信貴山登山鉄道の“攻防” ②
さてさて、西側からの信貴登山鉄道のルート整備は、大阪電気軌道(近鉄の前身)の宿願でした。
何せ、信貴生駒電鉄(京阪系)の東ケーブルに、参詣客が獲られるのを指をくわえていたのです。
それで、大阪からの最短ルートとして、西ルートを急ピッチで整備、その結果、東ケーブルは、
乗客が減少、信貴生駒電鉄は、経営が傾き、後に、近鉄の傘下にくだることになります。
その西ルートでの到着口が 山上鉄道線の「信貴山門」駅でした。1944(昭和19)年に不要不急
路線として、レールを供出して休止するまで14年間だけ、高安山~信貴山門間で運行されていた
山上鉄道線は、1957(昭和32)年の西ケーブル再開に際し、自動車専用道路に改修されてしまい、
山上鉄道線跡(高安山駅~信貴山門)を直営バスが走ることになった訳です。
広~い信貴山門バス停を出たところに “信貴生駒スカイライン”の信貴山ゲートがありました。
かつての山上鉄道線跡が自動車専用道に改修され、その一部は、現在の“信貴生駒スカイライン”
に組み込まれています。
この日、15:30発の高安山行バスの乗客は、3名。同じ
バス停から、東ルートの信貴山下行き奈良交通バスも出て
いるのですが、接続の気配はありません。
近鉄バスは、ケーブル連絡で40分毎ですが、奈良交通の
信貴山下方面へのバスは、60分毎です。

60年前の信貴山門バスのりば。今のと変わりませんね。
当時は、東ケーブルがあったので、ここは高安山行のみ。

(60年前に私が撮った写真)

(クリックすると拡大します)
“信貴生駒スカイライン”の信貴山ゲートを入り、途中で
逸れて高安山霊園に立ち寄ったら、ケーブル高安山駅は、
スグでした。近鉄大阪線方向なので、三宮へも連絡⁉
ここも、駅前は広いバス溜まりになっていました。山上鉄道線の跡は、自動車専用道路なの
で、歩いて見に行くのが憚られました。(暑かったしネ、ほんま)
連絡バスとケーブルは、5分ほどでの接続でした。手前の赤いカゴは、これでも連結の荷物車。
そうそう、少し前までダメだった、PiTaPaやICOCAが使えるようになっていました。
虎を描いた7号車「ずいうん」。100人乗り、1957(昭和32)年当時、日本最大だったそうな。
でも、未だに非冷房で、懐かしい回転式の扇風機が活躍、“温風”をかき回していました。
大阪平野を見降ろせるのですが、樹木のせいか、視界は狭いなぁ。八尾のへんしか見えへん。
途中のトンネル(郡川隧道)からの光景がエエ感じ。上りのケーブルカーは未だ見えない。
8号の「しょううん」と交換。上りは乗客なしのよう。
信貴山口駅の少し手前に、ケーブルでは珍しく踏切が二ヶ所ありましたが、撮りに戻る元気なし。
西ケーブルの始発は9:30。17:35が終発。しゃあない。
信貴線の電車が入線してきました。信貴線の高安山駅と次の服部川駅の間には、近鉄最大の
急坂(40‰)区間がありますが、高安山駅に入線するときも、ェッコラショ。
ホームは、2両で一杯いっぱい。間に一駅の短い区間ですが、15~20分毎の運転で、車掌が
乗務しています。この辺にも、大軌(近鉄)の意地みたいなものが反映されている感じがします。
服部川駅が唯一の途中駅。傾斜地の急カーブにあります。
信貴線分岐点の河内山本駅に入線。西ルートの最盛期には、上本町~河内山本~信貴山口の
直通急行が運転されていたそうです。
通常、河内山本駅の1番線で折り返しますので、上本町直通は、今でも可能ですな。となりの
5番線は、ラッシュ時のみ使用。大阪方面からの乗換えの利便性に応えているんでしょうな。
折り返しの信貴山口行は、大阪線の準急に接続して、スグに発車してゆきました。
結局、大軌(近鉄)が京阪系だった東ルートを駆逐して、自ら敷設した西ルートを残した訳です
が、時代がすすみ、価値観が変わると、意味を持たなくなってしまうものなんですな。それでも、
大軌--近鉄と云う事業体に伝わる、強い“意思”を見せつけられている気がするのです。
【参考】近鉄HP「近鉄資料館」路線の履歴書
(2020/8/24 撮影)
ポチっとお願いします 
« ささっと 信貴山 | トップページ | 小栗栖、明智光秀 終焉の地 »
「鉄道・廃線遺構」カテゴリの記事
- 幻の「愛宕山鉄道」の痕跡(2026.09.14)
- 年に2日だけ営業する駅(2025.08.08)
- 万博前の「夢洲駅」へ行ってみた(2025.01.30)
- 「アンパンマン特急」(2024.11.18)
- “汐見橋線” で暇つぶし ➋(2024.09.30)


コメント