日本遺産“鉱石の道”④ 明延鉱山
今回の、周遊バス “鉱山の道”号による ぶらり旅もいよいよ終盤です。神子畑選鉱場跡から
明延(あけのべ)鉱山へ、大型バスは、養父市側へ大回りしなければなりません。所要75分。
この周遊バスには、昼食場所の設定がなく、車内でのお弁当が推奨されています。前泊の
和田山/群鶴亭で作ってもらった おにぎり弁当を頬張りつつ、明延鉱山の歴史を綴ったDVD
映像に見入っていました。特に、閉山の日の、突然の猛吹雪のなかでの社長さんのあいさつ、
「明延は、いつかまた再開できると信じている」との言葉には、瞼が熱くなりましたな。
明延は、鉱脈が尽きたのではなくて、採掘コストの競争力がなくなったのが閉山理由だった
そうで、技術革新とニーズが出来すれば、必ずや再開発されるとの思いだったのでしょうな。
明延鉱山跡は、「明延探検坑道」として保存されており、養父市立あけのべ自然学校が管理
されているようです。一人1,200円の入坑料(ガイド付き)を払ってヘルメットを受取りました。
本来は、3日前までの予約が必要ですが、周遊バスで訪れたので、問題なし。一人でしたがね。
明延鉱山は、古く飛鳥時代には開山されていたと伝えられ、奈良東大寺の大仏鋳造にも明延
産出の銅が多量に使用されたとか。江戸時代には、幕府代官所の所管となって、銀山、銅山と
しての盛衰を繰り返し、明治新政府樹立により官営となったのち、明治29(1896)年に三菱に
払下げとなっています。
その後、海外の新技術の導入などによって近代化が進み、明治42(1909)年に錫(すず)鉱が
発見され、日本一の錫鉱山なったそうです。錫。銅・鉛・亜鉛など多鉱種を産し、全国各地か
ら“やま男”が集まり、明延の里に大きな賑わいをつくり上げてきたとのこと。
しかし、昭和62(1987)年、世界経済の波乱のなかで、ついに閉山を余儀なくされたのです。
まだ多くの資源を地下に残したままと云う訳で、DVDの社長の弁につながるのでしょう。
荒々しい岩肌、露出した鉱脈など、採掘当時の面影が残されています。それにしても寒い。
明延は、観光的な整備が行われておらず、閉山当時のままの姿が温存されているのです。

多くの大型機械の駆動力は、圧縮空気だそうです。粉塵爆発や排気を考えた装備ですね。


探検坑道の中は12~13℃。出口を出た時には、レンズが曇ってしまいました。
兵庫県の「ヒョーゴアーカイブス」に1960年代の明延鉱山の鉱山町の風景がありました。
“明神電車” や明延鉱山の坑内で活躍していた電気機関車が静態保存されていました。



明延~神子畑の“明神電車”は、現役当時、乗客数を数えるため、一人一円だったところから、
“一円電車”と呼ばれたそうです。閉山から20年以上経っている今も、春から秋の第一日曜には、
地元の方によって、モーターカーが牽引する “しろがね号” の試乗会が続けられているのですが、
この日は、開催日ではなく、残念。一周600mで、乗車賃は、もちろん「一円」とのこと。
この日一日、一人だけの乗客でしたが、周遊バス「鉱石の道」号のお世話
になりました。また、JR和田山駅まで送ってもらい、少し待って、17:56発の
播但線回りの特急“はまかぜ” に乗りました。“はまかぜ” は久しぶり。
9/18のFCC土木カフェ(Web)の講演者(湊川隧道で著名な前畑さん)が、今回の「鉱山の道」にも
深く参画されているとの紹介がありました。そう云えば、神子畑選鉱場の「ムーセ旧居」で、色々な
グッズの販売がありましたな。周遊バスは、案外忙しくて、パスしてしまっていました。コロナが落
ち着いたら、今度は、マイカーでユックリ回りたいです。免許返上もあるけどなぁ。
なお、明延から車で30分、氷ノ山の麓近くにある中瀬鉱山では、閉山後も輸入原料による精錬事業
が続けられているそうで、その工場構内に遺構が残されているらしい。そのうちに行きたいな。
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