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2022年1月17日 (月)

正雀川から淀川堤へ 史跡ハイク③

         順番が前後しましたが、10月の鴻池新田会所主催の史跡ハイ
        キングは、阪急電車の正雀(しょうじゃく)駅がスタートでした。

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 すぐそばを流れる「正雀川」の堤防を南下します。この川は、かなりな “天井川” の状態に
になっているものの、深く浚渫されていて、色々の対策の進捗が感じられます。“天井川”は、
川が運ぶ土砂の堆積で、川底が浅くなって越水しやすくなったときに堤防を高くすることを
繰り返した結果、高水位がどんどん上昇して、周辺家屋の方が低くなった状態のことですな。

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         安威川歩道橋を渡って、吹田市から摂津市浜町へ。対岸は、
        摂津市と吹田市、大阪市(東淀川区)との境界です。   

        P1220439

 安威川(あいがわ)は、京都府から北摂を流れ下り、吹田市相川で淀川分流の神崎川に合流し
ていますが、もともとは、番田水路(番田井路)が安威川の本流であったそうな。

P1220441   

      対岸の摂津市浜町。右手の土地に段差があり、自然堤防の跡と見てとれます。  

        P1220443  

 並流している鳥飼水路と番田水路は、水位の差が大きいので、“隔流堤”によって隔てられ、
数キロ先の神崎川への合流直前に、やっと合流しています。

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 上の写真と同じ場所から上流を見ています。左が番田水路、右が鳥飼水路で、真ん中は、
更に水位の高い“用水路”?。今いる橋も、朧(おぼろ)橋と朧ヶ小橋がつながった形でした。
 
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 味府(あじふ)神社に到着。少し高くなっていました。自然堤防の上に築かれたんでしょう。

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   周囲の家々は、石垣を積んで高くしてあります。やはり、低湿地ゆえの工夫でしょう。                

        P1220463

 ちょっと先には、大隅神社御旅所がありました。この土地も、“大隅島”の一画なんですね。
 
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      そこから少し先には、淀川堤防が見えます。堤防の真ん前には、ダイキン工業
     の大きな工場があり、ダイキン前には、相川を経由する JR千里丘からの阪急バス
     (朝は10分おきに頻発)と、摂津市内循環の近鉄バスが 乗り入れていました。
      こんなところを近鉄バスが走っているのは、千里万博のときに、もとの茨木バス
     を近鉄が買収して万博輸送の権益を確保した名残りでしょう。  

        P1220469

     ダイキンの正門前は、バスの転回が可能なロータリーになっていて、その傍らに、
    道標がありました。「左 な加ら 大坂道」とあるのは、淀川の堤防道のことで、南面
    には「左 べふ ました い者らき」「右 一ッや とりかへ道」とあるようですが読めん。
    (仮名部分は、長柄/一津屋/鳥飼/別府/味舌/茨木らしい=[摂津市の道標Hiho]参照)  

        P1220472

 神崎川緑地と一体の、淀川河川公園(一津屋河畔地区)で昼食。見晴らしがいいい。対岸は守口。
        
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 「一津屋樋門」。大昔は、ここで淀川と神崎川は繋がっていて、船が行き来していたと云う。
いまは、淀川との水位差を利用し、堤防下の樋管を通して、神崎川に通水しているそうな。
P1220490

 やれやれ、このシリーズが長くなりました。色々調べ込んだので、もう一回つづきます。

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