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2022年6月 9日 (木)

大塩の乱と鴻池屋(史跡ハイク)③

 鴻池新田会所の歴史ハイキングのコースには含まれていなかったのですが、靭公園に大塩の
終焉地碑があると知ったので、別の日に訪ねてきました。大塩平八郎が何をしようとしたのか、
大塩事件研究会が決起160年に当たる1997(平成9)年に建碑した「大塩平八郎終焉の地碑」に
は、次のように刻まれていました。

『大塩平八郎中斎は、江戸時代後期大坂町奉行所の与力で、陽明学者としても知られ、世を治
める者の政治姿勢を問い、民衆の師父と慕われた。天保8(1837)年2月19日、飢きんにあえぐ
無告の民を救い、政治腐敗の根源を断とうとして、門人の武士・農民等を率いて決起した。』

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『乱後、この地に隣接した靭油掛町の美吉屋五郎兵衛宅に潜伏したが、同年3月27日、幕吏の
包囲のうちに、自死して果てた。民衆に呼びかけた檄文は、密かに書き写され、全国にその挙
を伝えた。大塩の行動は、新しい時代の訪れを告げるものであり、その名は今もなお大阪市民
に語り継がれている。』  この碑、もとは、天理教会の傍にありましたが、同教会の改築に伴っ
て靭公園に移設されたとのことです。 (下図は、碑の説明板より抜粋/加筆)

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 碑の近くに、ブロンズ製のリアルなオブジェが設置されていました。夜だと、ちょっと
怖いかも。このオブジェは、アメリカの彫刻家の手になるもので、服装もブロンズです。

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 さて、大塩平八郎と鴻池屋です。ベティちゃんを見ながら、農人橋の交差点を南下します。

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 初代鴻池屋善右衛門の兄が興した分家である鴻池屋新十郎邸があったのは、松屋町筋から
一筋東の和泉町あたりで、内田洋行大阪支店ビルが建っているところだそうです。大塩の乱
では、被災を免れたので、本家善右衛門家の復旧のための人足を深野新田から手配するなど、
鴻池屋再建に尽力したのが新十郎だそうです。

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   南大江小学校の傍に「太閤下水」の
  見学施設(覗き窓)がありました。
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    「太閤下水」は、大坂城築城の際にその原型が造られたそうです。城下町の道路
   に面した建物の背中合わせのところに下水溝を掘ったので、背割下水とも呼ばれ、
   現在でも使用されている下水溝を地上から見ることができるようになっています。

   P1250344 

 阪神高速道路の高架を北へくぐった先には、NHK大阪放送会館が威容を誇っていました。 

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 ここで、暫し小休止。周囲には、難波宮跡の一画とされる法円坂遺跡があり、大規模な倉
庫群が検出されたと云うことで、大型高床式倉庫と掘立柱の痕などが再現されていました。

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                            スタジオパークの催しに参加。

 府警本部の前を北へ少し。   P12503572

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 大手前高校の北の通りに面して、大坂東町奉行所址。大塩事件当時の奉行は、老中水野忠邦
の弟、跡部良弼(よしすけ)。平八郎決起の原因として、跡部が大坂の米不足を顧みずに江戸へ
米を廻送したこと、そして、平八郎の度重なる進言を無視し続けたことなどがあり、そのため、
東町奉行所を攻めたらしい。一節には、跡部殺害が当日の目的であったとされています。
 その跡部も、西町奉行所の堀利堅と同様に、攻撃されて落馬したとの記録があるそうです。

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 このあと、大坂城の京橋口、青屋口を経て、JR京橋駅前まで歩きました。延べ11km。
 
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 鴻池新田会所主催の史跡ハイキング「大塩の乱をたどる」に参加して、大塩の乱と鴻池屋
の関係先を見てきました。井上先生、ご案内ありがとうございました。

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コメント

大塩平八郎の乱。大阪人でも知らない人が多いけど現在に通じる多くの事を知ることが出来ますよね。
結構の距離を歩いていますが元気な人も多いですね。でも問題は大阪人はどうしてもっと人の為に行動することが出来ないのでしょう?大阪の街は本当に綺麗になっていますが地域住民の清掃活動は「お役所仕事」?

親父は昨年の8月から市役所前の公園を綺麗にしました。色んな人から色んな事を言われましたが批判する人は居ても加勢をしてくれる人は0でした。それでも多くの事を学ぶことができました。大塩平八郎の辞世の思いは何だったのでしょう?それを知ればこれからの生き方の足しになる。そんな無礼な事を考えています。

くーちゃんさん、コメントありがとうございます。

 われわれの世代は、社会の副読本で大塩平八郎が出てきましたが、いまは、
どうなんでしょうかね。大塩平八郎の評価も、毀誉褒貶あるのではないでしょうか。

 今回の “てくてくツアー” は、鴻池新田会所の史跡ハイキング「大塩の乱をたどる」
に参加したものです。後期高齢者も少なくありませんが、みなさん元気なもんです。

 市役所前の公園の清掃活動に近いことは、当方の地元市役所公認の “駅前清掃の輪” と云う
地域のグループ活動としての取り組みに偶に参加しますが、まぁ、云う人は色々ですね。
ただ、大阪人の特質との、一事が万事的な決めつけには、首肯せんときます。

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