「暗越奈良街道」を歩く
東大阪市の #鴻池新田会所 主催の史跡ハイキングに参加して、
「暗越(くらがりごえ)奈良街道」の一部を歩いて来ました。近鉄の
枚岡(ひらおか)駅に集合、枚岡神社前から下り一方の楽なコース。

枚岡神社(元春日平岡大社)の石柱寄進者に、車屋(たぶん水車)、
米屋とともに針金屋の屋号も刻まれています。豊浦や額田の谷筋
には、多くの水車が稼働し、伸線加工(針、ワイヤ、ネジ、ばね)
が盛んであったことが伺えます。それが東大阪のものづくりの基
盤として発展していったのです。
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いまは細い流れの豊浦川。かつては急峻な谷川で、各家に水を引き、水車を動力にした伸線
工業が盛んに行われたそうです(右図の●)。しかし、大正3(1914)年に大軌(近鉄の前身)が開通
すると、配電事業も行われ、次第に水車動力は廃れてゆくことになります。
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(参加者への配布資料より)
豊浦地区の地車、太鼓台の収納蔵。地車はダンジリですが、太鼓台は神輿でしょうか。
しばらくは、近鉄奈良線に沿って進みます。奈良~三宮間の相互乗入で、阪神の車両です。
枚岡駅と額田駅の中間あたりで、国道308号に行き当たりますが、狭隘路なので、進入口が
分かりにくい。この先、暗峠(くらがりとうげ)を越える道は“酷道”そのものです。
大阪側の“酷道”の始まり部分。ここからの登りは、狭隘・急坂・急カーブが続く難路です。
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国道308号を下ってゆきます。旧街道の面影が濃い感じの
宝積寺と子安地蔵の前を通り過ぎます。
もとは豊浦村の中心だったあたりの十字路が広い。
これでも、れっきとした国道。カーブの具合が、なんとも旧街道。

旧枚岡村役場。今は、信用金庫の支店になっています。この辺が地域の中心だったんですね。
少し横に入った“公設市場”の跡だと云うシャッター街。昭和の時代まであったらしい。
変容しつつある中でも、旧街道沿いには、お地蔵さんの祠が残っているものですね。

ポツポツと金属加工の工場を見掛けます。水車工場の末裔かも。
宝箱の太鼓台蔵。大きな太鼓を載せた神輿のことでしょうか。吉野でも同じように云いますな。

まもなく旧街道らしい区間の終わりです。水車動力が電気に置き換えられると、輸送に不便な
谷筋から、平地に進出する“工場”が増えてゆき、繁栄の中心も次第に平地に移動してきたのです。
箱殿東交差点。暗越奈良街道(左の左)と旧東高野街道の交わるところ。異常に広い交差点。
この交差点から東へは、“産業道路”と呼ばれた改修後の国道308号が今里へ続きます。
望遠で引くと、まだまだ下っているのが分かります。その先は、上町台地のつづきで高くなる。
この先、近鉄布施駅まで歩きました。まだまだ続きます。
(2020/11/1撮影)
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こんにちは。
いつも楽しく拝見しています。
枚岡神社のあたりは布団太鼓みたいですね。
大阪では堺のあたりと、大和川の上流というか、
柏原とか枚岡神社のあたりとか、
中河内というのでしょうか、
布団太鼓が盛んなようです。
かなり重くて2トンくらいあるものを60人くらいで
担いだりするようです。
枚岡神社のは見たことがないのですが、
一度見に行ってみたいと思います。
投稿: ふうちゃん組 | 2020年11月16日 (月) 18時52分
ふうちゃん組さん、コメントありがとうございます。
ふとん太鼓って、天満の天神祭りで見られるタイプですね。
北河内では、ダンジリをよく見ますが、ふとん太鼓の太鼓台はあまり見掛けません。
道が狭く坂道だと、ダンジリは無理なのかも知れませんね。
枚岡神社の「お笑い神事」に参加したことはありますが、太鼓台が宮入する
秋郷祭は未だなので、機会を見つけて行ってみたいです。
投稿: 南太郎 | 2020年11月17日 (火) 16時04分