« #日本遺産 “鉱石の道” ② 生野銀山(続) | トップページ | 日本遺産“鉱石の道”④ 明延鉱山  »

2021年9月16日 (木)

日本遺産 “鉱石の道”③神子畑選鉱場跡

 神子畑(みこはた)選鉱場も、もともとは、銀や銅の鉱山として開拓され、生野鉱山の“支山”
として、幕府の管轄下に置かれた歴史もあるらしい。
 採掘不況で、大正6(1917)年に閉山後、6kmほど離れた明延鉱山から運び込まれる鉱石の
大規模な選鉱場に生まれ変わったそうです。山の斜面を利用した選鉱場は、規模も産出量も
東洋一と称され、夜中も稼働する姿は、さながら“不夜城”と云うべき光景だったらしい。

 昭和62(1987)年、明延鉱山の閉山にともなって、ここ神子畑選鉱場も閉鎖となったのですが
日本の近代化に貢献した産業遺産であるのは、間違いないと思いますな。
                                (クリックすると拡大します)
P1190330

 谷あいの空間に、巨大な構造物が枯れた姿を晒していました。これ、「シックナー」と云い、
選鉱の最終工程で、脱水/濃縮のための濾過装置だそうです。直径30mもある円錐形です。
P1190326-22

 フェンスの中に入れないので、撮影ポイントとしては不満が残りますが、しゃぁないなぁ。
P1190339-2

 背後にあった選鉱場の跡。建屋は解体済みで、基礎部分が残っているだけです。山の斜面を
利用して、砕いた鉱石を多量の水で流したんだそうです。比重で選鉱したんですな。

P1190316-22

 選鉱場の斜面を昇降するインクライン(傾斜軌道)の跡。ケーブルカーみたいなもので、人や
資材を上下させていたとのこと。

P1190363
P1190357

  全景を見るのが困難なので、パンフレット「神子畑選鉱場跡と鉱山関連遺産」の表紙写真
 を借用しておきます。ドローン撮影やろな。(神子畑鉱石の道推進協議会/2014年発行より)

2_20210915163501

   生野鉱山にあった外国人技師ムーセの宿舎を移築したと云う、旧神子畑鉱山事務舎。 
      
        P1190324

        その庭先には、樹齢200年のサルスベリの巨樹。郷土記念物指定。

        P1190320

 そしてここにも“一円電車”の復元保存。正式には「明神電車」と云い、神子畑の機械工場で
製造されたものとのこと。明延鉱山で採掘された鉱石を神子畑まで運ぶための電車でしたが、
“人車”も併結したので、乗客数をカウントするために一人一円にしていたとか。

P11903552

         “人車”の車内は狭く、ひざとひざがくっつきそう。

        P11903502

        P11903522

        P1190271-3

        P11903682

 神子畑川に架けられた「神子畑鋳鉄橋」。神子畑鉱山で採掘された鉱石を生野の精錬所へ
運ぶ運搬路に建設された鋳鉄(いもの)製の道路橋。国の重要文化財に指定されています。
 橋を渡って奥へ散策できます。害獣除けの門扉を開けたら、必ず閉めておくのがお約束。

P1190309
P11903062
P11903072

  ここでも、周遊バスが待ってくれています。乗客一人なので、置いて行かれることはない。

        P1190310

      いよいよ次回は、明延(あけのべ)鉱山です。ここは、閉山時のままらしい。

 にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ  いいね💛とポチっと、よろしくお願い申し上げます。 ブログランキング・にほんブログ村へ 
 にほんブログ村                            (2021/8/7撮影)

« #日本遺産 “鉱石の道” ② 生野銀山(続) | トップページ | 日本遺産“鉱石の道”④ 明延鉱山  »

歴史・遺跡・現説」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« #日本遺産 “鉱石の道” ② 生野銀山(続) | トップページ | 日本遺産“鉱石の道”④ 明延鉱山  »

無料ブログはココログ
フォト
2024年3月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29    

最近のトラックバック