亀岡の明智光秀 ②
谷性寺からの戻りしな「緑橋」停でバスを降りると、楽々荘は
スグ横でした。山陰本線の旧線を敷設するなど、明治大正期の
政財界で活躍したと云う田中源太郎翁の生家だそうです。現在
は、「がんこ亀岡楽々荘」になっています。
予約しておいた「やわらぎ御膳」を個室でいただきました。
個室の窓からの眺め。650坪の広い庭らしい。
昼食後「京都大河ドラマ館」を見に、亀岡駅北口へ歩きました。
亀岡駅北口は、「大河ドラマ館」一色 + サンガFC。
原則撮影禁止で、一部に撮影可の場所が決められていました。パネル展示やメイキング
映像の上映が中心で、30分ちょっとで出てきました。次のバスの時間でもありましたがね。
デジタル体験コーナーは、顔出しパネルのデジタル版。その場で顔を写して合成し、大型
のディスプレイに映し出した画像をスマホで撮影します。「カメラを見つめて」と云うのですが、
かなり上の方にあるそのカメラが分らず、失敗の繰り返し。他の方も同様だったようで、これ
は不親切と云うもの。タダでしたがね。右の像は、南郷公園にある光秀銅像のモックアップで、
厚みがあって、でかい人だったようです。
(このカメラマークの所のみ撮影可)
この後、またバスで “夢コスモス園” へ向かいましたが、そこから戻った時には、帰りのバス
まで1時間しかなく、駅前から歩いて行ける、旧亀山城址の南郷公園に建てられた明智光秀像
を見るだけにしました。謀反人のイメージが一般的ですが、ここ亀岡では「明智光秀公」です。
丹波進攻の拠点として明智光秀が築城した旧丹波亀山城は、明治10年の廃城令によって
天守が解体され、現在は、宗教法人大本の管理下にあり、石垣などを見ることが出来るそう
ですが、“ギャラリーおほもと”の入館券購入が必要です。(今回は、時間の都合で、パス)

まあ、歴史(正史)は勝者によって紡がれるので、敗者の実態は、なかなか伝わらないものな
んでしょうなぁ。“知られざる善政の名君”。この銅像の表情からも、領民の親しみが滲んでい
るのがうかがえますね。毎年5月の「亀岡光秀まつり」では、戦国絵巻さながらの勇壮な武者
行列が繰り広げられるそうです。佳きかな。

光秀は何者か? 「領民に慕われた知将」と云うのが亀岡の光秀像
のようです。光秀との関係を秘匿してきた社寺や個人宅で、新たな
史料が発掘されており、それらを辿りながら、自分だけの光秀像を
見出してゆくのも、歴史散策の醍醐味と云えるかも知れません。
クリックすると拡大します (亀岡市/京都亀岡明智光秀マップより抜粋/翻案)
(2020/10/28訪問)
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