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2021年12月 9日 (木)

上六ぶら歩き「上町台地の謎を辿る」

 先月、アジア協会のチャリティウォークに参加して、上六かいわいを“ぶら歩き”してき
ました。題して、「上町台地の謎をたどる」、大阪歴史案内人の沖本さんの案内です。

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      上六(上本町6丁目)は、近鉄のターミナルで、新「新歌舞伎座(大阪)」も
     こちらに移ってきましたが、ビルの隙間の こじんまりとした建物です。
      歌舞伎座と云いつつ、ここで歌舞伎が上演されることはないらしいです。 

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         蔵鷺庵(ぞうろあん)は、四天王寺を鎮守する北東の守りとされた
        「上之宮」で仏事を執り行う僧の住む坊だった由。訪問時には墓所の
        分譲会が催されていました。

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 「上之宮」も今はなく、その跡地の碑が、マンションの玄関に設えられていました。

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                        清風高校。

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 聖バルナバ病院の玄関前には、小さな地蔵堂があり、「細工谷遺跡」の案内板がありました。
                 
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 聖バルバナ病院の前の通りの南側は、ちょっとした崖があり、段差が続いているようです。
難波宮跡の東南に位置し、渡来技術によって、和同開珎などの貨幣や瓦、金属加工品を製造
していた痕跡が発掘された“細工谷”は、まさに、窪地に発展した“工場群遺跡”です。

 平成9(1996)年、全国初の発見である和同開珎の「枝銭」(日本最古の貨幣を製造する過程
を示すもの)や7世紀末の冨本銭、「百済尼寺」と墨書された土器や瓦のほか、飛鳥~奈良時代
を中心とする各種の史料が見つかっているそうです。 

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 近鉄線をアンダーパスで北へ越えたところで、北側を眺めると、道路が波打っているのが
分ります。平坦に見えて、高低差が残っているんですね。

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 東高津神社。昭和7(1932)年に現在地に移転してきました。近鉄上本町駅の拡張に伴って、
遷座したそうで、もとは、上本町駅のところにあったんですね。

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 東高津神社横の東西の路を見ると、微妙に波打っています。上町台地への上りでしょうね。

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 “ねしゃかの寺” 蓮正寺(れんしょうじ)。寝釈迦像は江戸初期の作と云い、青銅製500kg。
寺伝によると、かつて、念仏行者が道頓堀の墓地の草庵にこの像を安置して一千日念佛を行じ
たところ、諸人の帰依厚く、その前に“市”が開かれて、「千日前」のもとになったとか。

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         大阪城の南にあたる城南寺町は、秀吉の街づくりで、防衛上、
        多くのお寺が集積されたたエリアですが、ポツポツと空き地に
        なっているところと、墓に売り出してるのが目につきました。  

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 続いて、龍淵寺(りゅうえんじ)。ここには、あの大塩平八郎父子の逃亡を手助けしたと云う、
秋篠昭足(あきしのあきたり)の墓があり、碑文には、なんと、「乱の後、大塩父子ほか5人は、
海伝いに天草に潜伏後、清国に逃れて更に欧州に渡った」とあり、大塩生存説の証拠だと云う。

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         ガラスケースに囲まれた秋篠昭足の墓の前で、案内の沖本さん。       

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         ここには、もともと大坂相撲の双葉山が建てた時津風の墓も。

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         ここ龍淵寺には、狸の置物がたくさん。住職の趣味らしい。

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 大阪中心部での意外な発見が まだまだ続くのですが、さて、どうなりますか。乞うご期待。

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コメント

こんばんは!
生存伝説は源義経や真田信繁、豊臣秀頼くらいだと思ってましたが、
大塩平八郎にもあったんですね。
きっと、生きていて欲しいと願う人々の心が、こんな生存伝説を生むのでしょうねぇ・・・。

FUJIKAZEさん
 そうですねぇ。荒唐無稽と思えるのですが、判官びいきな民衆の願望が、いつしか“伝説”になって
いくんでしょう。大塩平八郎は、最後には、街に火を放って逃亡したらしいですが、それを許した
民衆が多かったと云うことです。
 その逃亡を助けた人の墓がきちんと残されていると云うのも、ある種、喝采ですね。

 レバノンに逃れた“鐘の音”さんも、どこかで、そんなことになる日があるのでしょうかね。

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