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2023年9月 7日 (木)

八尾の「由義寺の塔跡」発掘調査

 旧聞ですが、大阪府八尾市の「史跡 由義寺(ゆげでら)跡」の第5次発掘調査の現地説明会
が6月24日にありました。場所は、JR大和路線の志紀駅近くの “外環(そとかん)” 沿いです。

 称徳天皇(女帝)は、天平神護3(769)年、道鏡の出身地である弓削(ゆげ)の地に造営を進め
ていた離宮 「由義宮(ゆげのみや)」を平城京の西京とし、そのシンボルとなる「由義寺の塔」
の建設に関わる人々に位階を与えたそうです。西京の範囲は、今の八尾市を中心に、東大阪市
の一部をも含む広大なものでしたが、天皇が亡くなると廃止され、忘れられてしまいました。

 平成28(2016)年から始まった区画整理事業に伴う発掘調査で、一辺が21mの塔基壇を発見、
東大寺などに次ぐ規模であることから、「由義寺」の七重の塔の基壇と推定されています。

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 今回の発掘調査では、凝灰岩の破片を含んだ溝が基壇の四方で確認され、基壇の断割り調査
で下層基壇も確認されたそうです。つまり、もとあった小さめの塔基壇を壊すかして、そこに
より大きな塔基壇を設けたと云うことになります。必然的に大塔を建てたと云うことですね。

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 下層基壇の下部では、「堀込地業」の痕跡が発見されていました。これ、建物の基礎となる
地面を掘り下げ、内部を突き固めながら埋め戻す“地盤改良工事”ですね。湧水が多いこの場所
で、建物の地盤沈下を防ぐための土木工事の痕跡だそうです。この堀込地業の規模から、下層
にあったのは一辺が17mの塔基壇で、全国の国分寺と同じ規模のようです。

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 下層基壇の構築時期は、出土した平瓦から奈良時代中期らしく、それを活かしつつ、その
上面に0.5mほど整地して、元の1.3倍の大きさの塔が構築された模様が推定されます。こう
した状況から、「由義寺」の前身である「弓削寺」が「由義宮/西京」の造営にともなって、
国家の寺院に相応しい規模の大寺院に造り替えられたと考えられるとのこと。

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 臨時の説明板も設置され、なかなかに充実した現地説明会でしたが、弓削の道鏡に関連した
ややこしい話しには触れられていませんでしたな。

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 コンパクトな発掘現場でしたが、駅から近い郊外住宅地の一画と云うこともあってか、割と
若い見学者の列が多かったようです。
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