大阪砲兵工廠のあしあと ②
さて、京橋口から大阪城内に入ります。大阪城の周囲には、かつて巨大な砲兵工廠があって、
多くの大砲や砲弾を製造していた歴史があります。そんなことを思いながら大阪城に上がるこ
とは、まずないのですが、この日は、その痕跡巡りが中心です。
霧のような雨がやんだと思ったら、どんよりとした西空に虹が出ていました。
大阪城の山里丸跡からは、OBP(大阪ビジネスパーク)のビル群が真正面でした。
空襲で機銃掃射を受けた痕跡。山里丸石垣の機銃掃射痕の説明板には、「昭和20(1945)年
3月から終戦前日の8月14日まで、大阪は8度に及ぶ空襲を受け、陸軍の中枢機関や軍事工場が
あった大阪城も標的となった」と記し、爆弾で石垣上部が吹っ飛んだり、歪んだりもした由。

天守閣の北壁から東壁にかけてのズレも、8月14日に落とされた爆弾によるものだったが、
昭和39(1964)年に歪の進行を抑止する工事が実施されているそうです。

本丸内、天守閣のスグ前にあるのは、陸軍第4師団司令部だった建物です。昭和6(1931)年
に、市民の寄付で再建された大阪城天守閣と大阪城公園の新設に合わせて建設されたんだそう
です。
戦後、府警本部として使われた時期もありましたが、私が高校生の頃は、大阪市立博物館に
なっていました。高校時代、美術の時間には、歩いて大阪城公園に行くことが常でしたな。
現在は、“ミライザ大阪城”としてリニューアルされ、物販やカフェなどが入っているのです
が、重厚と云うより、厳つい風貌が変わることはありませんな。


そうそう、大阪城の天守閣の東には、大阪市水道局の大手前配水池が設けられていました。
一旦、高い位置に浄水を上げ、そこから、市内に配水するには、上町台地の上が適地であっ
た訳です。今も現役ですが、その巨大な配水管も、砲兵工廠の民需品として製造されたもの
だそうです。
駐車場の手前のこの石は何かいな、と思ってよく見ると「城南射撃場跡」と記
されてました。昭和7( 1932)年に陸軍が建設されたドーム型の建物だったとか。
大阪城公園の南東端は、法円坂に続く急な崖です。上町台地の断層崖でしょうか。ここを
下ると、公園のエントランスを経て、JR大阪環状線の森之宮駅は、ついその先です。
私の高校時代、通学途中の玉造駅の高架に沿って、小荷物取扱所があって、トロリーバスが
通る長堀通りを挟んで、レールの一部が残っていました。あれが、玉造~猫間信号所間の専用
引込線の遺構やったんでしょうね。当時は、なんやろなぁと思っただけでしたが。
クリックといいね💛を宜しくお願いします (主に2021/3/13撮影)
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