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2023年9月21日 (木)

探索、東一口(ひがしいもあらい)

 “まいまい京都”のてくてくツアーに参加するため、京阪電車中書島駅から近鉄大久保駅行の
京都京阪バスに乗ると、京阪国道(1号線)をぶっ飛ばして15分ほどで「東いもあらい」停です。
 日曜の朝9時前なのに、ツアーの人以外でギッシリ満員でビックリ。ここが集合場所です。

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 この辺の国道は、原則横断出来ないので、迂回して半地下のトンネルをくぐらねばなりません。

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 ここ、東一口(ひがしいもあらい)の集落は、70年ほど前まで、広大な巨椋池(おぐらいけ)の
出口に近い部分の堤防上に開けた特権的漁師集落でした。東西4km、南北3km、周囲16kmに
も及ぶ巨椋池は、京都盆地南の最低地であり、宇治川に近接するとともに、桂川、木津川との
合流点にも近く、大水のときの“氾濫原”として、洪水の常習地帯だったそうです。

P1450098

 秀吉の時代、伏見桃山城の築城に際し、細かな河道を分流していた宇治川と巨椋池を分離す
る「太閤堤」などが築かれました。伏見と大坂を結ぶ水運の道も開かれ、「太閤堤」には京と
奈良を結ぶ大和街道も造られています。しかし、宇治川が分離されたとは云え、増水時には、
甚大な被害が繰り返され、江戸時代初期には、木津川の付け替えも行われたそうです。

      Photo_20230922115201

 干拓された巨椋池は、現在は広大な耕地になっていて、“京野菜”の栽培も盛んなようですが、
畑の先に見える家屋は、一見、高床式になっていて、その奥の建物は、同じ2階建てでも背が
高くなっているようです。つまり、手前の建物は、旧堤防の手前にあり、奥の建物は堤防上に
あるという訳です。高床式に見える建物の多くは、かつては“舟屋”であったとのことです。

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 東一口の集落は、旧巨椋池の堤防上に細長く連なっています。また、堤防上の土地が少なか
ったゆえでしょう、隣家との狭い隙間に、水路から上がるための細い階段が設けられています。
なので、いまも運用されている排水路(前川)からは、かなりの高さを上らなければなりません。
 なにせ、埋め立てではないので、干拓された土地は、低いままなんですね。

P1450108
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 東一口が特権的漁師集落だったからでしょう、堤防上の家屋は、重厚重層な屋根が目立ちます。

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 藏の造りは、石組みの土台が三段になっている北河内の“段蔵”と異なり、上屋が段になって
いました。

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 たまたま、リノベーション工事が進んでいました。手前にあった平屋は、“舟屋”だったかも。

P1450139

 東一口で一番の見学ポイントである国登録有形文化財「山田家住宅」の堤防下の道路には、
宇治川堤防が決壊した場合の水位を示す標識がありました。矢印の位置の推定浸水深3.9m。

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 やはり細い階段を上らねばなりませんが、かつては、左手前が船着き場であったようです。

P1450155a

 東一口は、昭和8(1933)年に巨椋池干拓工事が始まるまで、漁(すなどり)を業としており、
後鳥羽上皇より賜った広大な漁業権の総帥として旧山田家は、格式の高い存在であった由。

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 なにせ広大だった巨椋池の跡です。東一口は、その一部に過ぎませんが、まだまだ続きます。 

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