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2022年1月13日 (木)

「大隅島」へ 史跡ハイク② 

 大昔、淀川が氾濫したときに賀茂神社のご神体が流れ着いたところだと云う「大隅神社」
は、日本書紀にみえる応神天皇の離宮「難波大隅宮」の伝承地と比定されているそうです。

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  「大隅神社」一帯は、かつては、淀川の広大な河口州に出来た低い島のような土地で、
古代律令制時代の典薬寮(てんやくりょう=朝廷で医薬担当の官省)に属する「味原牧」が
あったそうな。主に乳牛を飼育していたため、「乳牛牧(ちゅうしまき)」とも呼ばれ、蘇
(そ=牛乳を煮詰めたもの)や 酪(らく=チーズのようなもの)の製造と毎年、母牛と子牛を
「乳牛院」に送る義務があったと云う。その代わり、一般の役務を免除されていて、その
“特権”で、年貢や課役免除の田畑を開拓し、中世には荘園化(私有地)して行ったらしい。

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                         (史跡ハイク参加者に配布の古地図=明治20年=に、更に加筆)

 大隅神社の本殿脇の奥まったところに、「乳牛山大道寺跡」の石碑がありました。やはり、
それらしい “山号” の寺院があったんですな。それにしてもストレートな命名ですね。

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 今は、あの「乳牛牧(ちゅうしまき)跡」の碑が残るくらいで、大した痕跡はないのですが、
私の幼少期の大阪市内では「岡崎牧場」とか「太田牧場」と云った牛乳瓶や各家庭に配達箱
があったのを覚えています。この両社とも、岡山から進出され、東淀川区に事業所を構えて
いたそうです。つまり、ここ「乳牛牧」の近辺は、酪農に適した土地だったようです。

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 でもしかし、石碑横の説明板に添えられた牛の像は、どう見ても 道真公の座牛でしょう。
(写真をクリックすると拡大します。詳細は、説明板をよんでみてください)

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 「乳牛牧」から5分も歩いて新幹線の高架をくぐると「瑞光寺(ずいこうじ)」です。ここは、
意外なもので知られたお寺です。参道を進んでゆくと、ちょっと異様なものが目に入ります。

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 奥から見返すと、こんな感じです。不漁に泣く太地の村長から懇願された豊漁祈願の謝恩と
して贈られた 18本の鯨の骨と黄金30両をもって橋を作ったと云う。戦災で消失してしまって
いましたが、昭和49(1974)年に太地町の協力で復興させたもの。「雪鯨橋」と呼ばれます。

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           瑞光寺参道の「雪鯨橋」の欄干は、鯨の骨でできています。
        現在のは、六代目で、2004~2005年の調査捕鯨で捕獲された
        イワシクジラとクロミンククジラの骨格が利用されている由。
        (下の写真は、五代目鯨橋の欄干部分に使用されていた肩骨) 

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 資生堂大阪工場の横で、神崎川を渡りました。阪急京都線が見えています。川は、この先
で安威川や猪名川を取り込んで広くなったあと、また幾つかに分流して大阪湾に注ぎます。

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 このあと、寄り道しながら、JR吹田駅の方に向かって歩きました。(続く) 

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