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2021年1月11日 (月)

光秀“最後”の「勝龍寺城」

 JR東海道線の長岡京駅は、かつては神足(こうたり)と云う駅でした。東口がラッシュ時しか
開かなかっため、ずいぶん遠回りして、顧客の工場へ通ったものですが、「勝龍寺城公園」へ
は、整備が進んだ東口から、歩いて10分ほどでした。
 駅前広場には、D51型蒸気機関車の第4動輪(手前)と0系新幹線の輪軸が展示されていました。

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        その傍らには、ヨ8000型緩急車(車掌車)もあって、ちょっとし
       た鉄道公園みたいです。

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        駅前の、真新しい道標に従って、ロータリーの先を右へ歩きます。

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         こんな幟が連なった広い道路を一直線に10分ほど西進します。

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 勝龍寺城は、明智光秀 最後の城と云われますが、臨時の砦だったのを、1571年に信長の命
によって、細川藤孝が造り替えた城。それまでの中世の城館とは異なり、石垣や天守を持った
近世城郭の先駆けと云います。
 1578年には、やはり信長の意向で、光秀の娘(玉=後のガラシャ)と細川藤孝長男の忠興との
婚儀がこの城で行われたんだそうです。
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 お濠に沿って、勝竜寺城公園の入口がある南側へ回り込みます。

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 ほほぉ~。勝龍寺城には、信長の安土城に先んじて、天守が設けられていたんですな。

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 本丸跡には、細川忠興と玉(後のガラシャ)の像。玉は、本能寺の変ののち、逆臣の娘として
丹後に幽閉され、のちに大坂/玉造の屋敷に移ってキリスト教の洗礼を受けたんだそうです。
 毎年11月には、玉の勝龍寺城への御輿入れを再現する「長岡京ガラシャ祭」が盛大に催され、
1,000人を超す町衆が行列して練り歩くんだそうです。

P1090959  

 本丸跡に復元された石垣。1633(寛永10)年に廃城となって以降、勝龍寺城は、忘れ去られて
いましたが、1988(昭和63)年の発掘調査で遺構が発見され、1992(平成4)年に勝竜寺城公園と
して整備されたそうです。

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 最近の“大河ドラマ”の影響でか、ここ勝竜寺城公園にも、訪れる人が多くなったとか。

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         天守内には、大河ドラマ関連の展示が並んでいました。

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         展示物は、一部を除き撮影不可でした。

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 本丸北東角の隅櫓の手前には、土塁があり、内面斜面にも石垣が築かれていたそうです。 

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 石垣を備えた城がまだ珍しかった当時、石仏や板碑などの身近な石材も転用したらしく、
北門付近には、発掘調査で出土した、それらの石造物が集められていました。

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 本能寺の変のあと、天下分け目の「山崎・勝龍寺の合戦」は短時間に決し、敗れた光秀は、
ここ、勝龍寺城に逃げ込んで最後の時を過ごしたんでしょう。夜半、驟雨のなか坂本めざして
脱出したものの、山科/小栗栖(おぐりす)山中の竹藪で落武者狩りにあって落命したらしい。

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         長岡京駅へ戻る途中、「勝龍寺城土塁跡」の案内板に誘われ
        て、ちょっと横道へ。神足(こうたり)神社の入口です。 

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 土手の右側が城内。真ん中の“土橋”を渡って虎口(こぐち)に入ろうとする敵を、手前の土塁
に登って、効果的に射撃するように仕組んだ「横矢掛かりの虎口」と云う防御線の跡。

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 その虎口から土塁を見上げた光景。この程度でも防御線になったんかなぁ、と素朴に疑問。

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         その奥には、神足神社。ここは、平安時代から続く産土神社。

        P1090933

         今回の、京の光秀歩きは、これにて一旦終了です。長々とご覧
        いただき、ありがとうございました。なお、山崎の合戦の山崎は、
        JRで次の駅です。

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歴史・遺跡・現説」カテゴリの記事

コメント

おはようございます!
当に、今の大河の舞台ですね。
なるほど、ここで玉がねぇって思いますよ。
ただ、土塁は素晴らしく本物と思いますが、打込接ぎ?の石垣と城壁や櫓に使われている漆喰塗りは本当に当時の再現かなって思ってしまいますね。
当時の勝龍寺城はあくまで軍事拠点、戦闘重視で砦に毛が生えた程度だったと思いますが・・・。
何だか、再現時に歴史を良く知らない人が自分のイメージする城っぽく造ってしまったような気がします。
私の故郷の小倉城も戦後に天守を再現する時に、見栄えが良いようにと、実際には無かった破風なんかを適当に付けてしまい、豪華でも残念な姿にしてしまいました。
でも、多くの人は、これが城のイメージなんでしょうね。

FUJIKAZEさん

 そうかも知れませんね。現在の勝竜寺城は、長年、忘れられていたのを
公園として整備、復興したものですので、史実に拘わらず、見映えよくさ
れた面も否めないと思います。なので、本丸の建物内には、管理事務所と
展示スペースしかありませんでした。
 ただ、文献によれば、砦を造り替え、石垣や天守を持っていたらしいの
で、まぁまぁと思っておきましょうか。 石垣に石仏などを転用した痕跡が
あるので、大した石垣ではなかったんでしょうがね。

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