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2022年1月20日 (木)

「吹田の渡し跡」周辺 史跡ハイク④

 神崎川の「吹田の渡し」は、大坂から丹波へ向かう亀岡街道の渡しでした。西国街道にも
つながる交通の要衝だったようです。神崎川は、奈良時代の末期に、淀川と直結し、京都と
西国をつなぐ水路として発達、吹田(すいた)は、“津”として栄えたと云います。

 「吹田の渡し」は、もとは堤間が400mもあって、川幅の広い神崎川を一艘に30人も乗せ
た渡し舟が通ったようですが、明治8(1875)年に高浜橋(有料)が架かって廃止されました。

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 「吹田の渡し跡」を伝える説明板には、摂津名所図会からの引用も掲出されていました。

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         由緒ありげな屋敷の間を進んで「浜屋敷」へ向かいます。

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 江戸時代の旗本、柘植(つげ)氏領の庄屋屋敷の寄贈を受けた吹田市が、平成15(2003)年に
改装し「吹田歴史文化まちづくりセンター」として整備したと云う “まちの駅”「浜屋敷」にて
小休止です。この辺りは、農村地帯でありながら、神崎川の水運の要衝だったためか、高浜町
など、“浜”がつく地名が残っています。
 この屋敷も、かつては「過書株(通行証)」を持って河川運輸に関わっていたんでしょう。

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         美しく円弧上に連なった「へっつい」さん。

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 「浜屋敷」から少し北へ歩いて「旧西尾家住宅」へも行きましたが、外観を見るだけでした。
「西尾家」は、江戸時代の仙洞御料庄屋を務めた旧家で、茶道藪内家茶室の写し積翠庵や主屋、
庭園、関西建築界の第一人者武田五一設計の離れなど、歴史、文化、格式のある近代和風建築
として知られているそうです。夭逝の天才音楽家貴志康一の生家とか。(国指定重要文化財)
 (現在、大規模修理工事中で、見学は一部に限定、事前予約制(曜日限定)になっています)
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 来た道を戻って「高濱神社」です。この神社のあたりも、大昔は川中の小島のようであった
と云います。淀川やその分流が創り出した「吹田砂堆」の一画であったろうと想像できますね。

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                                        (史跡ハイク参加者に配布の古地図=明治20年=に、更に加筆)

 高濱神社創立年代は詳らかではないものの、大和朝廷の頃、河内の国で栄えた次田邑の
豪族であった「次田連(スキタムラジ)」の一族が淀川を渡ってきて移住し、次田村を興した
のが「吹田(すいた)」の始まりと伝わっているそうです。知らんけど。     

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         手水舎の水口は、龍の口だと云うのですがねぇ。

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     高濱神社から歩5分で、JR吹田駅に到着、今回の史跡ハイキングもお終いです。
    何とか雨も降らずに済みました。駅前から出る1時間に1本の京阪バスに乗ると、
    淀川を渡って30分で守口市駅です。ここら辺、阪急エリアなのに京阪バスが通う
    のは、例の“新京阪線”の戦後移管に絡む、お約束の結果なんでしょうな。

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 一連の史跡ハイクは、昨年10月31日に開催された、鴻池新田会所主催の史跡ハイキングにて
取材したものです。ガイドいただいた別所先生、お世話になりました。予定外に長く引っ張って
しまいましたが、長々と4回にわたってお付き合いくださいました皆さま、お疲れさまでした。

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