盛大、今年の「野崎まいり」
~♬ 野崎まいりは 屋形船でまいろ ♬~ 東海林太郎(知らんやろなあ)が歌った野崎小唄に
出てくる「野崎まいり」は、昔は、天満橋の八軒屋浜から屋形舟で寝屋川や鯰江川(埋立てら
れて今はない)を遡り、徳庵あたりで井路川に入って現在の野崎駅に近い観音浜に上陸するか、
ずっと寝屋川堤(古堤街道)を歩いて参詣したそうです。菜種油を採るための一面の菜の花畑の
間で、舟で行く人と陸路を歩く人とが言い合いをしながら進んだんだそうです。知らんけど。
今年の「野崎まいり」では、4年ぶりに露店の出店があり、JR片町線の野崎駅前から観音下
まで1km弱の参道に、130軒もの露店が出ていました。狭い参道は、人、人、人で大賑わい。
野崎観音と通称される福聚山慈眼寺は、行基作と云う白檀の一木彫りの観音像が本尊で、
この野崎まいりの時期などに御開帳されます(拝観料とかなし)。
(↑ クリックすると拡大します)
一説によると、この慈眼寺は、“隠れキリシタンの寺” でもあるらしい。茨木市の山中にも
隠れキリシタンの里があったので、この地にも、切支丹がいても不思議はないでしょうね。
本堂の屋根の下には、たくさんの張り子の犬。安産祈願らしい。
ところで、野崎小唄の2番に「お染久松、涙の恋に」と歌われるのは、江戸時代の歌舞伎や
人形浄瑠璃の人気演目に登場した心中事件のことだそうです。お光と云う許嫁がいた野崎村の
久松が奉公先のお染と恋仲になり、一緒になれないなら二人は死ぬしかないと迫られる。その
二人の覚悟を見たお光は、二人が助かるならと剃髪して身を引いた・・・とか云う筋らしい。
お染/久松の墓は、野中寺(羽曳野市)にあり、野崎観音のは供養の “塚” だと云うことです。
文楽人形「お染」
さて、引き上げることにしましょう。また不揃いな石段を降ります。
階段下に「くつろぎの館 “魚捨” 」の看板あり。
疲れたし、寛いで、幕の内弁当にありつきました。
野崎駅へ戻る途中、東高野街道(旧国道171号線)で横断待ちしていると、懐かしい復刻塗色
の近鉄バスがやって来たので飛び乗りました。四条畷で、京阪バスに乗り継ぎです。
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