「行基」の墓が生駒山麓にあった
「行基」と云えば、飛鳥~奈良時代の僧ですが、寺院の外での布教の禁にも拘わらず、仏教
を説き、度々の弾圧にもめげずに民衆の支持を得て、大僧正として、奈良の大仏造立の責任者
に勧請されたり、狭山池の改修にも関わった、歴史的 “スーパーマン” と云ったところですか。
(奈良/唐招提寺の行基菩薩坐像の複製=大阪府立狭山池博物館にて撮)
その行基の墓が奈良/生駒山麓にあると云うので、探索してきました。行基は、いまの堺市
の家原寺に生まれ、15才で出家、飛鳥寺や薬師寺を経て、40才のとき、生駒東麓に移った由。
山林で修行し、僧俗混合の宗教集団をつくって、治水・架橋・貧民救済に活躍、度々弾圧され
たが、次第に朝廷にも受け入れられ、その技術が狭山池の築造や東大寺大仏造営に活用された
と云います。
天平21(749)年に奈良の喜光寺(阪奈道路出口近く)で入滅(81才)、生駒山麓の往生院で荼毘
に付されたあと、近くの竹林寺の多宝塔に納骨され、それが墓所となったんだそうです。
明治の廃仏毀釈によって、廃寺同然であった竹林寺が再興されたのは、平成9(1997)年の
ことだそうです。行基菩薩坐像は、もともと喜光寺にあったのを唐招提寺に移したものとか。
境内の山手には、修験者の像があったりして、神仏習合の気配。
竹林寺の結界石。「生馬の霊峰は十方如来の化するところの道場なり」。右は行基顕彰碑。
竹林寺の東に接して、国の「史跡 行基墓」がありました。
掠れてしましたが、内務省の名がある案内板が重々しい。
多宝塔に納骨したと伝えられていますが、土盛りだけでした。
現在、竹林寺は、地元ボランティアの方々が清掃などを続けられており、毎月2日の月命日
には、唐招提寺から読経に来られるそうです。
さすが、竹林寺。参道は、竹藪に沿っていましたよ。
その参道の隣には、竹林寺古墳がありました。
そして、西側には、忍性菩薩の墓もありました。
竹林寺へは、近鉄生駒線一分駅から徒歩20分、南生駒駅から
コミュニティバス(有里線)で、5分くらいです。駐車場あり。
この日は、車で訪ねたので、ちょっと山麓を上がった鬼取町
にある「カフェ おと。」でお茶して帰りました。
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