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2023年10月 1日 (日)

探索、「東いもあらい」④

 「東一口(ひがしいもあらい)」は、もとは、広大な巨椋池(おぐらいけ)の西端部の自然堤防の
上に細長く成立した特権漁業集落でした。しかし、巨椋池は、宇治川や桂川、木津川の遊水池
でもあって、しばしば洪水に見舞われてきました。

 秀吉による伏見城築城の際、細かく分流していた宇治川との間に堤防を築いて巨椋池と分離
されましたが、明治期になっても水害が繰り返されたため、昭和8(1933)年から国営干拓工事
が始められ、巨椋池の水を排水して巨大な水田地帯が実現したわけです。(クリックで拡大)

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                                 (国交省近畿地方整備局HP航空写真に加筆)

 巨椋池排水機場から「東いもあらい」バス停の方へ、排水路に沿って歩きます。

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 干拓地は排水設備が “命” です。これが機能しないと内水氾濫を招いてしまいます。

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 用水路(前川)沿いには桜が植えられ、季節には、ちょっとした桜名所になっているそうです。

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 この道路の高さが巨椋池のもともとの水面ぐらいとのこと。沿道の建屋は“舟屋”の風情です。

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 建物が撤去され、細く急な階段が堤防上へ連なっているのがよく分かりますね。

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 それも朽ちてくると、自然の勢いに淘汰されてしまうと云うことでしょう。
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 町名看板には、「ひがしいもあらい」とルビが振ってありました。「いもあらい」は「芋洗」と書い
て、集落への境界点にある坂道を意味するとか、魚が多く獲れて芋の子を洗うようだったから
とか云われていますが、現在では、「いも」は疱瘡のことで「あらい」は祓いの意が通説です。
そうだと、あの「豊吉稲荷大明神」が由来であると云うことになりそうです。

 でも「一口」の字を当てる意味は不詳です。巨椋池の三方が沼で、出入口が一つしかなかった
からとか、宇治川、桂川、木津川の三川がこの「一口」に集中していることに由来するとかの説
があるそうです。でも「一口」の用字は、近世以降で、中世では「芋洗」なんだそうです。

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 第二京阪道の高架が見えてくると、左手に「大池神社」です。大池とは巨椋池のことです。

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 干拓後の昭和11(1936)年に創建された大池神社。かつて大池(巨椋池)に生息していた生物が
祀られています。また、「巨椋池」の石標には、昭和28(1953)年の台風で宇治川が決壊、干拓
地全体が水没して、もとの巨椋池が再現され、排水に1ヶ月を要したとのこと。その時の水位が
この碑の頂点だったと記されています。(クリックで拡大

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 現在の大池神社は、コンクリート造の覆屋で、その中に、創建当時の本殿が内蔵されています。

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 大池神社の社頭には、広大な畑地が広がっていました。“京野菜” の九条ネギかな。

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 結局、巨椋池干拓地の安寧は、天ケ瀬ダムの建設によって、ようやく成し遂げられたようです。

 国道1号を走るようになった近鉄大久保~京阪中書島の京都京阪バスは、「東いもあらい」
から次の「国道大手筋」までぶっ飛ばして、中書島まで約15分ほど、290円でした。

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 遅くなった昼は、中書島駅前の CAFE “ゆきかぐれ”で、特製オムライス。なかなかの味わい。

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 “まいまい京都” のテクテクツアーに参加した「東一口」探索。これにてお仕舞です。お疲れ~。
  
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