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2022年1月10日 (月)

“江口の里”へ 史跡ハイク 

  “江口の里” は、当時の淀川本流と神崎川の分かれに位置し、海船と川舟との中継地点と
して、水上交通の要衝として栄え、旅人相手の遊興地としても繁栄していたそうです。平安時
代末期、天王寺に参詣する途中、この地を訪れた西行法師が、強くなる雨脚を避けるため、
とある粗末な家の戸をたたいたのですが、西行の姿を見た遊女は、家の中に入れようとしな
かったと云う、謡曲「江口」で知られたお話です。

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 この遊女妙(たえ)が歌問答を経て西行と心を通わせ、後に出家して草創したのが寂光寺で、
ちまたでは、「江口の君堂」と呼ばれています。

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         大昔の淀川は、今と違って、広大な氾濫原と三角州のなかを
        幾つもの流路に蛇行していたらしく、直接、淀川から神崎川へ
        船での往来ができたんだそうです。

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                     (攝津名所図会=大阪市立図書館デジタルアーカイブより) 

 新古今和歌集の ~世の中を厭(いと)うまでこそ 難(かた)からめ 仮の宿りを 惜しむ君かな~ 
との西行の句に対して、~世を厭う人とし聞けば 仮の宿に 心を止むなと 思ふばかりぞ~
と返した遊女妙との贈答歌は「山家集」に採録され、後の仏教説話集「撰集抄」では前後の
描写が加えられ、その逸話が能の世阿弥によって、謡曲「江口」に仕上げられたと云います。

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 この寂光寺のスグ前は、改修された淀川の高い堤防でした。かつては、この少し東で神崎川
が分流していたそうです。だから、そこを川舟や海船が行き来できたんですな。

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 昭和36(1961)年に完成した「一津屋樋門」。明治38(1905)年、淀川の改良工事で神崎川
を閉め切った際に、神崎川の流水を確保するために神崎川分派点に設置された樋門でしたが、
その後の淀川補修工事で撤去、新たに築造されたもの。堤防下に樋管が通っているだけです。

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        江口の里の路は、旧淀川/神崎川の堤防跡から下がってきていました。

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         ここは、廃止された「三千樋」からの農業用水路の跡。埋め
        られた水路跡に駐車場がが続いていて、先の方では新幹線用地
        になったところもありました。(これは中島大水路跡ではない)

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 大きく曲がっていたこの地の淀川は、流れが激しく、帆を逆巻にしないと船が転覆する難所
で、犠牲者も多く、その慰霊のため、弘化3(1846)年に建立されたのが「逆巻の地蔵尊」です。
大正12(1923)年に、夢のお告げで、現在地(大桐5丁目先)に移転したとか。

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        途中で、せせらぎの道(中島用水路跡遊歩道)になってるところも。

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        せせらぎの道の先端部にあった「乳牛牧跡」の碑。なんじゃらほい。

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 今回は、昨年10月に参加した鴻池新田会所の史跡ハイキングに取材したものです。(続く)

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コメント

こんばんは、
江口の里、なんとなくなつかしい気がして、
白洲正子の『西行』の一節、「江口の里」の部分を読み直してみました。

歴史ある史跡はいいですね。

むかしの人は和歌でやりとりする。
それが今に残されている。
日本の財産だと思います。

南太郎さんの記事を読んで、
むかしの人のことを思いました。
ありがとうございます。

ちぎれ雲さん、ご覧いただき、ありがとうございます。

 「江口の里」は、自宅のある地域の淀川対岸で、中学生ころまでは、「平田(へいだ)の渡し」に
自転車を乗せて、遊びに行っていた場所でした。当時は、“遊女”と聞くだけで、よからぬ場所の
ように思っていたものです。
 今回の取材は、鴻池新田会所の史跡ハイキングに参加したものなので、地理的な歴史に視点が
ありました。当方の自宅近隣にも、確か古今集に「野口の里」と呼ばれた花見(蓮の花)の地があった
そうで、「一休禅師の母の墓」も伝わっています。何となくロマンを感じますね。

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