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2021年9月13日 (月)

#日本遺産 “鉱石の道” ② 生野銀山(続)

 寒くて震えながら、巡った史跡「生野銀山」坑内から出ると、真夏の暑さに、ホッとしました。

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 下の写真の紅い橋のところが、坑道の出口です。横には、滝も流れ落ちていました。

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 左手の崖沿いの階段を上がると、露天掘りの跡があるそうなので、ちょっと行ってみました。

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 この辺が、最も近い露天掘りの跡らしい。生野銀山最大の鉱脈である千珠𨫤(せんじゅひ)の
一部で、室町時代末期に発見され、江戸時代の末期まで採掘が続いたそうです。鉱脈が地表に
現れた部分を探し当てた後に地中へ掘り進んだとのこと。この先へ進むのは断念。暑い。

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 真新しい吹屋資料館の内部。徳川時代に上納銀を造るための精錬所を吹屋と云ったとのこと。

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 その向かいにある鉱山資料館にあった坑内模型。ありんこの巣みたいですな。

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     明治29(1896)年宮内省御料局から三菱合資会社に払下げられた水力発電機。
    平成11(1999)年まで稼働していたそうです。

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     “銀山ボーイズ”の一部。

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 明延の“一円電車”がここ生野にも展示されていました。名神でなく「明神電車」と呼ばれ、
明延鉱山~神子畑選鉱場間(6.1km)で、主に鉱石を運んでいましたが、一部に客車を連結し
て、昭和62(1987)年の明延鉱山の閉山まで、従業員とその家族を運んだそうです。

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   生野銀山は、一時、皇室財産であったので、生野製鉱所の正門には、菊のご門柱。

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       10:20に到着した “たじまわる”「鉱石の道号」は、11:45まで、待機。

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   たった一人の乗客を待って、周遊バス「鉱石の道号」は、次のポイントへ向かいます。

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