落とせぬ」とて、3日後に蘇生したとか。その閻魔王の実判や青蜘蛛
の舎利、閻魔王の木像は、今も長寶寺に残されているそうです。なお、ここでは、水神に祈る
ため、手水鉢の瓢箪に水を掛けることになっているんだそうです。

 杭全神社の夏祭りでは、御輿渡御の神事が行われるほど、杭全神社との因縁が深いらしい。

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 長寶寺の北裏には、「坂上廣野麿屋敷跡」の碑がありました。坂上廣野麿は、坂上田村麻呂
の次男で、大阪市内の東横堀川に末吉橋を架けた末吉家は、その子孫なんだそうです。そして
地名の「平野」も「廣野」が転化したものだと云われています。

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 重厚な門構えが残る「末吉家」の建物を見ながら、大念仏寺へ歩きます。

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 大念仏寺へは「南門」から入ります。この門、もとは、現在の平野小学校のところにあった
古賀藩の陣屋門で、廃藩置県後しばらく、平野小学校表門でした。昭和37(1962)年の小学校
改築に際し、大念仏寺に移築されたものとのこと。樟の一枚板で出来た門扉です。

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 ただいま大念仏寺は、“令和の本堂大改修” 工事中。あの金剛組の施工です。

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 鳥羽上皇の霊牌と御真影を祀る霊明殿が建てられたのは、保元元(1156)年 。寛永年間には
家康公が合祀され、平成20(2008)年の大修復に際して、あの一休さんと縁のある後小松天皇
も合祀されたそうです。

 それはさておき、この霊明殿の南側に、妙な “橋” が残されていました。これは、かつての
環濠の遺構の一つだと云われています。つまり、この石橋の下に水路があったんでしょうね。

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 帰りしなに、「大源山」の扁額のある山門を振り返りました。この山門は “融通無碍門” (ゆう
ずうむげもん)とも呼ばれ、融通念仏の功徳を称揚しているんやそうな。知らんけど。

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 大念仏寺門前の「馬場口地蔵」のスグ北には、かつては環濠が回り込んでいたそうです。
現在は、やや広めの路地の感じですが、「平野郷」は、こうした環濠で守られていたんですな。

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