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2021年2月22日 (月)

“池干し中”の狭山池

 2/10の日経Web版の“映えスポ”欄にて、池干しで現れた「狭山池」の池底の写真を発見。
すり鉢状の何とも不思議な光景でした。それを機に、南海高野線に乗って出かけてきました。
(狭山池博物館のパンフに同様の写真があったので代用/地図も同博物館HPより借用)

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 いろいろ頑張ってみましたが、柵内には入れないため、この角度しか撮れません。やはり、
土木事務所主催のイベント “池底&博物館ツアー ”のときでないと、間近かには行けないし、
撮影にいい具合の位置と思われる、土木事務所の屋上にも上がれないようです。

P1120636

 このすり鉢状の地形は「龍神淵」と呼ばれ、普段は池底に沈んでいますが、冬の“池干し”の
時季には現れる構造物です。狭山池では、毎年、田圃の水利用が少ない11~2月に水を抜いて
底泥を乾燥させ、水質の浄化や藻・アオコの発生抑止に役立てているそうです。

P1120639

 石垣の小島に祀られた龍王社は、安政4(1857)年に造られたものだそうで、その前あたりは
深く、淵になっていると伝えられ、龍神のために、平成の大改修でも残されたんだそうです。

P1120652

P1120637  

 格好のランニングコースになっている堰堤上にある「龍神社」の大鳥居。土木事務所の前。

P1120651  

 狭山池が大阪府の「史跡・名勝」第1号に指定されたのは、昭和16(1941)年のことですが、
その後、平成27(2015)年には、国の史跡に指定されています。

P1120646

P1120630  

P1120615

 狭山池は、1,400年も昔の西暦616年頃の築造であることが、発掘された遺構の木材の年代
測定で分かったそうで、現存する日本最古のため池です。長い歴史の中で、何度も改修が繰り
返され、奈良時代の行基、鎌倉時代の重源など、歴史上の著名人が関わり、その時代の最先端
の土木技術を駆使した工事であったことが明らかにされています。
 昭和61(1986)年から16年も掛かった平成の大改修では、洪水調節の機能をも持つ治水ダム
に生まれ変わったんだそうです。

        P1120610

 このあと「狭山池博物館」から、「狭山遊園」跡を歩いて、駅に戻ります。(続きます)


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コメント

おはようございます!
奈良時代の土木工事ですか。
大したものですねぇ・・・。
もっとも、もっと昔に仁徳天皇陵なんて造っている訳だから、ため池くらい造る技術はあったのでしょうね。
しかし、すり鉢状の龍神淵は不思議ですね。
長い年月で埋まらないのが不思議です。
どういう仕組みなのでしょうか?

おはようございます。

 狭山池からは、東除川と西除川が流出していて、今でも、かなり深い谷になっています。
そして、初期の狭山池は、現在の1/3くらいの高さであったことが、堤体断面をスライスして
移築した巨大展示からもうかがえます。

 すり鉢状の龍神淵は、古老からの「いろたらあかん」と云い伝えで、平成の大改修でも
残されたそうです。多分、龍神さまが住んでいるんでしょうね。

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