友ヶ島探訪 ④
さて、いよいよ終盤です。友ヶ島灯台の近くには「日本標準時子午線」が通っていて、日本
最南端だそうです。2020年に土地家屋調査士会によって寄贈された記念塔が光っていました。
その少し下方には、“アメダス” の観測基地が設けられていました。次は、第2砲台跡です。
北が上に描かれた島内散策マップが友ヶ島汽船のHPにあったので、改めてUPしておきます。
友ヶ島の一般的な見どころは、西側の第3砲台跡~灯台周辺に固まっているようです。
ここでも軽トラが活躍しているようですが、島内限定ゆえか、ナンバーなしでした。



第2砲台跡は、対岸にあった淡路島由良地区の砲台群とで、敵艦を挟み撃ちにする目的で
友ヶ島の海岸沿いに築かれていたんだそうです。終戦後に爆破処理されたとも云われますが、
むしろ、荒波に洗われて基盤の劣化が進んだために、崩落が進行しているのだそうです。




崩落が進んでいて、危険防止のロープが張り巡らせてあり、あまり近づくことができません。
爆破による破壊か、自然力による崩壊かは不詳ですが、ここが一番見応えがある感じです。



絶壁に沿って少し歩くと「蛇ヶ池」があり、海岸べりには観光旅館の廃墟が残っていました。

もう少しで桟橋に到着です。16:00の船に乗って加太港へ戻ります。些か くたびれました。
友ヶ島の要塞は、明治時代に外国艦船の大阪湾侵入を防ぐ目的で設置されたもので、第二次
大戦でも由良要塞の一画として、一般の立入が禁じられていたそうです。ただ、航空戦が主体
となったため、対艦船用の砲台は、使用されることがないまま、終戦を迎えたんだそうです。

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