“3扉”で延命か、京阪5000系
京阪電車のニュースリリースによると、この1月31日のダイヤ改正で、5000系車両の“5扉”
での運用を終了するとのことです。つまり、もう暫くの間、“3扉”で運用すると云うことですね。
枚方(ひらかた)市駅から “5606”が折り返してきました。萱島発17:00の中之島行(普通)です。
夕方の運用では、“3扉”になります。2つの「ラッシュ用ドア」は閉め切られている訳です。
閉め切られた2つの扉部分には、座席が設定されています。上部に収納されていたものです。
この座席、ラッシュ時以外は座席が増えるのですが、3人では少し窮屈で、座面も硬めです。
また、シート下にヒーターがなく、ドアの隙間から風が入るので、冬は足許がスース―します。
京阪電車のホームページにある各駅の時刻表には、この5000系車両の“5扉”での
運用が表記されています。黄色の丸印のところがそうです。縦棒(│││)でのドア数
の表記がないのが“5扉”運用でした(2021/1/29まで)。
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“3扉”での運用時の姿です。5つの扉のうち、2つ目と4つ目の扉は閉め切られていますが、
乗客の混乱を防ぐため、「ラッシュ用ドア」の標記のほか、窓回りに塗色がなく、他の扉と
区分されています。(これ以下の写真は、守口市駅にて撮影)
1970(昭和45)年12月から、7両×7編成が順次導入された“5000系”車両は、京阪沿線の宅
地化の急伸期で、ピークに達していたラッシュ時の混乱に対して考え出された画期的アイデア
でした。当時の線路や駅設備の状態では、増結・増発が困難だったので、車両の多扉化によっ
て、乗車スペースを広げ、乗降時間を短縮する試みだったのです。
それだけでなく、『デイ・タイムには、通常の“3扉”とし、閉鎖する2つの扉の車内側では、
座席シートが上ったり下ったりする変わった仕掛けの変な電車?』でした。創造力豊かな京阪
車両技術陣の総力結集のたまものであったと云えますね。
さて、もうこれ位にします。淀屋橋行準急の発車を待って、“5606”も出発してゆきました。
50年走り続けてきた“5000系”ですが、ホームドアの設置に支障があり、引退時期が早まって
しまったわけで、 “3扉”運用の延命も、6月末までには、終了してしまうそうです。
京阪百貨店の地階で、家人のリクエスト「御座候」を買って帰ります。久しぶりの“鉄ネタ”、
長々とお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
【参考資料】「京阪電車・車両70年」京阪電鉄1980年刊
(2021/1/21撮影) ポチっとお願いします。いいね💛も
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5扉電車、引退なんですね。
今まで50年も活躍したとはすごいです。
私が高校生だったころ、通学に京阪電車を利用していて、何度か見た記憶があります。
懐かしいです。
初めて見たときは扉だらけの車両だったのでびっくりしました。
シートがどのようになるか理解するのに時間がかかりました。
この工夫は関西人的な発想のように思いました。
引退は残念ですが、仕方ないですね。
投稿: こってうし | 2021年2月14日 (日) 22時43分
こってうしさん、こんばんは。
この“5扉車”、デビューしたときから冷房車でした。5扉なので、強力冷房にしていたとか。
冬場、閉鎖扉部の席には、座席下にヒーターがなく、スース―してましたが。
7編成製造されましたが、置石による脱線事故で、一両だけ廃車され、追加製造されました。
50年走ったにしては、今もそんなには古い感じがしない状態なのに、廃車は残念ですが、
ホームドアに支障なら、仕方ないですね。
でもまあ、京阪のことなので、足回りは転用するでしょうしね。
投稿: 南太郎 | 2021年2月15日 (月) 22時57分