京、白川沿いに「光秀塚」
三条通りは、京都地下鉄東山駅のすこし先で、白川とクロスします。現在の白川は、
比叡山と如意ケ嶽の間を源とし、四条通りの北側で鴨川に合流する浅い川です。
「是よりひだり ちおんゐん ぎおんみち」とあります。

白川橋から下流には、柳並木が続いていました。静かで風情を感じさせる通りです。
この辺りの白川には、ところどころに “一本橋”と呼ばれる細い石橋が架けられています。
白川橋から5分ほど行った先の和菓子屋さんの角に石標があり、
「東梅宮 並 明智光秀墳」と読めます。幕末の建立らしい。
細い裏道の先に、何やらそれらしき祠が見えてきました。
「明智光秀の塚」とあります。小栗栖の“明智藪”で襲われ自害したあとの光秀の首は、秀吉方
に発見され、粟田口で晒された後、近くに埋めて塚が築かれたそうです。その塚は蹴上(けあげ)
にあったそうですが、江戸中期に この地に移されたもののようです。
江戸中期の建立とは云え、「光秀公」との扁額があるのには、
ちょっと驚きですが、崇める人々も多かったんでしょうね。

左が蹴上から移設されたと云う卒塔婆かな。
京阪電車三条駅から歩いても大したことありませんでした。

少し白川沿いを歩くと、インバウンド客を当て込んだのか、古民家の宿を多く見掛けますな。
一本橋の上で祝い装束の二人が撮影中。いわゆる“前撮り”でしょうか。中々のロケーション。
このあと、本能寺跡を経て、光秀“最後の城”と云われる勝龍寺城へと巡ります。つづく。
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コメント
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こんばんは!
光秀の首塚ですか。
なるほど、江戸時代にも崇める人が多かったんですねぇ。
江戸中期には、既に忠義の精神が武士の基本理念として確立していた訳ですから、光秀の様な武士は唾棄されるべき存在であった様に思いますが・・・。
光秀にも、それなりの慕われる要素があったのでしょうね。
あながち、いまやっている大河の光秀も、「馬鹿馬鹿しいフィクション」とは言い切れませんね。
投稿: FUJIKAZE | 2021年1月 6日 (水) 22時33分
FUJIKAZEさん
光秀に対する評価は、幅がひろ過ぎるので、「明智」と称する
複数の人物の合体ではないかと云う声すらあるようです。
まあ、歴史は勝者によって紡がれるため、光秀のような場合、
最後の、逆賊として「唾棄すべき存在」の部分が強調されるの
でしょうね。
でも一方では、判官贔屓にも似た感情も熟成されて、それは
それなりに歴史を繋いで来たと云うことではないでしょうか。
投稿: 南太郎 | 2021年1月 9日 (土) 11時05分